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 お酒なんて飲むんじゃなかった。気持ちよく酔いたかっただけのはずなのに。今後の色々に関わるような、判断を迫られるシチュエーションになるなんて分かるわけがない。
 それでも私は、今決めなきゃいけないみたい。ときめきと劣情に、間違いなく殺される。それを選ぶことへのためらいは、アルコールのせいでとっくに麻痺してしまったから。
 そもそも何がどういう流れで、こんなことになったんだっけ? どうにもうまく回らない頭で、がんばって思い返すところから始めよう。
 どうしてか分からなかったけど、急に赤葦くんからご飯に誘われて、二つ返事でそれを承諾した。
 中華が食べたい気分だったから、サークルの友達ともよく行く安い中華料理屋さんを思いついた。赤葦くんにそれを提案すると、いいですね、と快諾してくれた。
 直接店で合流した時現れた赤葦くんが、サンダル姿だったから、もう夏かよと突っ込むと、ちょっと照れてて可愛かった。
 赤葦京治くん。一つ年下の、文学部生。
 出会ったのは新歓時期をとっくに過ぎたゴールデンウィーク明けの頃。授業の空き時間に、一人部室で映画を観ていたところに赤葦くんは現れた。
 私とのタイミングが絶妙に合わずそんな初対面になってしまっただけで、他のメンバーから新入生の話は聞いていたので軽く挨拶を交わすことはできた。そうは言っても自発的なものではなく、赤葦くんはとても礼儀正しい子だったので、それに引っ張られるような形ではあったけど。
 ただ映画を観るサークルで、履修組みに失敗した私は中途半端に発生した空きコマを、よく部室で過ごしていた。人で溢れる学内よりも、お昼をここで過ごすメンバーも多く、赤葦くんも次第にその仲間入りをしていた。
 そんな流れでごく普通に世間話をしたり、観ている映画の話をしたり、特に濃い絡みがあったわけでもなく。たまの授業終わりにご飯に行ったり、レイトショーに行ったり、さっぱりとした学生生活を送っていただけだった。
 今日もまた、適当に料理とお酒をつまみながらただ頭に思い浮かんだことを会話の種にして、特に変わったこともない。ただ急に誘いがあったのは、赤葦くんにしては珍しいことだったので気になりはしたけれど、彼が話さないうちに聞くほどでもなかった。
 赤葦くんと話をするのは好きだった。反対に赤葦くんはどうなのかと思ったけど聞いたこともないし、それでもこうして誘いがあるということはそんなに悲観するような状況でもないのだと思いたい。
 赤葦くんはどちらかというと、自分からどんどん会話の主導権をとっていくような人ではない。展開される話題にそつなく付いてきて、意見を求められたりすれば臆せず発言できる。そしてその発言が、なんとも言い難く機知に富んでいて、私はそのワードセンスに嫉妬を覚えてしまうほどだった。
 お酒を飲むと舌の回転がいつもの1.5倍ほどになる私の取り止めのない会話にも、逐一反応を返してくれて、頭がいいんだろうなとは思っていた。
 気持ちよくアルコールに浸って、ふわふわと楽しい会話もして、赤葦くんに無体を働いてしまう前に解散にしようと、いつものように思っていたはずなのに。ああ、やっぱりどうしてこうなってしまったのか思い出せないや。
 赤葦くん、なんて言ったっけ。家に来ないかと言ったのは、私の聞き間違いの可能性はないだろうか。
 いつの間にか繋いでいた手からは私よりもずっと高い体温が流れ込んでくる。熱を移されて、気がつけば混ざり合ってしまったぬるい温度が、アルコールとの相乗効果で思考の邪魔をする。これも、どっちから繋いだんだっけ。
 私を見つめる熱っぽい瞳は黒く潤んで、鍋底に焦げ付く砂糖水みたいだった。彼の目がそんなだから、それを見る私にも同じように移っているのだろうか。私もそんな目で彼を見つめ返してしまっているのかな。一体どれくらい、こうして見つめ合ってるんだっけ。
 ぬるい風が頬を撫でるたびに、答えを急き立てられているような気がした。誰もそうは言っていないから、それは私の心が生み出した幻想に過ぎない。
 色のついていない、薄い唇がきゅっと引き結ばれている。何か言いたげなのを押しとどめるように、下唇は噛み締められていた。
 物静かだけど、寡黙なわけじゃない。そんな彼に今、言葉を我慢させて、こんな顔をさせているのは他でもなく私だった。
 どういう意味で言っているのかなんて、この空気の中で改めて確かめられるほど野暮じゃない。それでも私はこの期に及んで言い訳を探している。
 どうしてなんだろうとか、いつからなんだろうとか、心当たりのなかったことで分からない。彼が私を、そんな風に意識していたなんて、本当に気が付かなかった。
 高いところにある赤葦くんの顔がほんのりと色づいているように見える。私の答えをじっと待って、耐えられないみたいに目を細めていた。
 期待と不安とが入り混じり、ぐちゃぐちゃになった致死量の劣情を、細工もなしに真正面から浴びせられ、脳天から溶けてしまいそうになる。手のひらに感じていた温もりが、ぶわりと身体中を駆け巡り肌を泡立たせた。
 ああ、だめだ。
 彼の内側にこんなにも、焦げ付くほどの甘ったるい感情があるなんて、誰が知っているのだろう。
 私を思ってそんな顔をするなんて、私以外は誰もその顔を知らないなんて。ほんとうに、可愛すぎて頭がおかしくなってしまいそうだった。
 繋がれていない方の手を伸ばし、そっと頬に触れてみる。想像したよりもひやりとしていた体温が、すっかり温くなった指先に気持ちいい。
 指の腹でゆっくりと、頬を撫でてみる。さらさらの肌は当たり前だけど私のものとはまるで質が違って、代謝がいいんだろうなんて、この場にそぐわないことを考えた。
 撫でつける私にされるがまま、はじめは見るからに緊張していた赤葦くんは、次第にほぐれていく。噛み締められていた下唇が緩んで、歯の跡だけがくっきりと残る。
 目を閉じて、ただ私の指先だけを堪能する。牙を剥くことだってできるのに、ただ大人しくしているのが可愛くて、なかなか指を離すことができない。

「気持ちいい?」
「……すきです」
「素直だ」

 可愛いね。言い聞かせるみたいに、言葉ごと内側に染み込ませられるように、撫でる手を止めない。

「好きです、なまえさん」

 赤葦くんの、繋がれていなかったほうの手が伸びてきて、ついに絡めとられて両方が塞がれる。注がれる熱に頭がくらくらして、手を取られていないと倒れてしまいそうだ。
 きっともう逃げられない。可愛いばかり言っていて、逃げている場合じゃない。
 甘くて苦い、余韻の残るアルコールの味を、彼にも移してみせたら、どんな反応をするのだろう。
 やっぱりどうしたって可愛い気がして、早く見せてとせがむように、包まれていた手の指ひとつひとつに、私も指を絡ませた。


22.04.12

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