00─はじめのおはなし


 鉛色の雲が太陽の光を遮って、まだ夜でもないというのに空は薄暗い。あたりを見回せば、そこら中に広がる死体の山、山、山。天人か地球人かに関わらずその様相は無惨なもので、首がないものや四肢を切断されたものも珍しくない。
 向こうの死体の目ん玉を啄んでいた大鴉が、こちらを睨んでガアガアと汚い声で鳴き喚く。恐らく奴の狙いは俺の持っている握り飯だろう。人間様の持ち物を奪おうなんざいい度胸だ。まあ、この握り飯も俺が転がる死体の懐に忍ばせてあったのをかっぱらっただけなんだけど。

「俺はまだ人間食べちまうまで落ちぶれちゃいねーんだ。テメーは目ん玉で我慢してろカラス!」

傍に落ちていた石ころを投げつけると、その大きな図体に見合わず、カラスは怯えてその場から飛び去っていった。左の目玉を咥えたまま。
 邪魔者も無事いなくなったことだし、俺はまた土のついた米にむしゃぶりつく。十数秒と経たぬうちにぺろりと平らげてしまったけれど、この程度じゃ空腹はちっとも満たせやしなかった。


「……あーあ、腹減った」

誰にいうでもなく呟いたその時、背後からいつものあの声が聞こえてきた。

「おーい銀時!元気してた?」
「……おうよ、元気元気」

振り返ればそこにはやはり、名前の姿があった。このおどろおどろしい地に全く不釣り合いな身なりで、屈託のない笑顔を浮かべている。

「お腹空いてるでしょ?こっそりお仏壇のお菓子持ってきちゃった」
「マジで!?……いいの、本当に?」
「うん、どうせお父さんもお母さんも食べないからさ」

名前が差し出した笹の葉の包みの中には、拳くらいの大きさの大福が二つ。

「……お前も食うか?」
「ううん、いいよ。銀時のために持ってきたんだから、銀時が食べなよ」
「そっか。悪いな」

じゃあ、遠慮せずいただきます、と、大福にかぶりつく。さっきの泥握りとは大違いだ。夢中で大福を食い続ける俺を見て、名前は隣で嬉しそうに笑っていた。



 名前──苗字名前は、ここの近くの町に住んでいる商人の娘、らしい。生活に苦労しない程度には裕福な家庭に生まれたようで、その身なりはみすぼらしいボロ着を着た俺とは違って、小綺麗に整えられている。

 俺が初めて名前と出会ったのは数ヶ月前のことで、いつものように死体から金目のものやら食い物やらを剥ぎ取っていたときに、どこからともなくひょっこり現れたのがコイツ、というわけだ。名前は金持ちの娘の癖に人一倍やんちゃで好奇心旺盛なおてんば娘だったようで、この凄惨な戦場に臆することもなく、そして死体を漁っていた俺に怯えることもなく、話しかけてきたのだった。
 そもそも同じ年ごろの──自分の年齢はハッキリと知らないが──子供、それに女と話したことなどなかった俺は、柄にもなくドギマギしてしまったのを覚えている。
 そしてその出会いの日以来、面倒がりもせずコイツは度々この場所へ来て、ただひたすら無駄話やらをして一人帰っていく、ということを繰り返すようになっていた。



 「また俺に会いに来て怒られないの?お前」
「うーん、バレてないから大丈夫。だと思いたい」
「……大丈夫なのかそれ」

普通に考えてみれば自分の愛娘がわざわざ危険な場所にいって、得体の知れない死体漁りの餓鬼とつるんでるなんて話を聞いて、怒らない親などいるはずがない。噂じゃ、俺が屍を食らう鬼だ何だと吹聴する輩もいるらしいのだからなおさらだ。

「でもいいよ、もし見つかっても、謝ったら許してくれだろうし。それに、あなたとお話してるの楽しいから」
「あ……ああ、そうか。ありがとよ」

そう、それでもコイツは、全く俺を気味悪がることも、避けることもしなかった。こんな俺を人として扱ってくれた、ただ一人の存在だった。

 「あ、ねえねえ聞いてよ。今日ね寺子屋でさ──」

名前が教えてくれる“この世界”の話は、どれもこれも色鮮やかで、夢みたいな話だった。もし俺も名前みたいに──名前と一緒にそんな世界で過ごせたなら。コイツは「いつかお父さんお母さんにお願いしてあなたもうちの家の子にしてもらう」といつも言うけれど、そんなの叶いっこないのは分かっているのだ。

 だからこそ今こうして、名前が隣で話を聞かせてくれる時間が、生まれた時から生きる意味を失っていた俺の束の間の楽しみだった。俺にとっての唯一、の生きる希望だったのだ。
  



back