02─松下村塾へようこそ


 謎のお兄さん──松陽、と名乗る男の人に、銀時と一緒に塾へおいで、と言われてから一日が経って。

 
 「ご、ごめんくださーい?」

松陽さんに教えられた場所へと足を運ぶと、そこには大きな門を構えた屋敷があった。門札には大きく“松下村塾”と綴られている。開けられたままだった門を恐る恐るくぐり抜けると、豪邸とまではいかないものの、それなりの立派な家屋が建っていた。人の気配はしない。というか、奥に誰かがいても分からない程度には広い。

「あの!名前ですー!誰かいますかー!」

大きな声で叫んでは見たものの、反応したのは屋根に止まっているカラスだけ。

「……留守?」

いや留守なのに門開けっ放しはマズいでしょう防犯上、と自分につっこんで、やはりもう一度声をかけてみようと、すうっと大きく息を吸って、

「あのォォォォ!名前なんですけ」
「うるさい」

屋敷の襖がバシンと勢いよく開き、いかにも寝起き感満載な銀時が目をこすって現れた。

「なーんだ、いたんじゃん。おはよう銀時」
「おはよう銀時、じゃねーんだよ今何時だと思っ」
「──やあ。ようこそ松下村塾へ、歓迎するよ」

静かに現れた松陽さんが仏のような笑みを浮かべたまま、目を擦る銀時の頭に拳骨を落とすと、雷鳴のような轟音が鳴り響いた。


 屋敷の客間に通されて、松陽さんと向かい合って座る。隣では銀時が、頭に出来た焼いた餅のように大きなたんこぶを押さえている。

 「ご両親は、ここへ来ることを許してくれたんだね?」

私があのあと家に戻り、ダメ元で、どうせ断られるだろうと半ば諦めて両親へこの塾のことを話すと、意外や意外、両親はすんなりと私の願いを聞き入れてくれた。

「はい。危ない輩の教えるのでない限り、お前の好きなようにすると良い、と」
「ハハハ、危ない輩か。……私も大概、そうでないとも言い切れませんけど」
「あのなあ、仮にも教え子のガキを拳骨で地面にめり込ますような人が危なくないわけないだろ名前」
「……。」
「何でもございません松陽先生」

松陽さんが握り拳を目の前に作ってみせると、銀時は瞬く間に静かになる。
 あの大人でも手のつけられないような悪童の銀時を、こんなすぐに手懐けてしまうなんて。それだけで松陽さんの凄み──というか底知れない末恐ろしさが伝わってくるようだった。

 「名前。君が私の塾生である限り、私は君に教え得る全てのものを君に与えてあげたいと思っている──これから、宜しくお願いしますね」

私の目をまっすぐと見据えながら、松陽さんは言う。子供の私でも、その発言の奥に何か強い意志、信念が燃えているのを感じた。

「はい、こちらこそ宜しくお願いします。松陽さん」
「子供がそんなに大人に一丁前に畏まることないですよ。……松陽“先生”とでも呼んで欲しいな」
「はいっ!松陽先生!」
「なーに女の子に先生呼びされて喜んでんだ、松陽」
「君はもう少し畏まることを覚えた方がいいですね、銀時」

やなこった、と言い放つ銀時の澄ました顔と頭の上の巨大なたんこぶとの落差があまりにも面白くて、思わず吹き出してしまった。するとそれに釣られて松陽さん──先生も笑い出した。

「オイ、笑うなよ!大体俺が拳骨食らったのも元はと言えばお前が庭で叫んだのが悪いだろーが!?」
「銀時が遅くまで寝てたのが悪いんだっての」
「うんうん、その通り」
「そりゃなお前あんなふっかふかの布団あったらちょっとくらいお寝坊さんしたくなるのも当然──」

ふかふかの布団くらいで寝坊してたらこれからどうすんのさ!なんだよ寝坊ごときでごちゃごちゃうるせーんだよ名前は!と、どんどんムキになる銀時と、キリがない言い争いを続ける。そんな私たちをみて、松陽先生は笑顔を浮かべている。


 ───ひょんなことから入塾することとなった松下村塾。まだ教え子は私と銀時のふたりきりだし、今のところはおよそ寺子屋とも言い難い場所ではあるけれど、この先生の背中を、あなたと一緒に追いかけてゆけば、きっとお互いに大切なものが見つかるような気がするんだ。ねえ、銀時。
  



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