──えー次は終点、江戸……江戸……。
特徴的な車内アナウンスが、私の意識を眠りの世界から引き戻す。長時間の移動により凝り固まった身体を解すように大きく伸びをする。思わず漏れた大きな溜息に、通路を挟んで向かい側に座っていた人が怪訝そうな顔でこちらを見た。目が合う──これは気まずい。私は軽く愛想笑いで会釈をして、何事も無かったように携帯を取り出す。新着メールが一件。
 差出人の名は、沖田総悟──私の弟だ。

『何時頃に到着する予定ですか?
不安なら電話くれれば迎えに行きます』

『返事遅れてごめんね。
私ももう今ターミナルに着くところ』

 出迎えは大丈夫だよ、という旨のメッセージを付け加えて送信ボタンを押す。弟は元気にしているだろうか?久しく目にしていないその姿を思い浮かべて、自然と笑みが零れた。

 と、間もなく、周りの乗客が終点を前に続々と荷物を下ろし始めた。私もそれに倣って網棚からカバンを下ろす。あとはもう到着を待つだけだ。


 ──総悟たちが武州を去ってから数年。故郷に留まって一人暮らしをしていた私の元に、近藤さんから「真選組で女中として働かないか」という誘いが来た。何でも、真選組で雑務をこなす人手が足りないらしく、ぜひ昔なじみの隊員も多いだろう私に江戸へと来て欲しいという話だった。もちろん私にこれを断る理由もなく、二つ返事でOKし、今に至る。というわけだ。


 車内に流れる到着のアナウンスと共に、乗っていた列車が減速し始めた。窓から見える風景は、武州のそれとはかなり──というか全くもって別世界のようだ。ガラス張りのテカテカと輝くビルが所狭しと立ち並んで、そこには巨大なモニターが取り付けられている。よくテレビのニュースなんかで見かけた風景だ。そして大勢の天人と思しき人の姿。弟はよく電話で、地球の癖に地球人より天人のが多いんだと笑っていた。流石に言いすぎでしょとは思っていたが、どうやらあながち誇張表現でもないらしい。


 車両が駅構内に入ると、いよいよそこには有り得ないほどの数の人がごった返していた。大江戸東京──噂には聞いていたものの、ここまで都会な街だったとは恐れ入った。こんな都会の荒波に揉まれて大丈夫なのか名前、いけるのか名前?自問自答している間に、電車は完全に動きを止めた。自動ドアが開いて、乗客はいっせいに駅へと降り立っていく。


 これからは、この大都会で生きていくのだ。九割九分の不安と僅かな期待を胸に、私は新たなる世界へと歩み始めた。

 ──と、その瞬間。ドン、と肩に衝撃が走る。人混みの中、誰かにぶつかってしまったらしい。すみません、と謝って立ち去ろうとしたけれど、ぐいっと着物の裾を引っ張られて、ホームの隅へと連れていかれる。

「あの、ちょっと、離してください……!」

私を引っ張ったのは、いかにも悪そうな顔つきをした狼の姿をした天人だ。上京して早々のトラブルとは、私もつくづく運が悪い。おまけにその手の中には、ヒビの入ったスマートフォン。これはもしかして……と嫌な予感がする。

「お前、さっきこっちにぶつかってきたろ……?」
「それは、あの、すみません……私の不注意で……」
「オメーのその不注意のせいで、俺のスマホの画面、これ、てめっ、割れちまっただろーが!」

相手の怒声が駅構内に響き渡る。どうしたんだあの子──タチの悪い天人に絡まれてるらしい──ああ、そりゃあ気の毒だ──とひそひそ声が聞こえてきた。客達の哀れむような視線がこちらに集まってくるのを感じる。
 やってしまった、と、心の中で頭を抱えた。よりによってこんな駅の中で、こんなガラの悪そうな天人とぶつかって、おまけに携帯を壊してしまうなんて──。しかし悪気はないとはいえ、携帯が壊れたのは事実だ。何より、こちらから文句でも言い出したら、無傷では返してもらえないだろう。血まみれで屯所へと向かうのだけは遠慮したい。ここは甘んじて相手の要望に答えるのが手か。

「あ、あの……修理代とか、お支払いしましょうか……?」

なるだけ相手を怒らせないように、腰を低く低くする。さよなら私のお金。早くも数人の諭吉とお別れすることになりそうだ。

「10万」
「へっ……!?」

──じゅ、10万……!
思っていたより桁が一つ大きい数に、思わず変な声が出た。

「修理代と慰謝料とで10万。ぶつかってきたのはそっちなんだから払うのが義務ってモンだろ?」

多少の弁償は覚悟していたものの、10万ともなれば流石に話が違う。移住に向けてコツコツ貯め続けたなけなしのお金が、私後と汗と涙の結晶が、一気に飛んでいってしまう──まだ移住先にすら着いてないのに。

「え、もしかして払えないとか言う訳? お前がぶつかってきたせいで壊れたのに?」
「あの、ぶつかったのは申し訳ないと思ってます! で、でもあの、10万っていうのは──」
「あのなあ、謝って済む問題じゃねーんだよ、こっちはスマホ壊されてるんだっつーの!」

 データも何もかもパーだよ!お前直せねーだろ!と更に責め立てられる。そう言われると返す言葉もない。ますます強まる怒声に、思わず身体が竦んだ。足が小刻みに震えているのを感じる。もう言う通りにするしかないのだろうか。絶え間なく浴びせられる罵声に耐えかねて、払いますから許してください、と言いかけたその時。背後から、聞き覚えのある声が響いた。



「ああ、確かにこりゃ謝って済むじゃねェ……逮捕モノだな」 
「ああ、そうだ、払わなきゃ警察に訴えるぞコラ! ……ってあれ」
「ひ、土方さん……!?」

 どこからともなく颯爽と現れたその人は、天人を私から引き離す。

「大丈夫か、名前」
「だ、大丈夫ですっ、ハイ!」

突然の救世主の到来に、私はただただ呆然と立ち尽くすしかない。

「……な、なんで俺が逮捕されなきゃならねーんだ、むしろこっちは被害者なんだぞ!」
「通報が入ったんだよ──駅で天人が女にぶつかった上、落としてもいない携帯を取り出して金巻き上げようとしてるってな」
「な……ッ!」

 警察の登場に狼狽える天人の後ろから、もう1人がひょっこりと現れる。彼は慣れた手つきで天人に手錠を掛けた。

「12時26分、恐喝罪の現行犯で逮捕〜」
「そ、総悟…!」

──まさかこの2人が助けに来てくれるなんて。驚きと喜びとで言葉が出ない私の前で、2人は華麗なる逮捕劇を続ける。

「お、おお俺は恐喝なんてしてない!」
「ああそうですかィ……んじゃ、ここの監視カメラで確かめやしょう土方さん。バッチリ犯行の瞬間収められてるはずなんで」
「ああ、そうだな。総悟、お前駅員に言って見せてもらってこい」
「了解でさァ」

その指示に──土方さんの指示であるにも関わらず──ニコっと笑った総悟は、駅員を呼びに行こうとした。しかし、思い出したように天人の方へ向き直り、耳元で小さく囁く。

「──他人様の姉貴脅しといて、ただで済むと思うなよ」
「ひっ、ひィィっ……!!」

総悟の一言で観念した天人は、今までの横柄な態度とは打って変わった声で、すみませんでした、と泣き崩れた。



 「た、助かった……」
「災難だったな」
「は、はい……ありがとうございます」

天人の身柄を総悟へと預けて、土方さんが声を掛けてきた。この人と2人で話すなんて何年ぶりだろうか。昔はいつも総悟と3人で話すことが多かったから。こうしていざ対面すると、何を喋ればいいのかわからない。
 
「あっ、あの」
「どうした?」
「その、さっきは、本当にありがとうございました!」

そう言って、出来る限り深々と頭を下げる。そうだ──今、私が言える、そして言うべき言葉はこれだけだ。

「礼ならアイツ──総悟に言ってやれ。あの野郎、通報で聞いた女の特徴がお前にそっくりだって聞いて、血相変えて飛び出していきやがった」
「え、総悟が……そうだったんですか」
「相変わらず姉思いの良き弟だよ。相変わらず俺に対する敬意もゼロみたいだがな」

苦笑する土方さんにつられて私も笑ってしまう。総悟がそんなに私の心配をしてくれてたことが嬉しいし、土方さんとあの子は相変わらず仲が良い(?)ようで、一安心する。
 と、そこへ、総悟が携帯を片手に戻ってきた。

「一応姉ちゃんの調書も取らなきゃならねーってことで、パトカーもう一台手配してもらっときました。もうすぐ着くと思うんで」
「そうか、分かった」
「あーあと土方さん、姉ちゃんに妙なこと吹き込んだら承知しやせんぜ」
「心配しなくても何も吹き込んでねェっての」
「アンタの言葉は信用ならねーんでさァ」
「お前に言われたかねーよ」
「あー、総悟も土方さんもこんなとこで揉めない!」

ああ、この仲がいいのやら悪いのやらわからないような、昔と何一つ変わらぬやり取りが懐かしい。

「まあ、とりあえずとっとと屯所戻りましょうぜ──近藤さんも、姉ちゃん来るの楽しみにしてましたし」
「ああ、山崎や他の隊員もな」

近藤さんや山崎さん──話では改心して真人間になったらしい──や他の道場生といった懐かしい姿が思い出される。江戸という全く未知の土地へ来たはずなのに、何だか久しぶりに故郷へ帰ってきたような心地がした。

 総悟の案内に従って、外で待っているというパトカーの元へと向かう。ついさっきまで不安しかなかった心に、これから始まる新たな暮らしへの期待が芽生え始めていた。
  




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