垣内多次郎と内緒話


 すっかり手慣れた三十年式歩兵銃の分解と掃除を終えて、組み立てなおした銃を月島軍曹の前に提出する。月島軍曹は銃を手にするとボルトの動きや引鉄の具合を確かめ、確認項目であろう箇所を眺めた。
「よし、問題ない。そのまま射撃訓練に移れ」
「はい」
 問題なく分解と組み立てができたのでホッとした。
 正直分解や組み立てといった作業そのものは得意なのだが、昔に限らず今も俺は射撃が非常に苦手だ。もちろん兵士として一般的な訓練は受けているが、元々露西亜との戦争で俺は工兵として出兵していた。銃よりも罠や手投げ弾を仕掛ける方が得意だ。
 銃で殺せた数など両手で事足りるほどだと思う。
 そんな俺が、今や歩兵として新兵に交じって訓練しているのは非常に情けないところだったが、それでも月島軍曹の指導を受けられる時間が増えるのは非常に喜ばしいことだった。
 化け物ぞろいの第七師団の面子に比べると、俺の戦力など微々たるものだろう。しかし鶴見中尉は家庭の事情はさておき、第一師団で工兵をやっていた時の能力を買ってくださったらしく、こうして今更ながら歩兵の訓練をやり直しつつ必要とあればあの方の命令に従い任務に就く日々を送っていた。
 うちの面子で鶴見中尉に心酔している兵は少なくない。
 もちろん、俺は中尉殿のお考えを否定しているわけではない。実家に帰りたくないのが一番の動機ではあるが、先の戦争でお国のために働いた俺たち兵隊はもちろん、逝った戦友たちの遺族には然るべき対応がされてもいいはずだ。
あの戦争は下手をすれば国を獲られてしまうような激しさだったというのに、花沢中将のように責任を押し付けられて切腹するような上官殿もいらっしゃったのだ。それでは道理が通らないと思う。
 ただ、鶴見中尉は俺の理解の範疇を超えた御方なので、尊敬よりも恐怖が勝っており、それゆえ従っている節があるがそれでも彼の掲げる目的にはこのような理由で賛同している。
 話は脱線したが、そんな切れ者の中尉殿を慕う鯉登少尉を見ていると俺は嫉妬のような、非常に醜い感情が沸き起こってしまう。
 鯉登少尉は妄信的に中尉殿をお慕いしているがゆえに、あの御方を前にすると故郷の言葉でしか話せなくなるそうだ。俺や月島軍曹の前では普通に東京の言葉で話すのに、途端にダメになる。どうやら旧薩摩の方の出身らしく、俺も一度目の前でその様子を見たことがあったが、あれは親戚に薩摩の者がいなければ絶対にわからないなと思った。
 そんな鯉登少尉と鶴見中尉殿の間に入って通訳するのが月島軍曹である。
どうして鯉登少尉殿がそうなってしまうのかはわからないが、そんな月島軍曹を通訳代わりに使うなど……うらやましい。俺だって月島軍曹に耳打ちしたい。……いやそうじゃない、そうじゃないんだけど、内緒話みたいでうらやましい。率直な感想だ。
 ああ、そんなことを考えていたせいか、馬鹿な俺はついつい確認の終わった銃を渡してくださった月島軍曹の耳元でこうささやいてしまった。
「本日の射撃訓練、こちらの窓から見える場所でやりますので、お暇があれば私が上達したかどうかみてやってください」
 月島軍曹は何故そんなことを小声で俺が伝えたのか、おそらく全く分からなかっただろうし、むしろどうしていちいち見てやらんといけないのかと思われたかもしれない。
 やっておいて激しく後悔に見舞われた俺は自分の頭をこの銃でぶち抜いてしまいたい衝動に駆られたが、月島軍曹はふと顎に手を遣って一瞬考え込むような素振りをされた後、俺にちょいちょいと手招きをした。
 なんだろう、と思わず身を乗り出すと今度は月島軍曹が俺の耳元に唇を寄せてきてくださったので危うく変な声が出るところだった。
「上手く全弾命中したら銭湯に連れて行ってやろう、奢りだ」
 低い、心地の良い声が耳から脳に伝わり、ぞくぞくとした何かいけない感情が全身を駆け巡った。俺はなんとか平常心を保ちながら、小さな声で「頑張ります」とだけなんとか答えて、震える手で銃を抱えて部屋の外に出た。
 戸を閉め、教室から離れた階段の踊り場まで行ったところで、俺は堪えきれず飛び上がった。拳をぐっと握りしめ声を出さないように心の中で「うおおおおお」と叫び、二段飛ばしで階段を駆け下りたくなる気持ちを抑えながら演習場へと向かった。
 今まで『どんな的でも外せる垣内』と散々馬鹿にされていた俺だったが、今日この日の射撃訓練は多少ぎりぎりな結果ではあったが全弾命中と言うことでしばらく話題になった。
 これが月島軍曹への尊敬の力と言うものなのか、我ながらちょっと信じがたいほど当たったので逆になんだか情けない気持ちだった。もっと普段から訓練に集中しよう……。