多次郎は故郷にいるはずの姉が北海道へ来ていることは知っていた。教えてくれたのは他の誰でもない鶴見中尉だ。しかし、彼は情報しか多次郎に伝えず「これをどう受け取るかはお前次第だ」とだけしか言わなかった。自分が勝手に探しに行ってる中尉は何もせず、泳がせておくだけだろう。
結局多次郎は姉の居所を詳しく調べることなく、金塊争奪戦の任務に就き、先日の網走監獄襲撃の一員として監獄へと赴いた。海軍の手を借りた侵攻、奇襲、手投げ弾や銃を駆使した、戦争と言うよりは『駆除』に近いその戦いは在りし日の戦争より酷く感じた。
「戦い、争うのが戦争だ。無抵抗の人間を屠るこれは戦争なんかじゃない」そう思ったが、彼の居場所は第七師団しかもうなかった。意気揚々と上司の役に立とうと剣や銃を振るう上官たち、圧倒的な強さで敵を寄せ付けない憧れの上司、片割れの敵を討つべくまるでこちらが正気であるかのように目を輝かせる同僚。
全てが恐ろしかった、現実にこんなことがあってはならない、自分が参戦しているのは一体何の為のものなんだろうか。
「えっ、杉元佐一が目を覚ましたんですか」「ああどうやら脱獄囚の一人が外科に明るくてな、もう起き上がって飯を食っている」
月島から杉元復活の知らせを聞いて多次郎は大いに驚いた。あれからまだ然程日が経っていないが、先の襲撃で頭に弾が当たったはずだ。さすが不死身の杉元と呼ばれるだけあるが、死神もきっと杉元を殺すことはできないだろう。そう思わせる悪運と身体能力だ。「……少し、話すことは可能でしょうか?」「ああ、お前は日露の時に同じ第一師団だったな。何か情報になりそうなことがあれば報告しろ」「はい」
病室へ入ると、杉元以外の患者は当然いない。包帯でぐるぐる巻きの頭は窓の方を向いていたが、多次郎と月島が病室に入るとゆっくりと振り返る。「なんだよ、もう話すことはねえよ」「杉元、俺を覚えてるかな。第一師団で一緒だった……」
「! お前、垣内か?」
「良かった、覚えていてくれた」
「お前……やっぱりここにいたんだな。垣内……いや、お前の姉さんと俺、ずっと一緒だったんだぞ」
「知ってる、谷垣から聞いた」
「……逃げ続けて気は楽になったかよ?」
病み上がりとは思えないほどまっすぐな、鋭い言葉に多次郎は思わず言葉を詰まらせた。この調子では大よその話は姉に聞いているのだろう。
「……全然、苦しいよ今でも」
「だろうな」
「俺が聞けた立場じゃないんだけどさ……姉さんは元気?」
「元気どころか今頃アシリパさんを攫ったキロランケと尾形の野郎と一緒だよ」
「なんで」
「俺が知ったこっちゃねえよ」
杉元は窓辺に置かれた名も知らぬ花びらをそっと撫でながらそう答えた。
「でも、あいつはもう腹決めたみたいだぞ。垣内、お前は決まったのかよ」
その言葉に多次郎は要領の得ない答え方をした。杉元はそんな多次郎を見て深いため息をついて、もうお前に話せることはないと言わんばかりに唇をとんがらせた。ここが切り上げ時だろうと多次郎も頭の後ろをかきながら礼と謝罪の言葉を並べて病室を後にした。ちょうど入れ違いに囚人・家永がうれしそうに鼻歌を鳴らしているのを横目に小さくため息をつく。
扉の前で様子をうかがっていた月島が多次郎の側へ寄る。
「すみません、特に情報は得られませんでした」
と多次郎は申し訳なさそうに謝る。月島も元より多次郎が情報収集できるとは思っておらず、特に落胆した表情などは浮かべていない。
「構わん。それよりも中尉がお呼びだ」
鶴見中尉が待つ部屋に行くと、「垣内一等卒」と優しい声色が多次郎の両耳へと届く。
何の件で呼ばれていたかはわかっていた多次郎はまっすぐと鶴見の目を見た。それだけで鶴見も多次郎が何を言いたいのかわかったらしく、目をすっと細める。
「――そうか、行きたいのか」
「はい、以前伺った姉の情報を改めて調査しましたが、どうやら今回の第七師団の目的とたまたま一致するようでしたので、先遣隊に同行してもよろしいでしょうか? それに杉元や谷垣もこちらを裏切る可能性を考慮するとこちら側の人数が多い方がいいかと」
多次郎は椅子をぎぃぎぃと左右に振りながらこちらの様子を伺う鶴見中尉へはっきりと告げた。
北方領土へ逃げたキロランケ・白石・アシリパ・尾形を追って第七師団から先遣隊として鯉登少尉を中心に出動させようと考えていたのだが、その一人に多次郎が入りたいと立候補していたのだ。理由はキロランケ達に着いていったとされている姉・垣内民子のこともあるだろうが、今の口ぶりでは姉のことは二の次のような雰囲気で彼の目的は別にありそうな様子だ。
鶴見はかねてより自分の意志を持たない多次郎がここにきて明確な意思を持ったことを感じ取った。しかし、とはいえ相変わらず考えは甘く別段困ることのない相手ではある。
それに月島の命令には自分の命令より忠実に動く、向こうで苦労するだろう月島の助けになるならむしろ必要というべきか。
「いいだろう、垣内一等卒。先遣隊に加われ。姉については優先事項が低くても文句はあるまい」
ゆっくりと頷いた青年に柔らかい笑みを向けると、鶴見は「任務が第一だが、姉と無事に会えることを祈っている」と言う。こうして垣内多次郎は先遣隊と北へと進むこととなった。