血と肉と臓物、怒号と銃声が飛び交う戦場で青年は必死に駆け回っていた。
自分がどこを走っているのかも最早わからないくらい頭は回っていないが、「死にたくない」という強い気持ちが今の青年を支える唯一の支えだった。
一部の歩兵が昨日死地へ向かったことを思い出す。中には顔見知りも何人かいたが、彼らとはもうきっと会うことはないだろう。彼らはそのための特攻隊として編制されたのだ。
「うう、う」
涙のかわりに情けないうめき声が出る。砂煙と硝煙で喉はがさついており、心なしか兄の出す声と似ているような気がした。
底抜けに明るく、自身よりはるかにお人好しで人たらしだった兄、歳が一回り離れているせいでもう一人の父親のような人だった。自分にはないものをたくさん持っていて、たまに帰ってきた時は2つ上の姉とよく柔道や勉学の質問をした。でもその兄はもう見る影もなく病床に臥せていた。
正確には病ではなく、半身不随でもはや治る見込みもないという。それでも生きているので両親はあきらめずに兄の面倒を見ていた。姉には金持ちの男と結婚して兄の面倒を見させろと、自分には偉くなって兄のために稼いでくれと。
兄への愛情があるから彼も姉も頑張ろうとした。しかし成長して気付く、そこに自分たちだけの人生はないと。両親から自分たちに求められていることは『兄が生き続けるため』の何かなのだと。
だから彼は逃げた。出征できない兄の代わりに徴兵されたことを理由に家族から逃げたのだった。
しかし自分という個を求められない人生から逃げた先はこの世の地獄で、新しい人生は風前の灯火となっていた。
「死にたく、ない」
武者震いではなく恐怖で歯をガチガチと鳴らしながら青年は身を縮こまらせた。それから右手の手投げ弾に着火すると塹壕から顔をだして目いっぱい向こうへ投げつける。
いち、に、さん、し――
爆発音と共に血の雨が塹壕に降り注ぐ音がした。
頬を伝う誰ともわからない血しぶきを拭うことなく彼は走りだした。