酒井満雄、捕まる


「放せええええっ!!」

 北海道、春と言えどまだたくさんの雪が残る寒空の下、一人の男――酒井満雄が服をひん剥かれていた。
 首筋に赤黒い輪状のあざを作っているのは、杉元たちが仕掛けた人間用の罠に引っ掛かったからだ。
 男はがちがちと歯を鳴らしながらなおも自分を解放するよう彼らに訴えかけたが、拘束が外されることはなかった。鼻水を垂らしながら騒ぐ酒井を冷ややかな目で見ながら杉元は白石に尋ねる。
「ほんとにこんな根性無しが網走にいたのか?」
「俺だって刺青の入った囚人全員と顔見知りじゃないけど、こういう奴だって網走に収監されるんだよ。聞いてた特徴からして、酒井満雄で間違いないと思うけど……まあ刺青がなかったからそういうことじゃねえの?」
「くそっ、その坊主頭さては白石か? 仮にも一つ屋根の下で一緒に受刑した仲だろうが!」
「生きがいいなこいつ」
 呆れる杉元と白石に男はなおもぎゃあぎゃあとわめいていたが、様子を見に来たアシリパの姿を見た途端、突然押し黙った。力強いまなざしでアシリパの全身をくまなく品定めするように見る酒井に対して、不快感を覚えた杉元は無意識にぽかりと酒井の後頭部を殴りつけた。

「どうだ杉元、刺青はあったか?」
「ああ、アシリパさん。もう大丈夫だ、こいつに入れ墨はなかった、ただの腑抜けだ」
「そうか」
「おっと聞き捨てならないな、誰が腑抜けだって?」
「いや鼻水垂らして上半身半裸でかっこつけられてもな」
 刺青の有無を探すために脱がせたのは自分たちだったが、突然恰好つけだした満雄に白い目を向けた。
 満雄はきらりと目を輝かせて、アシリパの目を見て「可愛らしいアイヌのお嬢さんこんにちは、アシリパっていうの? 素敵な名前だね」とかなんとか言っていた。
「アシリパさんこんな変態に近付いちゃ駄目だ、下がって」
「変態じゃない! 俺は全ての女性に優しくする色男だ!」
「鼻水垂らした半裸の色男なんていねえよ」
 ぷらぷらと鼻水を垂らしてなおも主張したが、その姿はどう見ても変態だった。
 しばらく様子を見ていた白石だったが酒井の額を中指ではじいて、思い出したかのように話しだした。
「こいつはよ、酒屋の三男坊で女騙して女の親にしこたま自分の店の酒買わせて、全員に結婚の約束して結局それがバレて今まで口説いた女たちに無理やりされただのなんだの言われて網走に来たってな。おまけに逆上した女を数人殺したって話だから、下種な男がいるって噂になってたぜ」
「最低だな」
「杉元、こいつ熊の餌にしよう」
 なおも鼻水を垂らしたままの満雄は、それを聞くや否や「誤解だ!」と大きな声で叫んだ。
「俺はな、本当に決めた女以外抱かないって決めてるんだ。だから俺の店の酒を買ってくれたお嬢さんたちには一切手を出してないし、なんなら口だって吸ってない! 皆俺のことが好きになったから買ってくれたんだ! それが示し合わせたかのように俺を強姦魔だのけだものだの言われて、あることないこと盛り沢山さ。それに殺されかけたのは俺だし、そもそも俺は誰も殺してない! 俺がたまたま生き残ったからそうなったのさ!」
「いや、お前が話したことが事実だとしてもお前が最低なのは変わらなかった」
「手出すよりよっぽど酷い詐欺じゃねえか」
「やっぱり餌にしよう」
 なんでだあああと喚く満雄を冷ややかな目で見ながら、杉元は囚人ってなんでどいつもこいつも変な奴ばかりなのかとため息をついた。
 しかしこんな状況に陥ってしまい逆に困ってしまったのは杉元だった。刺青がなかっただけに余計な情報をこの男に与えずこの場をやり過ごしたい。見たところ他に誰か他の囚人と連絡を取っているようではなさそうだったが、それにしたってこの間抜けな男をこのまま「すまなかったな」と野放しにするほど杉元も考えなしではない。
 抵抗するようならば殺すつもりだったが、悪運が強いというだけで取り立て身体能力が高いわけではなさそうだ。この男を殺すのはアシリパも良い顔はしないだろう。
「さて、どうしたものかな」
「とりあえず連れてっちゃえば?」
 白石がそう提案して、杉元は「それはそれで足手まといだぞ」と返した。
 それを聞いた酒井は「そうだ! おいてけ! 俺は役に立たないぞ!」と悲しい主張をしたが、白石は「お前、その辺の女から情報収集しろよ。普通の女から」と言う。
 なんでも白石がそういった店から情報収集しても、そういう店に行く囚人以外の情報は入らない。
 しかし何人もの市井の女を口説き落とした酒井ならば容易いはず、そう思っての提案だった。
 杉元はしばらく考えたのち、白石の提案を飲むことにした。杉元は外で出歩くには目立ちすぎる相貌だし、アシリパはアイヌであるがためにまた目立つ。そして垣内という男も兵隊の恰好をしているが自分と同じくそういう立場ではなく、どうにも抜けているところが2,3ありあまり信用できない。白石も第七師団や他の囚人に面が割れていることが予想されるため、場合によっては危険が伴う。
 白石の言う通り、酒井ならば少なくとも自分たちよりは市井に住まう噂好きのおかみさんや娘の話を聞くことができるだろう。

「よし、わかった。そうしよう」
「嘘だろ兄ちゃん、俺にそんな価値なんてねぇよ」
「それはこれから俺たちが決めることだ。少なくとも現時点では試してみる価値はある」
「逃げたら脳みそ食わせるからな、逃げんなよ酒井」
「逃げたら杉元に追わせよう」
 拒否権などないことを悟った酒井はがっくりとうなだれて、「わかったよ……わかったから、とりあえずこれ外して着るものを返してくれや……」とくしゃみ交じりに彼らへ懇願するのだった。