酒井満雄は千鳥足


「爺さん」
「なんだ」
「美味いもんが食いたい、爺さんが好きなものでいいから美味いと思うもの食わせてくれよ」
 そばでそれを聞いた永倉は渋い顔をした。
 茨戸で土方に助けられたという酒屋の三男坊こと酒井満雄は、なぜかそのまま彼に着いていくと言い出した。
 ただのボンボンであれば弾丸の盾にもなるまい。永倉も、おそらく他の者もそう思っていたが、実際のところ戦闘に関しては本当に役立たずでしかなかった。
 基本的に土方や永倉の背に隠れるばかりで全くあてにならない。年寄りの後ろに隠れてどうする、と思わず言ったが「だって俺より爺さんたちの方が強いんだからこうするほかないだろ」と真顔で言うものだからどうしようもない。
「人にはさ、それぞれ役割ってもんがあって、俺は腕っぷしは全然だめだからさぁ。その代わり女絡みの交渉事なら任せてくんねえかな」
「男相手はダメなのか」
「男はね、結局暴力が一番効くのさ。どんなに口が回っても同性相手に完全に気を許す男なんざそういないね。それが効く男は所詮小物さ。でも爺さんたちが相手にしてるのは、そういう奴らじゃないだろ? だから強い男には暴力が一番。つまり俺じゃなくて爺さんたちってわけ」
 意外にもその言葉には納得できた。
 男相手に世辞を並べてもその効果は極めて短い。大体は最初から「世辞はいらん」と言われたり、後で「調子のいいことを言う奴だな」と思われるのが男同士の世界の話だ。この男はそれをわかっている。
 自信過剰な男も困るが、これほどまでに身をわきまえた男もまた厄介だ。こういう輩はいざという時にこちらからあっさり逃げていく。
 だから永倉は一度土方にそう進言した。だが土方は「役に立つ内は連れていく、自分からそう言った。自分の価値をちゃんと示すまでは奴も出ていきはしない」と返すだけでどこか楽しそうに微笑むばかりだ。

「なぁ永倉の爺さんもさ、アンタからもそう言ってくれよ」
「フン」
「なんだよ冷てえなあ」
 その後もあまりにしつこく言うので、折れた土方は「まあちょうど昼時だ」とため息をついて読んでいた新聞を折りたたみ立ち上がった。
「永倉、酒井、支度しろ。飯にしよう」
「はいよ」
 うきうきと上着を羽織る満雄を横目に、永倉も支度を整える。
 街へ出た三人は適当な定食屋へ入り席に着く。
 店員が注文を伺いに来ると、土方は「茶漬けに刻んだたくあんを乗せてくれ、あとは松前漬けを」と告げた。永倉は別に他の品を頼む。酒井はわくわくと「俺ァこっちの爺さんと同じものを」と言い、食後に汁粉を頼む。
「汁粉か」
「好きなんだよ。昔はしょっぱかったんだってな、今の流行りは砂糖を入れた甘いやつさ、アンタらも食べるか?」
「年寄りの胃には応える」
 などと言葉を交わしていると、茶漬けと松前漬けがやってきた。
 土方の注文通り、刻んだたくあんが乗っている茶漬けは特にそれ以外特徴はない。
「爺さんたくあん好きなのか?」
「ああ」
「なるほどなあ」
 ふうふうと息をかけ冷ましながら酒井は茶碗をかき込む。
 茶漬けとたくあんの塩気が程よく混じり合い、実にいい相性だ。それではやはり少し物足りないので松前漬けを一口放り込む。かずのこのぷちぷちとした触感と昆布の歯ごたえ、それから濃い醤油と酒の風味が広がる。
 と、そこで一度酒井は箸と茶碗を置いた。
「どうした」
「あ、いや、なんでもねえよ。たくあんの茶漬けは初めて食べたけど、これはなかなかいけるな」
 少し落ち着かない様子で、彼は番茶を湯呑に注ぎ足し飲み干した。
 茶漬けと松前漬けを平らげた後、汁粉をまたふうふうと息をかけながら食べていたが、体が温まったのか満雄の頬は赤く染まっていた。
 いや、それどころか汗をたくさんかいている。
 そこで土方は満雄の様子がおかしいことに気付き、その原因もなんとなく察しがついた。
「酒井」
「なんだい」
「お前、下戸か」
 そう尋ねると、満雄が汁粉を掬った木の匙を宙でぴたりと止める。
「……ああ」
「酒屋の三男坊が下戸か」
「意外だな、よく商売できたものだ」
「舌はよかったからさ、ほんの一口ずつくらいなら利き酒できたのさ。まあ、水を間に挟まないとすぐ酔っぱらっちまって駄目になるんだが」
「この松前漬けはまだ漬けて日が浅いのか、酒が抜けていない。そのせいだろう」
「いやあ、面目ねえ、情けねえところを見せちまって……」
 いつもの五倍ほどへらへら……というよりはもはやふにゃふにゃになった満雄は机に頬をくっつけながら、情けない顔で言う。
 そんな満雄に番茶を注いでやりながら、どうしますか土方さんと永倉は尋ねる。
「酔いが醒めたら帰って来い、一人で帰ってこれるな?」
 と告げて、店員に飲食代を払うと店を後にした。
 眠そうに目をこすっている満雄は自分が置いて行かれたことすらあまり認識できていないようだった。そんな彼の姿をちらりと去り際に見た永倉は思わず吹き出しそうになるのを堪える。
 楽しそうに口角を上げて笑う土方が「いつ帰ってくるか賭けるか?」などとまるで若い頃のように冗談めかして言うので、永倉も懐かしい気分になり「では日が暮れた後に」と土方に十銭硬貨を渡して帰路に着くのだった。