今日一日、ずっと気にかかっていることがある。
朝から相澤の元気がない。相澤は一人でいるときは大人しい印象で、少し気だるそうな雰囲気のときもある。でも、話し掛ければ口角を上げて、いつもにこやかにしていてくれる。それが今日は違った。いつもの調子で振舞おうとはしてくれていたみたいだけど、良くも悪くも嘘をつけないところがあるようだから、表情に影があるのも、返事がどこか上の空なのも、口数が少ないのも、隠しきれてはいなかった。ただ、周りに気を遣わせないようにしてくれていたのか、悟られたくないから誤魔化していたのか、真意はわからなかったから、とりあえずは様子を見るだけに留めておくことにした。
「はい、じゃあホームルーム終わり。気をつけて帰れよー」
帰りのホームルームが終わるといつも、教室の外で待つ友達の元に一目散で向かう相澤が、今日は席に座って頬杖をついたままだった。俺はそれを気がかりに思いながらも、部活の自主練に向かった。
「……あ、」
「どうした、南」
「教室に筆箱を忘れたと思って」
「取りに戻るか?」
「いや、……あー、うん、取りに行ってくる。先に始めててくれ」
放課後に筆箱が無くてもそう困るものではないと思ったが、やっぱり、取りに戻ることにした。忘れ物を取りに行くというのは口実に過ぎず、ひとり教室に残っていた相澤のことが気になって、様子を伺いに行くというのが本来の目的かもしれない。
「……相澤、」
教室の電気はすでに消えていたが、奥の席で相澤がひとり、机に突っ伏していた。声を掛けても返事がないので、寝ているのかと思ったら、鼻を啜る音がした。……もしかして、泣いていたのかな。
「もうみんな帰ったぞ」
「……南?」
「うん」
様子を伺うように少しだけ顔を上げた相澤の目元は濡れていた。俺は相澤の隣の席に腰を下ろして、何かあったのかと問いかけると、うーん、まあ、と煮え切らない言葉が返ってきた。
「……兄ちゃんと喧嘩したんだ」
相澤は掠れた小さな声で呟いた。お兄さんとの話はよく聞くが、どれも楽しい話、おもしろい話ばかりで、あまりの仲の良さに喧嘩なんて縁遠いと思っていた。実際に、日ごろ多少の揉め事はあれど、かれこれ何年も喧嘩はしていないと言っていたから、今日一日元気がなかった理由としては十分だった。
「兄ちゃんも大概……けど、おれ、結構ひどいこと言ったし、反省してて、自己嫌悪っていうか……。兄ちゃん、意地っ張りだから、口きいてくれるかちょっと、心配で。……気まずいし、帰る気、起きなくてさ」
喧嘩の理由を問えば、ちょっとしたいつもの言い合いが、今回ばかりはお互いどうしても譲れないことがあったみたいで、お兄さんの心無い言動に傷つき、そのまま怒りをぶつけてしまったらしい。傍からすれば「そのくらい」だ。でも、うちも弟とは仲が良いほうで、滅多に喧嘩にはならないから、喧嘩をして口をきかない状態が不安だという気持ちは、なんとなく想像ができる。話していてすっきりしたのか、相澤の声色にだんだん覇気が戻ってきた気がする。
「なあ、今日、部活休み?」
「ああ、休みではあるよ」
「……自主練、行く?」
「そのつもりではあったけど……どうかしたか?」
「ん、いい、なんでもない」
探り探りに聞いてきたのが、なんでもないわけがないと思って、遠慮するなよと付け加えた。相澤はバツが悪そうにして「寄り道、付き合ってほしいと思って」と言う。答えを迷うことなく俺は頷いて、やっと目が合った相澤は泣き疲れた子どもみたいな顔をしていた。
「学校の近くに美味いコロッケがあるんだ。どうかな」
「行きたい!」
今日、初めて相澤の笑顔を見た。部活帰りのコロッケは格段に美味いけど、目を輝かせながら勢いよく頬張って、揚げたての熱に悶えているやつの隣で食べるコロッケも、変わらずに美味しかった。
「じゃあまた明日!」
「ああ、また明日な」
昼にあまり話さなかったぶん、帰り道にくだらない話で盛り上がって、すっかりいつもの調子に戻ったことに、どことない安心感があった。通り道である相澤の家の前で別れて、押して歩いていた自転車に跨った。早くお兄さんと仲直り、できるといいな。