<読む前に>
この長編は、-モブ敵による 強引なナンパ行為 や 起きたら目の前に居た(もみ合い後 敵逃走)- などのシチュエーションが長編中盤で出てくる完全ハピエンストーリーです。苦手な方は回避して下さい。







bgm, Zedd / stay
その日の出は救難信号を掴む確かな灯台







いつもの受付の方ならきっと、スムーズにコミュニケーションが取れていたんだと思う。それが何故だか今日は変わってしまっていて、とっても難航していた。


診察は終わった。
薬も結果も明日でいいと言われた。だから病室に戻る。帰る。たったそれだけが、全くと言っていい程に伝わらなかった。


指を使って戻る、とサインを出せば、あぁと察したように得意顔で手を動かす。手話で何かを言っているんだろうけれど。

ごめんなさい、
逆に手話が分からない。

ただ声が出なくなっただけの私には、ちっとも解らない世界だった。でもそんな事がスマートに秒で伝わる程、私の毎日は簡単ではない。


ノートを取り出して、筆談で伝えようとした時だった。


「ここに居たんですかユメさん!ああ、僕が伝えますよ。彼女は私に用があるので、このまま連れていきますね」


違う違う。黙って。
それも違う。全然違う。

首を横に振ってみたが、彼は「いえいえ、いいんですよ、いつもの事ですから。遠慮なさらず」と、“謙遜した私”を、また勝手に突きつけた。


一方的に腕を掴まれて、人通りの少ないホールの隅へ追いやる彼は、えらく黒い笑顔で私を囲う。


次はいつ出られますか?
雰囲気の良い所あるんですよ

2人きりでゆっくりしましょう

心配ないですよ、
私が守りますから



悪魔みたいだと思った。
私の意思は届かないのなら、ある様で無い。

「嫌だ」も「違う」も、全部全部届かない。
どうせ終わりが見えない入院だ、抜け出せもしないなら、終われと、時々囁きが聞こえる。選択の自由がない人間は心が死ぬらしいと知った。

でも私の心は幸い、まだ生きている。待合室で隣合った老女とのお天気についての筆談、ハンカチを拾ってくれた坊やとの、ありがとうの渡し合い。

私の横を何も知らず通り過ぎるこの人たちは、自由に日々を暮らしている。こんなにも傍に自由があるなら。いつかはきっと、せめてここから出る事くらいは叶うはず。そう思うと、握り潰されても諦めたくなかった。

そして何より、こんな汚い悪魔共に屈服してなるもんかと、全力の否定を諦めたくなかった。


「昨日の続きしましょうね。私は今でもいいんですよ」


私は悲鳴をあげた。
喉が枯れるほど全力の。
きっと世界が揺れる程の声量なんだ。発せてさえいれば。

私の声は誰にも聞こえない。
どれだけ叫んでもこの声帯はもう声を作らない。発せない喉で声を出しても、それはただ霞む息が抜けるだけとなる。

でも。
どうせ届かない。そう解っていても、まだ足掻きたりない。部屋の外にそっと置かれた、花壇から摘んで来たようなお花とか、そんな、世界は本当は優しい事を忘れたくはなかった。


嫌だ 触るな お前なんかが
嫌だ 誰か 助けて
聞いて、私の声を


喉が酷く痛む、血の味がする。泣きたくなんてない、お前たちのいいようになんてされない。もっともっと、刺すように強い意志を持って反抗したい。

掴まれた腕を全力で振り払い、その隙をついて、紙に書いた嫌だを、正面からコイツに突き付けたかった。私の意思を証明したかった。


「Heeeeeey!!久しいねぇー!」


荒ぶる静かな攻防戦が止まったのは、そんな全力の悪あがきが丁度、廊下へ叩き捨てられた時だった。

テレビで見た事のあるヒーローが、派手に私達二人の間を割って入り、身体を抱き締める。

耳がキンキンして、抱き締められたままターンに巻き込まれて、重心がおかしくなりそうだ。
そんなフラつく私を、彼の死角になる所で止めたその人は、こっそり、まるで時を止めたみたいに、こう呟いた。


「…呼んだよな?エンジェルちゃんはyouであってんの?」


意思に反して?いや、反してなんていない。心の声を汲んだ私の体は、「頷け」と脳から司令を出すより先に、勝手に全力で動いてくれた。


「随分手荒いネェェ。…お宅、どなたで?」


この人もまた、恐ろしくドス黒い顔をする。でも、この展開の訳が分からないなりに、救われている分、救世主の雷に見えた。彼は、病院の悪魔たちのような黒い人ではない。


「病院の依頼で彼女に当てられた、付き添い担当のプロヒーローです。彼女は助けを求める事が出来ないので、守るためにガードの私が当てられています。…そちらこそ、貴方ほどの方が何故ここへ?」


「旧友との再会だよ。なぁ?」


向けられた笑顔に乗って、何度も頷いて見せた。彼が居るうちは大丈夫だと確信した私は、抱き留めてくれた腕を解いて、落ちたノートとペンを拾う。

真っ白なページに、大きく「久しぶり、会いたかった!!」とだけ書いた。


「つー事だわ。面会終わったら部屋までお送りするんで、そこんとこ宜しくヨーチェケラ。…帰っていいよ」


プロヒーローのカーストを目の当たりにした彼は、あれ程のしつこさだったのに、諦めてぐぬぬ顔で帰って行った。



「何アレ?…どういう状況?」


誰もいなくなった院内の片隅で、私達はただ、脱力したように立ち尽くしていた。


荒だった呼吸は落ち着けたのに、金魚の水槽がポコポコと。壁掛け時計の秒針はとてもうるさく私達二人を包んでいく。

この人が一番混乱しているのかもしれない。でも負けないくらいの衝動が、また私の中に沸いては鼓動を早めたから、彼の腕を掴んで自動ドアへと走り出した。



-お願い、着いてきて

早く、と、叫んだつもり。
指でもサインを出した。


このサインが伝わったかは不確かだ。声は届く筈が無いのだけれど。なのに彼の瞳の瞳孔はやっぱり、まるで伝わったかのように私に返事をくれた。



自動ドアを抜け、革ジャンを引っ掴んだまま進む。私の全力より早いだろう彼は、大人しく私が連れて行きたい所まで、確かな足取りでついて居てくれた。

敷地の広場を抜け、顔を守りながら垣根の隙間に体を押し込む。病院と隣合う山の手と、敷地の境界線にある秘密のお庭に転がり込む。

勢いで落としたノートは、今しがたでっち上げた、「久しぶり、会いたかった!!」のページで開いた。


四つん這いの私はそれを、両腕の間から見下ろしていた。涙がぼたぼたと溢れて止まらなくて、どんどんインクを滲ませていく。しかしこの澄み切った感動を前に、悲壮感は微塵もなかった。



「さっきよ。助けてって言った?祈ったとか、願ったとか」


鼓動が早くて手が震える。ペンを握った私は新しいページをめくった。


-はい。

「声…じゃなかったよな?」

-声は出ませんが、
-大きく叫びました。


そこまで書いた私は、不思議そうに答え合わせをする彼に歩み寄りたくて、大きく息を吸い込んで、またあの瞬間のように力の限り叫んだ。どれだけ叫んでも声にならないんだ。そう思いながら。


「待て待て待て!!もうするな!…本当は痛いんだよなァ?」


荒い呼吸で弾む肩を、ゆっくりと撫でてくれる。本当は痛い?そんな事は考えた事がなかったけれど、彼がくれた言葉を咀嚼すればする程、甘やかで涙が止まらなかった。


「名前は?」


緑色の瞳は確かに私を捉えていた。慌ててユメですと殴り書きをする。トンと、ペン先を付けた頃、私の世界は一瞬にして綺麗に塗り変わった。


「OKユメ、やっぱりだ。間違いねぇ。オレ、それ聞こえるみたいだわ」


嗚呼、神様。
私の声が届いた。

そう思うと、次から次へと溢れてくる。目の前で広げられた腕の中に、吸い込まれるように倒れた。


「ああ、大丈夫だ、大丈夫。それもちゃんと聴こえる」

繰り返される魔法の言葉に、本当は辞めてしまいたいと揺らぎそうだった心が、確かに芯を持っていく。



「なぁ、初対面でも解るあの胸糞悪ィ…アレは何なんだ??」


どれだけ抱き合っていたか解らない。彼は座り込んで開いたあぐらの中に私を迎えてくれていて、溢れて止まない涙をずっと優しく拭ってくれていた。その間に挟まれたノートは既に、水分と圧でぐちゃぐちゃに折れ曲がっていた。

頭を何度も撫でて、溜息ながら空を仰いでいた彼が、ふと私を見る。


-私は声が出ません
-彼は私が出歩くのを着いて回る、私を強引に口説こうとする人。


折れ曲がったノートを開き、まる。と書いた頃、見上げた彼はワナついていた。額に浮いた血管を見れば、怒り心頭なのがよく解る。
感情を荒らげてくれる事が素直に嬉しかった。
そしてそう思える程には、お陰様で落ち着きを取り戻した自分がいた。


「ハァ?乙女がぁ?悲鳴上げるほど…嫌なんだよなァ。…張り倒す?」


-駄目です。
-今は、ここまで。

-このノート、持ち帰って、代わりに捨てて下さいませんか?バレてしまう。


「何か出来ることは」


-友達になってください
-貴方が居るなら、私は無事。


彼はとても聞き分けの悪そうな顔をしている。こんなにも取り乱したんだから無理もないのだけれど。

でも今は、こんな頭が回らない私では最善策が解らない。だからといって、唯一の光を見つけたんだ、この手はもう離したくない。どうせなら綺麗に救われたい。だからは今は。


-嬉しかった、ありがとう。


そう書き足して、やっと彼は諦めてくれた。先に立ち上がった彼に手を引かれて立ち上がり、さてと垣根を睨む。あたかも入水覚悟の様な一呼吸は、彼と見事に重なっていた。


もう一度緑をくぐり抜けて、病棟が近づく頃、全く違和感の無かった繋ぎっぱなしだった手をやっと離した。

約束通り、部屋の前まで送り届けてくれた彼とは、どちらともなく、ここまでずっと沈黙を守っていた。


「いい子で待っててな、可愛いチャン。また明日」


必ず来て。そう伝える?
ありがとう?おやすみ?

目の前には騒がしく急変した人生と、私の声が届く人。ドアを締めきれず惑い続ける私に、彼は確かな明日を囁いた。




【その日の出は救難信号を掴む確かな灯台】






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