BGM:Shawn Mendes/24 Hours
ロッキンガールの凱旋





病室の扉を開けた瞬間のひざしさんは、今までに見た事がないくらい取り乱していた。

ボロボロで泣きじゃくる私を見てから、鬼のような形相を懸命に耐えるように、グローブが軋むくらい両手を握りしめて、そして目を閉じて、逸らしていった。

あんな顔をさせたくないと決めたトドメがこれだ。今日が私達にとって一番痛む日になるのかもしれない。

だから病室で名前を呼んでくれたのを最後に、声を聞いていない。攫うために抱きかかえてくれたその瞬間から、目はそれ以来だった。



ひざしさんは玄関を開けて、
土足で部屋を突っ切った。

ソファーの肘置きにクッションを整えて、寝かせる様にして腕を引き抜くと、直ぐ部屋から毛布とノートを持ってきて、私の隣に置く。その後お風呂場に消えて、お湯の音をさせて戻って来た。

そしてやっと声が聞けて、
少しだけ棘が抜けた。


「悪ぃ…全然無事に見えねぇんだよ…場合によっちゃ風呂は使えない」


確かに何をもって無事と言うのか解ったもんじゃない。怪我はしているし、どう見ても事後の様な有様であんな風に泣いてしまった。

客観的に見たらNOに該当したかもしれないと思うと、返事の仕方を間違えたかもしれないと思った。
でも、今回だって最悪ラインは回避されたんだ。そこは紛れもないYESだ。


「ゲスい事聞くけど許して。
…どこまで何された」


-脅しに来ただけです
-起きたら乗ってて、
-揉み合いになりました
-証拠、あります


携帯でそう打ち込んで見せて、データ一覧を出す。薄暗くぼんやり光る、豆電球の色をした小さなサムネイルは懲りずに心臓を脅してくる。

数秒の躊躇いを察して、驚いたひざしさんは手を止めようとしたけど、見て欲しかった私はその手を振りほどいて押し返し、再生を押した。


画面はしばらく壁を映し続けた。影が現れるポイントを探って、動きを見せた箇所の少し手前で指を止めた私は、短く息を吐いてひざしさんの手を握る。

ひざしさんは、手繰り寄せた毛布で私を包んでから抱き寄せてくれた。

逞しい胸の中で吸い込んで吐いた、あたかも入水覚悟の様な一呼吸は、垣根の先を睨んで飛び越えた時と同じ様にひざしさんと重なって、今から一緒に戦いに行くんだと、多大なる勇気をもたらした。



一番の恐怖は、眠っていて私が見ていない冒頭、目を覚ます前にあるのだと、画面の中の照明が揺らいだ瞬間になってからやっと思い知った。

足元に男が立ち、
また目が合ってしまった気がして、握り合った手に力が篭もる。ひざしさんは動画を止めるかと聞いたけど、私はそれを頑なに拒否した。

乗り上げた男は身体を跨いで、おもむろに上がった両手が画面に向かって大きくなる。私の頬を繰り返し撫でていたと知って戦慄した。同時に掻き毟りたい衝動に駆られて、唇を噛み締めた。


気持ち悪さの極みだ、顔面はその手と同じ位置に追いつこうとした。その瞬間、私の右手が天井に向かって上がる。

私だけが夢の中で見た、
太陽を掴む手だ。


男は慌てて手首を捉えて、そこから見覚えのある動きを見せる。
正直、ホッとした。
これ以上の事が無かった事に。


一番の恐怖は終わった。
しかし、頬の気持ち悪さを除いて安堵した私の代わりに、次はひざしさんの手に力が篭もっていく。


…そうだ。一番の恐怖は、見ていない事なんだ。それを言うなら全部、ひざしさんは全部見ていない。


ゆっくり隣を視界の隅に入れると、握られた手の力は随分優しいのだと思い知らされる。それくらいミスマッチな眼力で、鼻筋から上をひくつかせていた。

書く暇が無くて、慌てて一時停止を押した。振り向いたひざしさんの頬に手を添えると、怒りを瞑って歯をくしばり、大丈夫だと私の手に掌を重ねた。

続きを始めた画面の中の私が捕まる度に、ひざしさんは同じ箇所をちらりと見る。怒りの渦中でも、怪我をした具合を確認するような冷静さがそこには含まれていた。


それにしても、
あの時、シャボン玉を出しておいて良かったと思う。不穏さの逆行で、少なくとも私には、逆立つ気持ちを宥めてくれる効果があった。誕生日のクラッカーみたいで、画面越しでもかなり綺麗に映っている。

そして、この時ばかりは楽しかったなぁと。この人を思い出したお陰で勝てた事が嬉しくて、完全に気分は
“Congratulations”だった。


敵は去り、
私だけの世界を取り戻した私が
画面いっぱいに広がる
シャボン玉の中で、

英雄に教えて貰った、
下手くそなロッキンポーズで
歯を見せて笑う。


こんな完璧な戦い、
楽しくないわけがない。


画面はポーズを決めた後の、私の指のアップで停止した。



撮っておいて正解だった。
私はこれを今見る事で、画面の中の自分自身に不屈の強気を貰った気がする。


でもその一方で、残酷な事をしているとも感じた。彼に酷いものを見せたと思うと、そこだけは正解が解らなかった。

一瞬怯んだ私に止めるかと聞いてくれた心情を思うと、確かめなければいけないのに、見ていられない葛藤と、こんな思いをさせたくない恐怖が、嫌なぐらいリンクする。

まるでひざしさんの想いが流れて来るようで胸が重く痛み始めた。息が、止まりそうだ。


一番の恐怖は、
見ていない事なんだ。

それを言うなら全部、ひざしさんは全部見ていない。これから私が明かすつもりの真相を、ひざしさんは何も知らないんだ。それでもそれを望んで、飲み込む気でいるなんて。



幸い、私の大きな戦いの一つは、真相を話すと決めてひざしさんを呼び、ここへ来た時点で終わっている。少しの不安はあれど私はもう勝っているし、誰にも負ける気がしない思いでいる。

じゃあ、今感じたその不安はなんだといえば、伝えた後のひざしさんの心でしかないんだと、残酷にリンクした今になって気が付いた。

世界が二人だった事に気がついた時から、既に、互いの心を引っ掻いてえぐり合うような、琴線に触れる関係だったのかもしれない。こんな思いまでして私達は伝えあわないといけないだなんて。


私は彼の光になれるだろうか。

力強くどこまでも遠くを照らす、
ひざしさんの緑色に輝くフレネルの瞳みたいに、私を導いてくれたみたいに、助けてくれたみたいに、次は私が助けに行く番かもしれない。



-ひざしさんが助けてくれたんです。
シャボン玉、可愛いって言ってくれたの思い出して、嬉しくて使っちゃいました。

-手を挙げたの、寝相なんですよ。

-夢の中で、
-ひざしさんの手を掴んだんです。
-いっしょに戦ってくれてありがとう



彼の顔を見る事は叶わなかった。代わりに癖になりそうな温もりに包まれて、お風呂場から軽快な音が流れてくるまでの間、ずっと心臓の音を聞いていた。



ロッキンガールの凱旋





 






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