BGM:eppure Sentire(un senso di te)
ハムレットの告白









無事、?
これの、どこがだ?


「ユメ?」




無事と返された返事を、酷く裏切られた気分でいた。荒い呼吸は暫し目を霞ませる。もう少しボヤけていた方が都合が良かったのに、暗がりでも解像度だけは残酷に鮮やかで、荒れた部屋のベッドを発信源にして、ユメの泣く声が響く。


この泡の惨劇はなんだ?
ユメの出す泡ならもっと輝く筈だろ。何故こんなに濁り溜まって、美しかった花は萎れているのか、理解が追い付かない


ふざけんじゃねえよ


憎しみに似た怒りと不甲斐なさが脳内を駆け回って、ユメを見ていられない自分がいる。俺は何故帰ったんだろうか、守るのがヒーローだな。
じゃあアイツは何のつもりなんだ、そして俺は何なんだ?ひとつも取りこぼしたくねぇよな、何故守れない。ユメの意志とは、望む形とは、最善とは。これが最善であったとでも。まだ言えないのか、これでもかだろうか

ふいに、なぜ手を伸ばすのだろうと、ピンと来た糸に引かれるような言葉がよぎる。その手には俺の名前が浮かんで見えるっていうのに。


なあユメ。何処へでも行くさ。探すさ。でも聞かせてくれよ。俺にしか聴こえない声を辿って、俺が見つけ出したとして。

次は救われてくれんのか?
次は来るのか?
俺は、本当に…教えてくれ。
なァ、俺の声は、届いてんの?
届くのか?


抱き上げたユメの掌には全部の指の爪痕があった。指先から暴発したように液だれする溶液で、何も触れられずに涙も拭えないままでいたんだろう。



-連れてって
-私をたすけて
-ぜんぶはなすから



泡だらけで光ったままの携帯は、ユメに変わって新しい意志を伝えていた。


そうか話してくれるのか。
やっと手を取って貰える。
どいつをぶっ飛ばせばいいんだ
さあ教えてくれ。
俺は何と戦ってんだ


しかし念願だったのに、画面に残ったメッセージは素直に喜ばしくはなかった。この惨劇以上があるのと思うと、一瞬怯んだ自分がいる。


こんなにも手遅れだった自分、腕の中には新たなアザを付けた、日々の中に居なかった顔をしたユメがいる。

この怒りを持ってすれば必ず勝利できる自信があるのに、こんな風になってしまったユメを見る衝撃を覚えた俺は、全てを見る怖さを拭いきれないでいるのかもしれない。








-脅しに来ただけです
-起きたら乗ってて、
-揉み合いになりました
-証拠、あります


意を決して無事の意味を埋める中、証拠があると言われて、あんなにも泣いていたユメが、妙に飄々とした態度になっている事に納得がいった。

ユメはいつも、挑み立ち向かう時こんな風な顔をするから、痛みを掘り下げに行こうとしている事に直ぐには気が付いてやれず、リアルなあの部屋のアイコンを押そうとした指が惑ったのを見て、やっと事の重大さが追いついた俺は慌てて止めた。

しかし、この戦いに備えていたとでも言うような強い意志で、直ぐ手を振りほどかれてしまった。

事件をフラッシュバックさせようとするこの行為の意味とダメージをユメは理解しているのか?そう心配したが、自ら手を握ってきたユメが短く息を吐くから、どうなっても俺に見せる気なのだと解釈した。

過去に駆けつけることは出来ない。それでも過ぎた恐怖を追いかけなければならないのなら。今目の前のユメが受ける衝撃を少しでも包んでやれたら、そう願って抱き寄せた。


男の影で壁が揺らいで、緊張感より憎悪が沸いてくる。今すぐここへ駆け付けたいのに、その今がもう無い事に想像以上の敗北を感じる。

ただ歯を食いしばるしかない、手も足も出ない自分をユメの手が宥め、震えるユメを俺が抱き締め、忍び寄る男の影を睨む。

男が画面の中心を向いた瞬間、ユメの手に力が篭もって、嫌でも胸に衝撃が流れてくる。
もうやめてくれと、せめてお前はもう見るなと、もうこれ以上恐怖を食うなと願うのにユメは震えて尚、やめてはくれなかった。

ゆっくりと乗り上げた男はユメを跨いで、ユメの頬を両手で挟み、何度も撫でる。

ユメは今までも、こんな、無情に再生される恐ろしい光景を、痛みを伴って見てきたのか?出会った日がなぜもっと早くなかったのか

今すぐ目を隠してやりたいのに、ユメは唇を噛んでまで、憎いだろう男の顔が寄る様を睨む。


すると驚く事に、画面の中のユメが不自然な動きを見せた。

狙った訳ではない宙に、
真っ直ぐに掌が上がった。


その手を男が掴んでユメが目を覚まし、異様に見えたその行動により唇を守った事は解った。



眠っていても、目を覚ましてもこんな情景なら、ユメの安息はどこにあったんだ?激しく拒絶する対象がこんなにも容赦なく、ユメの心を折ってきたのか?

ユメは戦いと言うだろう。
でもこれは、防衛とすら言えない足掻きだ。

しかしこの足掻きがユメの最大の戦いだ。俺が何故ここで力を貸してやれないのか、救ってやれないのか、この足掻きを取り上げて、俺が全て無かった事にしてやれないのは何故だ

怒りにまみれるのに柔らかな日々が浮かぶ。どんな思いでそのアザを消してきたのか、今胸の中に抱く塊はユメであるのに、画面の中に置いてきてしまったような気がしてくる。


画面が停止している事に気付かず、ユメの手の温もりでやっとそれを理解した。

この暖かさが、ユメの眼差しが、とても懐かしい気がする。意識が戻るまで難しい顔をしたかもしれないが、お陰で毒気が抜けていく。そうだ。今と、これからを救いに行くんだ。



画面中にシャボン玉が飛んだ頃、やっと爪痕の意味は明かされた。

泡を咲かせたユメの背中は、後ろ姿でありながら敵が去っても尚、屈しない意志を感じさせる。そして衝撃を受けた。


会いに行く度に見せた、いつものはしゃぐ笑顔で、ユメが振り向いたからだ。

何でこんなにも楽しそうに笑っているのか想像もつかなかったが、画面の中のユメは歯までみせて、カメラ目線のロッキンガールを決めている。


抱き寄せていた腕からモゾモゾと抜け出して、誇らしげに紙を差し出すユメを見れば、画面の中のユメと同じ表情で笑っていて、戻ってきてくれたんだなと感じさせてくれた。




-ひざしさんが助けてくれたんです。
シャボン玉、可愛いって言ってくれたの思い出して、嬉しくて使っちゃいました。

-手を挙げたの、寝相なんですよ。

-夢の中で、
-ひざしさんの手を掴んだんです。
-いっしょに戦ってくれてありがとう




また俺が、居たってのかよ

証拠ってなんの証拠だよ、
一体誰に見せるから
そんなポーズとったんだ。


また右手に書いた、
あの日のひざしを掴んだのか?

「ねえみてひざしさん」
そう聞こえるのは俺の幻聴か

こんな全身で
愛を叫ばれたんじゃあ


まだ何も解決していない。渦中にいるんだ。それなのに、ユメが楽しそうにする理由に日常を取り戻したような気にさせられて、抱き締めたユメの背中を両手で撫でた。

ユメの身体がある事を確かめ続ける中で、お風呂が沸きました、と、暮らしの音が流れていく。



これから俺は知るんだよな

どんなでもいいなもう。お前の痛みを持って殴りに行けるなら



ハムレットの告白

 






fix you