BGM:手嶌葵/オンブラマイフ
バスルームの中で肩を啄むような









手を取り合って視界を取り戻した私たちは、改めて広がった大惨事を眺めて、移し合うように笑っていた。


-酒乱が大暴れした、みたいな事に。

「…ホントだわ」


ひざしさんは靴を履いたままだし、私が沢山ちぎったノートは無数に敷きつめられて広がっているし、ソファーは半乾きの泡でベトベトだし。

こんなにも笑いあっているのに私の耳には相変わらずひざしさんの声しか聞こえなくて、幸せだった。


ブーツを脱ぎ始めたひざしさんの隣で紙を全部集めていたら動きを制されてしまって、ソファーに戻された私は、またノートとペンを渡された。

こうしていつでも話せるようにしてくれる所は、なんでも話してよって言われているみたいで。私は甘えてまたペンを走らせていた。



-驚かせてごめんなさい


ワイパー片手に足跡を消しながら戻ってきたひざしさんに、新しく書いたページを見せた。次はちぎらずに、書いた分をめくって読んでもらう事にした。


「んー…どこにかな?ユメちゃん。割と全部だけどォォ?」


鼻歌を歌いながら、綺麗にすることしか見ていない視線は未だ靴跡だけれど、目はとても床を見ているとは思えない温度で優しく笑っている。まるでいつもの私達が帰ってきたみたいで、洗われていくようだった。


-あれ、泣いてたの、怖かったんじゃないです


「あー……解っちゃったかも俺…それ、…ずっとだけど、」


ワイパーの棒に絡む様に手を止めて、一度天井を仰ぎ、片足重心になったひざしさんは次を見せて欲しそうに頭を傾けた。


-覚悟してても、話そうって決めてても、上手く行かなくてひざしさんと会えなくなったらどうしようって最後まで不安で。それが怖くて、苦しくなってしまって。来てくれた貴方の足音が聞こえて、そしたら取り乱したみたいに止まらなくなっちゃった…あの人が怖かったからじゃない


とっくに掃除を諦めたひざしさんは、私の隣でノートと私の顔を交互に見ているようだった


-あの夢は
-服のまま、沈む夢でした。
-とても苦しかった。
-水面に日が、射してて



そこまでしか書いていない私にひざしさんの目が追いついてしまって、私の手は諦めるように止まってしまう。代わりに、だからこんな風にと手を伸ばして見せて、続きを考える過程で水面のヴィジョンはまた胸をぎゅっとさせた。


「…甘すぎ、ユメちゃん」


突然抱き上げられた私からはノートとペンが転がり落ち、ひざしさんからはワイパーのスチールが落ち。二人分の落し物が、心臓と一緒に弾んでいるように思えて、無駄に音を盛り上げていく。


お風呂場の扉を蹴り開けたひざしさんは、驚く私を他所に、服を着たまま、やけにゆっくりと片足ずつ、私を抱えたままバスタブに沈んだ。

ぬるくなってしまったお湯を吸い込んで皮膚に張り付いていく服の圧は、あの川の感覚によく似ている。
でも目の前にある顔のお陰で悲壮感も、恐怖も感じない。ただ目を閉じる前の花の彩りだけがひざしさんの輪郭に沿うように思い起こされて、やけに神聖を宿していた。そもそも私だけ声にならないなんてのがマズかったんだ。


「好きって……言ってるようなもんだよ、ソレ」


私の心臓はよく喋るけど、ひざしさん程じゃない事が喉元を見れば解ってしまって、ひざしさんの口が何を言ってるか、少し分からないふりをしたくなる。

喉が詰まりそうなこの瞬間を、答えずに閉じ込めておきたくなるのは私の悪い癖なんだろうか。
私が今応えられるのは唇の造形か首を振る事くらいしかないのに、少しでも動けば何かを答えてしまうなんて、まるで蜂の巣にされたように動けない。


琥珀糖の様な瞬きが行き場をなくした私を写す度に、首に回した手のやりどころに困る癖に、もっとよく甘さを味わいたくて、想いが勝手に、追い詰めるように、角度を変えて、濡れて張り付いた服越しの肩に薄く歯を立てた。

服を掴むひざしさんの指に力が籠るのが解ってしまって、私の心臓は酷い波形を描いただろうな、その溜息は雨を宿した朝の霞の様に思えてどうしようもなくなってしまった。

震えながら息を吐いて受け取るひざしさんは、逃げる気なんて初めから無い程なのに精一杯甘さを飲み込んでいるようで、ひどく耽美で官能的だと思った。


「ユメちゃん、口開けてご覧」


ゆっくりと突き放されて水流が二人を割いていく。ひざしさんの掌は私の襟をずらして肌を撫でながら肩の丸みで止まり、長い髪を絡ませたまま雫ごと肌に歯を立てた。


「少しづつ食べような」


暗示をかけられたように開いてしまった口から、霞んだ大袈裟な呼吸が逃げていくのを、目を閉じて見送った。


「一口ずつな」


川に流されたような感覚がする。
私が次に目を開けた時には、抱き直されてお風呂場の天井を眺めていた。

後ろから抱き締めるように浮かぶ私はそれこそ、あの夢を再現しているような浮遊感だった。


「YESは1回、NOなら2回握って。ユメちゃん、まだその夢思い出す?……苦しい?」


濡れ合った二人分の左手が背中合わせで重なったのを視界の端で捉えて、私達と同じだ、とふと思った。

苦しいかどうかなんて
ひざしさんが甘くて苦しい以外なら、まるであの夢とは違うかけがえの無さがある。


「…沈みそ?」


うなじと首筋、背中と胸は、仲睦まじく綺麗に抱かれて、哀しさなんて付け入る隙も無い。


「手ェ、やって」


空いた掌は右手しかない。
天井を掴もうとした手にはやっぱり、ひざしさんが見える。


「俺は、どこか、いきそ?」


六度絡めた幸福が
こんな奇行の意味を連れて来て
それを噛み締めた七度目に

私は、
悪夢を塗り替えてくれた
想いを込めた。



湿度に包まれた静かな会議室で、明日から忙しくなるから、今日はゆっくり眠ろうな、と言って頭にすりつく頬を感じながら、私はもう一度、浸る様に目を閉じた。





バスルームの中で肩を啄むような

The Sixth Happiness



 






fix you