BGM: Avicii /You Make Me
フレネルの眼光と爪先を瞬かせるような







前はカーテンを開けるのが嫌いだったな。そう思いながら、晴れ晴れしい気持ちで、さして遠くはない日々を振り返る。

だから今日は全開にして、
ゆっくりとロックを外し、
窓を開けた。


雲が綺麗だ。
群青を引き立てて、立体の白が空をどこまでも彩る。昨日までの事が嘘みたいに感じるけれど、あれが幻だったとしたら、この清々しさに説明が付かない。


こんなにも
明日が来る事が嬉しいなんて。

もう始まるんだ。
そう思うと胸が大騒ぎする。部屋の内側へひらつくカーテンが、そんな私を落ち着けるようにそよいだ。



ご飯は、いつ来るかしら。
ノート、今日は無いんだなぁ。

そろそろかしら。


色んな事を考えるので忙しかった午前中はあっという間に通り過ぎて。時計の針を一度だけ確認して、扉の外へ顔を出す。



11:40

廊下を漂うは。ワゴンの音。
昼食の香り。

手を合わせて、
頂きますの代わりに、サヨナラを。


窓際に帰った私は、
空に向かって
沢山のシャボン玉を飛ばした。

あぁ、
日が射して一段と綺麗だな。




皆さん、ご飯が来ましたよ





無数の泡は風に乗って空へ、
上へ上へと舞い上がる。

そして、重役フロアに限りなく近い屋上へ。シャボン玉は遂に、街を眺める二人の男の元へと届いた。



「きたぞ」


「ちゃんと持ってくからなァ」




幾つも舞う泡の中から、小さなシャボン玉を掴まえた手を握り締め、空へ飛び込むために駆け出した男と、擦れ違う様に軽く手を合わせ、颯爽と歩き出した。





「コンコーン お届け物デェス」


返事を待つもりもなく蹴り開けたドアが派手な音を立て、たった一箇所の蝶番にぶら下がる様にして外れた。



「よぉ…院長サン」



ひ、と短く声を上げた男は、
その歪んだ形相に行き場を失い、言葉にならない声を発しながら、恐怖で固まった足を引き摺るように後ずさる。


すかさず放たれた拳で、大きなデスクを迂回するように壁に打ち付けられ、私は何も と情けない声が響いた。



「己に返っただけだろうが」



吹き飛ばして尚にじり寄る男に悲鳴を上げ、身体を翻した院長は、逃げる様に非常梯子のある窓へと駆け出した。


開けられた窓からは高層の風が吹き込み、数枚の書類がデスクから床へひらりと落ちる。しかし、男が梯子に手を掛けることは叶わなかった。



「お偉いさん程、先に逃げるって決まってんだよ」


空からぶら下がる、逆立った黒髪が恐怖を煽るように揺れる。

ギラギラと光る赤い閃光に囚われて立ち尽くす院長は背後から蹴り飛ばされ、廻るように反対側の壁へ張り付き、うずくまった。




「こちらイレイザー。院長捕縛。
轟、飯田、緑谷」


「はい!」



重なって応答する声と同時に、大地を引っ掻くような轟音を立てて、地表から氷壁がそびえ立っていく。



「対策本部へ連行する。このまま速やかに、四階のみ避難誘導開始」



ダイヤモンドダストのような結晶を掻き散らしながら、氷の坂を駆け上がってきた生徒と入れ違う様に外へ出たイレイザーは、そのまま一階の応援にあたると残して、院長と地上へ降りた。



「誘導後、確認が終わり次第二階の応援へ行ってくれ。頼んだぜリスナー」



四階は設備的にも時間的にも人が薄い。重役の個室以外には、会議室や病院関係者が出入りする部屋しかなく、それ程時間はかからない。

スピード重視の配置もあり、想定通りに四階の無人を確保した一行は次に、探知班へバトンを継ぐようにして次のフロアへと向かった。



「こちら探知班!イヤホンジャック クリエティ テンタコル、院長室入りました」



「クリエティです。指揮を努めます。これよりフロアごとに避難を始めます。二階、聞こえますか」



「こちら二階 ウラビティ、ピンキー!寝たきりの患者、及び重病患者の優先避難を開始します。ピンキーは三階フロッピーの応援へ向かいます」


「これだけ開けば…よし行ける!じゃあ次行ってくるね!」



大きくあいた壁は、ベッドが通り抜けるには充分な程、くっきりと切り抜かれて街が見える。

上階から続く、氷の坂を滑り降りる応援班が到着したのはほぼ同時だった。



「麗日君!」


「患者さんは!」


「もう浮かせておいた!!後は避難だけ!奥にミッドナイトさんがいるから、そっちもお願い!」


「インゲニウムが行きます」


「麗日さん!降りたら増援を!」


「解った!」


「こちら二階 ミッドナイト。赤ちゃん達はぐっすりよ。インゲニウムと合流したわ、これより母子共に避難に入ります。

…さあ、ゆっくりおねんねでしゅよ。もおっときれいなところへいきまちょうね」



第一陣は直ぐに入院患者をベッドごと避難経路の坂を下っていき、敷地待機の人員へ引き渡すと、残りと同数の応援を連れて避難へ戻る。

瞬く間にベッドの列は避難本部へとはけ、スヤスヤと眠る赤子を連れて、残りは焦ること無くゆったりと芝を踏んでいった。




「こちらウラビティ!二階 避難完了。無人確認に入ります!………………エレエレエレエレ」


「飯田君、麗日さんをお願い!無人確認は僕が行きます」


「解った!」


「クリエティより。一階ロビー班聞こえますか。二階は避難を終えたそうです」



「早いな…こちら一階ロビー班 瀬呂。ゲート前はテープで誘導路、設置完了してます。これより潜入済みのB組と、夜間出入口と正面玄関の二箇所から避難誘導を開始します」



「こちらイレイザー、瀬呂と合流。院長は対策本部ギャングオルカへ引き渡した。このままロビーの避難を見届けて、ハウンドドッグと共に敷地内無人確認に入る。……常闇聞こえるか。地下の無人確認に入ってくれ」


「御意。ダークシャドウ手分けだ」


「アイヨゥ」



「一階 小児病棟はどうなってますか!早く応答して下さい…!」



「ッてぇなオイ…本投げんじゃねえええ!!!聞けやぁあああ引き摺ってくぞコラァァァくそガキィィ」


「なんで避難やねん!俺ユメ見に行く!はーなーせー!!!」


「ァ?あの女知ってんのか」


「こちら切島!!爆豪が当たってます…が!!少年が一人だけ大暴れしてて聞きません!足も早くて、やっと今捕まえました!」



会議室では、手を無数に広げた障子が重なる足音を聞き分け、耳郎がコンクリートに反響する人の流れを感知する。

そこへ混ざった、指示を出す八百万の声の合間に、インカムから漏れるバタバタとした騒音が、通信を伝って静かな部屋に反響していた。



「あー…リスナー、
………悪ぃ。代わってくれ」


「マイク先生?……はい…」



インカムを受け取り、何事か不備がと僅かに眉を動かした八百万へ、問題はないとOKサインを見せたその目は、一度ゆっくりと綴じられ、瞬く頃には穏やかな笑みを浮かべていた。



「こちらプレゼントマイク。切島、そいつにインカム渡せ」


「え」


「知り合いなんだわ」



ゴソゴソと言う音の後、
「おい、お電話だぞ」と、子供向けの声掛けが遠巻きに響き、聞き覚えのある声が耳元で「誰」と訝しげに呟いた。



「Heeeeeeeey 少年。聞こえっかァ?…五千万円の花束、超ォォォーーイケてたぜぇぇ??将来はとんだ Nice Guy だなァ」


「あ!お前!!ユメとおったやつ!!!!!!」


「ユメちゃんは俺と避難する。大丈夫だ。またユメちゃんと一緒にシャボン玉したかったら、そこのお兄サン達と避難だ。いいな」


「おとこのやくそくやぞ!俺ら結婚してんねんからな!!!」


「解った解ったァ」



たった数秒のやり取りに呆ける切島は、突き出されたインカムを小さな手から受け取り、呆然と目前の二人を見ながら再び頭につけた。



「…アァ?結婚?」


「うん。おれ指輪と花あげてん」


「大暴れはどうした手のひらクルクルかァァァ!!テメェあぁ??!」


「お兄ちゃんにもプロポーズのやりかた教えたろか?指輪の折り方もわかるで俺」


「先に本投げたの謝れやクソガキ」




「すげぇ…大人しくなりました!!!……爆豪と手繋いで…避難しました…ありがとうございます!!小児病棟避難完了!無人確認に入ります」





「…ほい。インカムサンキュ」


「爆豪…さんと…手を繋ぐ??それは…気が合いますのね…」


「相変わらず愛されてンねぇ………Heyリスナー、二階の人間は」


「一名残して無人です…この響き方は階段の吹き抜けの反響だ、ユメさんは中央階段、二階の踊り場で待機してます」


「作戦通りだな」


「こちらクリエティ。一階 窓口、聞こえますか」


「こちら一階窓口裏 上鳴!
監視室を当たっていた口田と峰田は監視カメラの過去テープを入手。ロビーの人間はもう空だ。ニセ放送準備完了!いつでも!」



「解りました。それでは三階だけ避難放送をお願いします。その後館内通信回線を遮断して下さい」



―ヴィラン侵入により緊急避難を開始します。三階に居る者は指示に従って下さい。食堂に避難口を設けました。そちらから速やかに避難して下さい。繰り返します―



「遮断は完了しましたか?応答して下さい」


「…うぇぇええい」


「大丈夫ですか!退避できますか!口田さん、聞こえますか?口田さん御一緒ですね?口田さん!」


「…八百万さん…俺が居ますよ…この峰田がァ。負傷の友を連れて出た暁にはァ…ご褒美のキ」


「三階フロッピー!応答して下さい」


「通信切られたァァァ!!!!なんでっ俺はっ頑張ったんだぞおお!扱いが気に食わねえええ!!!クソォ…クソォ…行くぞォ上鳴…口田ァ…」




自分達のフロアだけ残されたとは知る由もない三階の食堂で、避難放送を受けた職員は壁沿いに並んで、僅かにざわめきつつも静かに列を作っていた。



「こちら社員食堂 フロッピーよ。
ピンキーが開けた穴から氷の坂で避難を開始したわ。けろ…流石、公共施設の人間ね。避難が早いわ。これなら一般市民ほど時間は掛からないかも」



「…梅雨ちゃん…あれ」



何も無い空間から小さく響いた声は人々の靴音で掻き消されたが、そっと触れたのが分かる程の距離で囁かれたため、確かに耳に届く。

観葉植物の影で同化しながら、その葉を揺らさぬように壁へ這い、目線を高く、全体を捉えるように眼球を大きく動かした。



「完全透過のため通信を切っていたインビジブルガールより報告あり。一名…誘導を無視して食堂を出た…

…見つけたわ。…ユメさんの所へ向かっている模様」



「了解です。無人を確認したら撤退して下さい。……先生、」


「アァ。聞こえた」



後はユメが中央階段を降りてくる奴を引き付けて、非常階段から四階へ上り、院長室へ繋がる、この廊下の扉を開ければいい。




「さてこっからだ」



開けっ放しのドアをくぐり、
突き当たりの非常扉を睨む。



「奴は」


「今走ってます…階段を降りて…止まった」




-対峙した時に一度叫びます
-もし捕まったら二度びますね



後はユメの、声。





「!…今日も一段といいシャウトだぜ、ユメちゃん」



やっとこの日が来た

グローブの口を引き上げ、拳を握り締める。沈黙の廊下に神経を張り巡らせる中、一度響いた周波数に、戦いに挑むユメの横顔を思い浮かべていた。







部屋を出て廊下を見渡せば、異質な空気を感じた。日中の明るさがありながら人がいない。

いつものナースセンターも空で、繋ぎっぱなしのパソコンや電子機器だけが呼吸をする様に音を立て、その無機質さが静まった廊下まで響いてくる。


それをかき消すようにして重なった三階の放送を聞いて、予定通り階段の前に立った私は、上層を眺めて軽く足を伸ばした。




「この事態は…何かしましたかね」



想定通りあの人は現れた。
避難と言うなら誘導にあたるべき当たり前の正義より、保身を選んで確実に目の前に現れる辺り、真っ当な彼等を知った手前グレーどころかヴィランに映る。




「まぁどうでもいいです。行きますよ」



私が全快している事をこの人は知らない。一度止まり、やけにゆっくり歩み出す余裕さから油断が透けて見える。これなら。


そう思ったが束の間、
ゆっくりと壁へ触れた男の手から、反射的に寒気が走る。

私が誘き寄せて登るつもりだった非常階段の入口が、ゆっくりと壁を伝い、ガードで塞がれていくのが視界の端に入ってしまった。


近距離でドームを張るだけの奴に、こんな事までできたのかと衝撃を受けつつ、"対峙すれば一度叫ぶ" "捕まれば二度叫ぶ" と伝えた他に、予想外の事態が起きた時の合図を考えていなかった事を、しまったと思った。


ご丁寧に自身が降りてきた中央階段の三階と二階の階段踊り場にまで、追い込み漁の様にガードを張っていく。


私は咄嗟に踵を返して走り出し、対峙した合図を一度だけ叫び、なんとか伝われと間を置いてから渾身の思いを込めて三度叫んだ。


大丈夫、
同じ場所に皆が居るんだ。

どうなろうと作戦が失敗する事は無い。ひざしさんが見つけてくれるまで何度でも叫んで場所を知らせつつ、逃げればいい。



ナースセンターへ滑り込んだ私は、
一階へ続く物品を上げ下ろしするだけのシャフトの下降ボタンを押し、デスクの影へ身を潜めた。

部屋へ立ち入ってすぐ、
舌打ちと共に「下か」と呟き駆け出した廊下から、階段を降りるリズミカルな靴音が遠のいていく。


私はデスクのペン立てに並んだマーカーから全てのキャップを捨てて、ひと握りポケットへ詰め込み、靴を脱いだ。

一階のシャフトにいないと解れば、奴はまた階段を登ってくるだろう。それまでに、屋外へ逃げたとは思わせない程度に、行方をくらませなければいけない。




爪先で届ける、爪先で届ける。

緑色で五本の爪の先に弧を描きながら、
昨日はできたんだから上手くいってくれと祈る呼吸が、小刻みに震えた。


どこまでも照らすひざしさんの眼差しとイメージで、震える心に毛布を掛けて。

広げた掌には、緑色に輝く、
フレネルレンズの様な
丸い瞳を描いて。


無機質な機械音に包まれた沈黙の中で、
自身の目元に並べて、
開いて閉じてを繰り返す。


あぁ見える、
これなら誰も居ない闇さえ
照らしていける。



ポーズを飾ったあの凱旋を思い出せ
もう怖くない。

行け、走れ、





二本だけ取り出したマーカーを指先に当てて、時折、廊下の壁と向き合いながら、私は再び誰もいない廊下を走り抜けた。





 






fix you