BGM:Hero too
家路を辿るクジラの凱旋








「……………あ?…どういう事だよ…!?…四回?!!」


「作戦では対峙一回、捕まれば二回……では」



張り詰めていく空気の中、
嫌な汗が喉元を伝っていく。


出会いを思い出させる程の大きさで、一度響いたユメの…周波数。確かに、空を割くように俺の器官を一度震わせた。


記憶の中ではあの日転がり込んだ芝生で、広がったノートへ涙を滲ませるユメの姿がありありと浮かんでいた。


今まで助けを求める声が届いた事なんて無かったであろう、ユメの目から溢れる、とめどない涙。


幾度となく俺の名を呼び、
その声は何処へでも届くと、
光をのせて差し出された掌。


-私、全部解るの。
-聞こえるの、貴方の声
-だからお願い。もう一度、

そう言ったユメの表情も、息遣いだって鮮明に浮かぶ。ユメはいつだって俺の声を聞いてんだ。


もう揺らがねぇんだろうが。

聞け、聞くんだ、
本当のユメの声を。



始めの一度、つまりあれは、対峙したという事で間違いない。となれば後は…続けての…三回、

一と、
三回、三回。

俺にしか聞こえねぇ
俺だけの声。





俺は聴こえる、聞こえた。

………俺なら、?







「さっきよ。助けてって言った?祈ったとか、願ったとか」



-はい。

「声…じゃなかったよな?」


-声は出ませんが、

-大きく叫びました。


「待て待て待て!!もうするな!…本当は痛いんだよなァ?」




「……っ解った、!!…ユメが危ねぇ…、助けを呼んでる!!!」



「先生!!足音が消えた!!靴の奴と………!ユメさんが居ない!」


「ユメちゃん靴…脱いだな…まずい。聞こえるか、裸足みたいな音」


「…捉えた、ヒタヒタ走ってる」


「途中で止まらねぇか」


「…何で解るんです…?」


「かくれんぼしてんだ、他に違う音は」


「水…?液体……違う、これは多分ユメさんのシャボン玉の溶液の音です!靴音とかなり間を取りながら逃げてる!!」



「サンキュリスナー、次に合図が見えたら探知班も全撤退だ」




ゆっくり片足を引き、
全力で廊下の直進を走り出す。

非常口ではなく、一番近い中央階段を目指して力の限りに腕を振った。



ひとつも取りこぼすな

何度でも手を伸ばせ

届かないなら届くまで。

何処へでも辿れ。

この先には、
過去のユメが居るんだ。



手すりを掴んで無理矢理カーブを描き、階段と階段を隔てる壁を飛び越えて、直ぐに見覚えのある、胸くそ悪い真相と向かい合う事になった。



「チッ、………そういう事か」



駆け下りた中央階段の前には、
仕掛けたカメラに映っていた、ユメを何度となく苦しめてきた憎き壁が、その道を厚く塞いでいた。



「邪魔だァァァ!!!」



ガラガラと崩れた瓦礫を跨ぎ、
二人で歩いたかつての廊下へ飛び出る。するとそこには、予想もしなかった光景が病院の壁を囲むようにして、全面に広がっていた。




「…なん…だよ…こりゃあ」




白壁を跳ねる

大きなクジラ。



昨日、ユメが壁に描いて見せた物と全く同じ鮮やかな彩りで、自由に廊下を泳いでいる様にすら見える。
僅かな泡を残して、辺り一面にはユメの甘い香りが漂っていた。


どういう事態なんだと神経を研ぎ澄ませば、遠くの方から、また三度の叫び声が聞こえてくる。

クジラが向かう方角へ駆け出せば、差し掛かった別の通路の途中でまた彩りが見えた。真っ白な分だけ浮き立つ色が、余計に脈を加速させていく。



そこへ描かれていたのは、
色違いのが二つと、

まさかの、

"アナタ"
という三文字。




不謹慎にも短く笑ってしまった俺は、完全にその意味を理解した。これはユメの声、ノートの世界であると。



モノクロだったページまで色付きに変えて、今までの日々を遡るように、病院の壁中はユメのノートを広げたような世界が、絵を添えて一面に広がっていた。


ハッピーバースデー!
ひざしさん


これは…昨日の
紅茶と…クッキーか?

涙を流す瞳

ああ。
ユメは嬉しくても
悲しくても泣いてたな

クラッカーとキャンドル


最高にセクシーだった。
あんなの忘れらんねぇよ。



全くダメだ、
こんな無茶苦茶な走りじゃあ。
息が上がる。酸素が足りない。

それでも、
散りばめられた落書きを追えば追う程、出会いに戻っていく感覚が脚を加速させる。そして合間に響くのは、


…まただ、……三回。
ユメの周波数。

この先にはユメがいる。



どんなに息を切らして走っても、誰とも鉢合わせないこの不思議な空間は、一人を思わせた事だろう。まるでこれまでに揺らいできた自身を彷彿させる。


叫ぶラジオYeaaah!


-ラジオがなくても
-声がなくても
-そこに居なくても
-私、貴方を見ているの
-いない?貴方の中にも
-ねえ、いるんでしょ

ああ、いるよ。
-着いてきてよ

これは…あの日だ。
待ってろ 今行く
緑の目をした灯台
でもずっとひざしさんが
諦めないで笑っててくれたので
ずっと腹を立ててくれたので
貴方が毎日私を強くしてくれたので
毎日、幸せにしてくれたので

そんなの、
ユメちゃんもだろ



早くと急かす衝動のまま、
目が勝手に記憶を拾ってページを遡っていく。その正確さには、思わず口元が釣り上がった。

太陽を掴む手

シャボン玉

たくさんの花

まただ。
呼んでる、次は近い。
+100点
花丸


と、ステーキ
これは…キツネ…じゃねぇ、!
ヘタクソな

目で記憶を追い掛けては、ユメの声を拾い、また周回遅れのように階段を掛け上る。何度も通った道であるのに、そのどこかには必ず新しく足された過去があった。


未来へ走っているのに過去を辿っている不思議な感覚の中で惑い、息を切らして一度立ち止まった俺は、自身の直感が知らせる不穏さに眉をひそめた。


声を追っているのに近付かない、
……これは、
距離ではないとすれば…?

近いと、遠い。
大きいと、…

…小さい



「…何でだ、!こんな時に!?」


いつもより周波数が小さい

何で気が付かなかった?!
あんなにも響き渡ったユメの声だぞ?病院中を揺るがせたんだ、笑えばあんなにも楽しげに弾んで。それが、待ってくれよ

こんなのおかしすぎんだろ


ユメの叫び声はさっきまでより感覚を狭めて聞こえる。限界が近いのなんて見て取れるのに。

途切れ途切れに掠れていく周波数に、ひたすら焦りと不安が募っていく。俺はもう、聞いてやれない、…とでも


気が付いてしまったが最後、
足を止めなければもう聞き取る事さえ難しい事を嫌でも理解させられる。

こんな、逃げていくクジラの尾を掴む様な、速すぎんだろうが、あんなにクリアだったのに二重にも三重にも滲んで

待ってくれよ


私は、

しあわせ、しあわせ


後もう少しだ、


サングラスヘッドホン

傘と雲


頼む、もう少しなんだ


もう思い出の記録でしか辿れなくなった頃、耳鳴りがして舌打ちをした。

二人で痛み合いながら聞いた過去のユメの声を思い出させ、まるで副音声を所々重ねた様に滲んで聞こえる。あきらかに耳を酷使し過ぎだ


「…入院はいつまで」
- 多分、ずっと。
「…ずっと?」


- ……………!

「…あ?…なんだ、?」


音を聞けなくなった代わりに、何か違った異音を察知した事に気がついて、ゆっくりと壁を見る。


-会いに来てください
-できる限り、毎日でも。
「そんな事?」
-いえ。大きなこと、です。


綴られた文字が記す日はもう、
限りなく出会いに近い。

もう辿れる矢印は終盤に差し掛かっている事を示す。いや、俺はもう、聞こえないんだ



その筈で、

なら一体なんなんだ?
確かに聞こえる、
この砂嵐を被せたような音は


何の手掛かりも無いのに、身体が勝手にあの日の場所へ向かってしまう。

この静かな病院で、今、
俺だけが聞いているのは?

あるようでない、不確かな情報を、にわか信じ難い気持ちで走り抜ける、あの日のロビーの先。


待てよ


見えないと思っていた物がある事を知った瞬間の衝撃は凄まじいものがある。聞かされていたものが幻聴では無く、確かに音である事を確信した頃、がむしゃらに追い掛けた廊下に突然光が射したように感じて、俺は笑ってしまっていた。




「やっぱダメだ、結構くる」


「……!!!」

「…!」



信じられなかっただけで、
本当はさっきから
ずっと聞こえてたんだ



「…、…ぁ……!!」


「……ざし……さ」



ここだ。あと少し。
この角を曲がれば。




「ひざ…し、さ…ん!」


最後のL字を曲がった瞬間俺が目にしたのは、絞り出す様に叫ぶユメがあの男に腕を掴まれて、瞳を揺らしている所だった。


こちらを見詰めたままゆっくりと口の端が弧を描き、その瞬間、伸ばした爪先から、こちらの足元へ向かってシャボン玉を飛ばした。


最後の疾走でユメの泡を滑るように駆け、飛沫を上げながら巻き込むように全力で割って入った。





「久しいなぁ…こんのォ、クソ野郎!!」




怒号と共に拳を振り抜き、
男は鈍い音を立てて壁へ飛んだ。



「…呼んだよな?エンジェルちゃんはyouであってんの」



反動で倒れてしまわないよう、ぐるりと抱き留めた腕の中で、沢山の涙を溢れさせて笑ったユメが何度も俺の名を呼ぶ



「、ざしさん!…ひざしさん!」


夢かよこんなの
どこまで甘いんだ


「ユメちゃん!!
…声…!出てっ…!!」




「はい、!…ひざし、さ」



息を弾ませ、
一番綺麗に言えた事を
喜ぶユメの声は、


ひざしが一瞬浮かべた、
ニヒルな笑みから愛おしげな眼差しへと移りゆく、時を刻むような瞬きで唇に重り、ゆっくりと飲み込まれていった。



「私を、みるとき…だけは、笑うのね」



鼻先を擦り寄せながら、
優しく揺れる睫毛の甘やかさを思うと、壁に穴を開ける程の顔をしていたさっきまでとの落差に笑いが止まらなくなる。

弾む身体からは笑う度、声に合わせて周波数を間違えたラジオの様な音が重なっていた。




「…んな、事をしてお前達」



「テメェ………今更かぁ?なんも言わせねぇよ」



再び立ち上がった男へ向かって振り上げた拳は、あの企みの壁へバキバキと音を立てて埋まっていく。

しかし、一層顔を歪ませた目が宿す怒りには、到底かなうものではなかった。



「ガードなら己じゃなくて人守れよ」



四方へ散るようにヒビが走り、防壁ごと殴り飛ばした鮮やかな一撃で、男は崩れ落ちた。




「…遅ぇ」

「悪ぃ、不測の事態」



駆け付けたイレイザーさんによって男は捕縛され、避難本部から光った、空に向かって真っ直ぐに伸びたレーザーを合図に、全撤退が告げられた。



「…あ、る…く」

「ダメだ。もう血だらけにはさせねぇ」


きっとこの人は、私が靴を捨てていなくてもこうしていたんだろう。

お願いついてきてと腕を掴んで走り出した道を、私を抱き上げたままのひざしさんが颯爽と連れ出す。その確かな足取りに、かつてを思った。




「校長から伝言がある」


「……ハァァン?」



病院の広大な敷地の向こう、
避難本部を目指して一緒に歩いていたイレイザーさんは、一瞬だけ歩む速度を落としてひざしさんに何かを伝え、あっという間にあの男を連行した。



だから気に止めていなかった分、歩みを止めて病院を振り返り、私を芝生へ立たせたひざしさんが何を考えているかなんて解らないまま見上げるしか無かった。



「これしといて」


突然ヘッドホンを被せられ、
声を聞きとるために慌ててずらすと、ひざしさんはまた私を抱き上げた。



「ユメちゃん、叫んでみ。突然出しすぎると良くないから、今までの出し方でいい。……そっちはまだ俺の名前だけ呼んでて」


どういう事かと首を傾げる私に、気にしなくていいから、今までで一番大きいシャウトだ、いいなと、ニヤリと笑う。



腕の辺りに感じる、カウントを取るような指先のリズムに合わせて大きく息を吸い込む私の一瞬は、ひざしさんの胸の動きと見事に重なっていった。




「聞いてなぁ…!

……Listen to
my、


……VOOOOOICE!!!!



これ以上は出せないと思える程の私の最大周波数はプレゼントマイクのヴォイスと重なり、やっと彼の意図が解ってしまった私は、驚愕とその想いで、また溢れ出した涙を止められず、轟音を立てて崩壊していく病院を見つめた。


こんなの、
どこまでも届くに決まってるじゃない


私の耳を守るために付けたヘッドホンの上から、さらに保護するように押し付けられた腕と胸元から、手を伸ばし、せめて片方だけでもと代わりにひざしさんの耳元を塞いだ。




「避難経路撤収!」


「ハイ!!」



土埃を上げて崩れ落ちていく病院を見届ける中、背後の避難本部から瞬足で走り出した幾つもの人影が、逆光で私達を通り抜けていく。

轟君は飯田君と共に加速して、驚くほど大きな豪炎を巻き上げた。熱風が髪を揺らす程の臨場感を持って吹き抜けていく。


「ンなもん幾ら時間あっても足んねぇだろうがァ!!!」


そこへ爆発が加わり、自由に駆け回る彼等の力で氷塊がどんどん溶けていく。


ふと見上げた耳元には僅かな赤が滲んでいる。気に掛ける切れ切れの私の声は聞いてるんだか、いないんだか。

そんなひざしさんが、崩壊した病院にいよいよ背を向けて歩み出したから、一面に広がる足元ミラーの世界を見た私は、
心諸共、絶句した。


爆発と炎上を背負ったひざしさんの背後から溶けだした水が、私達の視界いっぱいに流れていて空を歩いている気にさせる。まるで、決して沈まないあの水平の湖面に立っているようだった。




「退院おめでとう」



あぁ、
この人は、なんて人なんだ

ふ、と喉の奥を突いてでた呼吸が、いつまでも言葉にならない涙を連れてくる。


「あー、手が埋まってると涙も拭いてやれねぇなァ……」



いつもの病室で見た私を甘やかす溶けそうな微笑みで、耳元に口を寄せ、唇で僅かに動かしたヘッドホンの隙間から囁かれた掠れ声がくすぐったくて、身をよじった。


「ソレ、似合ってんね。
……早く帰ろォ」




どこに?と首を傾げる。前に視線を戻したひざしさんは私を見なかった。しかし優しげな眼差しに反して、一点を見つめ続けるその意志の強さは、圧倒的なヒーロー像を見せつけてくれる。いつもこうして、些細な思いを迎えに来てくれるんだ。


「 "もっと一緒に居たい" んだろ?……まぁ…俺ん家だけど。…そこは…百歩どころか千歩くらい譲って許してよ」


あぁ、私は伝えられなかった事が沢山あるのに。それでもそっと拭ってくれるような優しさに心救われていく。


瞬きをする度に映る夢見た世界から、甘さに溢れた言葉が浮かんで見えて、今、どうしてもと心臓が叫ぶ。

二度頷いた後、溢れた思いをまたいつものように拭って欲しくて、私は閉じ込めていた思いを発声した。




END.





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