BGM:手嶌葵/オンブラマイフ
テーブルクロスの花嫁











花輪を編んで歩いたオフィーリアが夢の外を行く現実を叶えてくれた足取りは颯爽とエレベーターホールを抜けたが、合わせた焦点から余った通路の景色はどれもゆっくりと流れていく。

靴をなくした代わりに抱かれたままだった私は、一度ブーツのつま先に降ろされて、支えられながら上手に立てないぐらつきを扉に預ける。

ドアの鍵を開けようとする家主にお邪魔しますを訂正され、ただいまとおかえりを二回ずつ呟きあった玄関先で、再び抱き上げられた浮遊感に甘えて、使い方の分からない自由を感じていた。


「ゆっくりすんのは後な」


真っ直ぐ脱衣所に運ばれて、
病室から引き上げたままだった荷物が置かれる。

立ち尽くす私を眺めて動きを止めたひざしさんは裾から襟までを見上げて、目が合う頃には穏やかな笑みを浮かべた。


「ンー…芸術の爆発だなァ」


あちこちにインクを飛ばして色を滲ませた服が、工房から飛び出した画伯を思わせる。自由に描くのが画家というのなら、確かに押し込めた分だけ爆発はしたなと袖を広げて有様を見る。肝心のキャンパスを思い、それどころではない思考がたくさん介入してきて応えを先伸ばしにした私の頭を、ひざしさんはゆったりかき混ぜた。


「…一人で入れる?ユメちゃん」


様子を伺う温かな重みに逆らって二度頷き、イイコと残して髪を滑っていった手に早く触れたくて、遠ざかる足音を聞きながらバスルームの扉を開けたが、直ぐに困り事が発生して少しも急ぐ事ができない。

シャワーに溶けていく爪先の緑色を勿体なく思うことに始まり、目まぐるしく過ぎた終日を勝手に遡り始めて、トリートメントのつもりが二度目のシャンプーを揉み込んでいた。


手ではなく思考を止めなければ。

ひざしさんと話すまで蓋をしておかなければ、
一度しか顔を見せてくれなさそうな本心が、
一緒に溶けて流れてしまうような気がする。

お風呂も上手に入れないなんてと深呼吸をした私は慣性のままに三度目のポンプを押してしまい、泡にまみれて深い溜息をついた。


「…ざ、しさ」
「声、もう出さねぇ方がいい。痛ェだろ」


上がりましたよのお知らせを手のひらで塞ぎ、着替えるために置いていた荷物は代わりに部屋へと運んでいく。戻ってきたひざしさんの手には相変わらずのノートとペンがあり、まだゆっくりはできないのに涙が堰を切ってしまった。


「……急いで浴びっから……待てる?」

-まてない

「…aww…待ってよォ…」


初めのページを探せなくて中途半端な所に殴り書く。ひざしさんは優しく宥める両手で頬を包み、涙を啄んでいた。


「風邪引ィちまうから…ほら、しっかり乾かして待っててな」


最後に額へキスをして、ドライヤーと新しいタオルを押し付けたひざしさんは甘やかす困り顔から突然強気な顔をする。ハッとしたけれどもう遅くて、見せつけながら脱ぎ始める強行手段に跳ねたせいで、床にペンが転がった。


「ユメチャン。忘れ物」


急いで脱衣場から出ようとした腕を引かれて唇が重なる。腕いっぱいに抱えたタオルとドライヤーとノートの上には拾われたペンが乗せられてしまって、どうしたって視界に入ってしまう鍛え抜かれた身体に目が泳いで、バランスを取るのが難しい。


「また一緒に入んなら覚悟しておいで。……や、…連れてっかァ」


ボソリと呟かれた最後の言葉に全部を落として、
ドライヤーに指をぶつけたひざしさんが叫んで、
大丈夫ですかと屈んだ私と頭をぶつけて、
二人して尻もちを着いて。

枯れて霞んだ笑い声を混ぜあって、お陰で待っていられそうなくらいには涙の気配が拭われていた。


それでも異様なソワソワは止まず、小さく聞こえるシャワーの音を聞きながら部屋のあちこちを歩いた。大きなことを成した興奮のせいもあるとは解っていても、収まりの悪いモヤモヤが暴れたがっている気がする。じっとなんてしていられない。
部屋を見渡せば電気の消えた空間が不穏に思えてしまう。私はひとつずつ電気を付けて歩き、これで何があっても見えるからとほっとしていた。

他に足りないものを考えた結果、荷物の中からマイクさんのマスコットを取り出してベランダの窓下に置いてみる。すると後ろから射す夕陽が、帰らないでと願ったいつかのように優しく照らした。
その瞬間に込み上げた言葉は、病室に思いを馳せた今しか留まってくれそうになくて、私は急いでペンを取った。


浮かぶ全てを書き終えた頃、怖くて急速に身を隠したくなり、仕舞われる予定で椅子に掛けられていたテーブルクロスを広げ、頭から被った白の隙間からマスコットを見つめていた。


私は全ての歴史を失ってしまった

だから、あるのかないのか、
不確かなものを見つめる勇気をもう一度
揺るがないくらいに、
見つめていられる自信をもう一度

この見えない恐怖を、また拭って欲しい



「ユメ」



願ってすぐ、
帰ってしまう現実が夢から飛び出して、
まるで私を迎えに来たようだった。

明かりを頼りに暗闇を走り続けた私の前に本物が現れて、写実化した灯台を見た私は、涙で滲む水面の中から、確かな覚めない夢を見ていた。




-テーブルクロスの花嫁





 






fix you