ロッキンガールの反逆
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作業曲:Garrett Nash / imagine if
長編 Fix you. サプライズ番外編

ロッキンガールの反逆







ひざしさんと暮らし始めて驚いた事、それは彼のどこへでも飛んでいってしまいそうな活動力だった。
入院生活の間、面会として顔を出すには時間の縛りがあったはずで、一緒に暮らしてみれば水面下ではどれほど脚を動かしていたかが垣間見える。


「モーニン、マイエンジェ。」


リビングの様子を伺いたくて部屋の扉をそっと開ければ、隙間から見えたひざしさんがもうソファーに居て、今日も朝食の用意を終えてしまったようだった。

夜中に要請を受けることや、帰りが遅くなることを考えて別の寝室で眠ることになっている。とはいえ、どちらともなく甘えたくなって互いのベッドにお邪魔するのは、そんなに寂しいものでは無い。

扉が開けば互いが居る。
いつでも会いに行ける。

扉を開けるという事がかけがえのない思い出になった私達には、ノックをするという事は幸せなことだった。
それでも、ずっとこのままなつもりはなく、日常的に声が発声できるようになれば、良ければそのうちにと思っている事を聞かされた時は、心臓をぎゅっと掴まれたように感じた。

もうどこにも消える事はないのだと確かめ合うベッドで感触を深追いし、甘さに陶酔し合うたび難しくなる欲深さを線一つで保っている事が、声を失い拒絶さえ発声する事ができなかった私に対する、少しも意志を取りこぼしたくない相変わらずのスタイルである事と、それを超えてしまいそうな程の思いの丈で本当はギリギリのラインを保っている事を知っている。


「早く顔洗ってきな」


脚を組んで座る彼は、
読むことをやめた新聞を折り、
腿の上で片肘をつく。

綺麗に並んだ手料理は、必要のない病院食を強いられてきた私への贈り物で、それが人間らしさと自由を意味していると知っている。


「今日も忙しいぜ?腹いっぱい美味いもん食わなきゃいけねぇからなァ」


頬を潰して微笑んだ眼差しが、
朝日より早く意識を洗っていく。毎朝、毎朝だ。

私は、これだけの愛を受けて未だ何一つ、彼へ返せない事を少しだけ憂うつでいる。悲しい記憶は洗ってくれても、微笑みを見る度それだけは拭われる事がなかった。



顔を洗ってリビングへ戻れば、ゆっくりと広げられていく両腕。新聞の上にはノートとペンが置かれていた。


「最近早起きジャン」


広げられた足の隙間から、ソファへ膝を乗せる。
直ぐに腰を捕まって、
両手をひざしさんの首へかけた。


「もっとゆっくり寝てていいんだぜ?」


髪留めの手は頭のてっぺんで止まって、額に唇が触れる。次は唇だと思ったのに、中々近付いてくれない顔が思わせぶりな距離で止まって、髭が片方だけひょこっと角度を変えていく。


「それとも……なんか企んじゃってる?」


なんでわかるの!!


多分、目は開ききってしまった。

だからかもしれない。軽快に笑われて、
開こうとした口を掌で塞がれてしまった。


「ダーメだ。……昨日診てもらったんだろ。リカバリーガールから聞いたぜ?声が出るようになったのが嬉しすぎて無理したんだってな。掠れ方が酷くなってるらしいじゃねぇか。……しばらくは安静に、なんだろ?」


あからさまに「げ、」という顔をしてしまい、それを見たひざしさんは、犯人を追い詰める顔から、仕方なさそうに目尻を下げていった。


「こりゃあ俺も共犯なんだよなァ……ゴメンな」


心の平穏を取り戻し、やっと出始めた自分の声で一番に呼びたいのは彼の名前で、それを一番に喜んでくれるのが彼で。
欲してくれる事も、それをあげられる事も、あげたいのだという事も全てが幸せで、呼び合うことをやめられなかった私達は「今はまだ、少しずつ」と口だけで戒めあって、しばらくノートを隅へ追いやっていたのだった。


「ハァァ……頑張って耐えような」


あからさまに目を潤ませているが、
こちらも全くそれどころじゃない。

無理やり反り返って、新聞の上に置かれたノートとペンへ手を伸ばせば、察したひざしさんが抱き締めていた腕の力を届くようにしならせてくれた。


-いつものだけ、ひとことだけでいいから
-どうしても……だめ


最後にハテナを添えて見上げれば、眉間に皺を寄せたせいで、潤んだ瞳からきらきらが零れたように見える。力を込めて下がっていく眉が同じ愛を堪えていると解って、既にいっぱいだった胸に、重なった幸せが詰まっていく。

堪えようとしてむにゃむにゃする唇だとか、
そのせいで髭だけ耐えきれずにぴょこぴょこしている事だとか、どんなにヘンテコな顔でも全部を愛おしく思った。


「ア゙ア゙ア゙!!ダメだァこんちくしょう!!!」


ヘンテコの線が切れたひざしさんは、もっと変になってしまって身体をぶんぶん横へ振る。それに巻き込まれて抱き締められたまま、一緒に騒いでしまいそうな口を一生懸命に噤んだ。


「しばらくは朝と夜だけな。OK?」


こくこくと頷けば、儀式のために身なりを整えるような面持ちで髪を整えられる。実際には神聖さの欠片もなくて、二人して悪い事をしようとしているだけな所が妙に笑えた。


「……はよ、う。……ざしさ、ん。」

「ハァァァァァァ」

「わ、!?」


三言目を発声してしまって、もう約束を破ってしまったという事にも気が付かない程、ひざしさんはぐにょぐにょしていた。
それでも、胸の中に閉じ込めたまま左右に傾くめちゃくちゃな衝動であったとしても、私の、お腹がすきましたの音には敏感に反応する。


椅子までのエスコートをうけて座れば、
温め直したスープと、ひざしさん特製サラダ。
真ん中のポップアップトースターを挟んで、
向かい合っての、いただきます。

トマトを頬張った頃、突然飛び出したパンの音に肩が跳ねて、それを面白がったひざしさんが手の甲で笑いを押さえる。私はその、まったく押さえられていない小刻みに跳ねる肩を見て笑う。
忘れた頃にやってくる、ガシャンという音に驚く私を面白がって、ひざしさんは毎日食パンを焼いている。なにおうと張り合う私は、毎回そのタイミングを掴めずに跳ねる。


「そう言えばよォ、橋の向こうに新しいパン屋ができたらしくてな。そこが日本初上陸の――」


少しずつ、
確かに積まれていく幸福を噛み締めて。
今日は無理でも、明日ならと決意を固める。

翌朝、
寝ている間に起きる事に成功した私は、
初めて二人の約束を破った。



その一。
声が戻るまで、極力一人で出掛けない。

無理である。
これはサプライズだ。



その二。
無茶はしない。

これはとても難しい。
初めはいつだって、
無茶なんて思っていないのである。



その三。
何かあったらすぐ電話。

今、それどころじゃない。
少しでも気を抜けば、
増水した川に吹き飛ばされそうである。


ひざしさんが寝ている間に、
今日こそ私が朝ごはんを用意するんだ。


そうして始まった一人旅は、
今思えば玄関を開けて直ぐから、
不穏な空気を漂わせていた。

傘がいるなと、間に合わせで買った透明の傘を手にする。不規則に荒立つ風は、雨よりも大きめの音を立てて廊下の通路を吹き抜けていく。急いで扉を締めた私はこの時、台風が迫っているだなんて知りもしない。

風のせいで少しずつ足元が濡れたけれど、それはあまり気にならなかった。そんな事よりも、煽られた傘を風に逆らわないよう押さえている方が大変だ。

思ったより体力を使うもので、今の私には少しハードに感じる。リカバリーガールさんの所へ声帯を診てもらいに行っても大元の体力が上がったりはしないから、今はあの頃よりは健康に、……まぁまぁ非力かもしれない。

風と引っ張りあったせいで逃した二度目の青を渡り、次は橋へとさしかかる。下を流れる川は、少し……だけ……波を立てている。

ゆっくりだ。ゆっくり行こう。


すり足に近い間抜けな歩調でやっと辿り着いた橋の中央で、私はひざしさんとのお約束、その三を破った。

市街地を吹く風よりも平らな川に吹く風の方が激しさを増していて、この日一番の強風に煽られた私は、遂に脚を開いて腰を落とすくらいには真っ向勝負になっていた。

頭も服ももうびしょ濡れで、もしかしたら手を離した方がいいのかもしれないとも思ったが、川にゴミを捨てるなんてとか、誰かに当たったらと思うとそうもいかない。

閉じる事もできず、ただ唸るだけの間抜けな戦いを終わらせに来たのは、やっぱりひざしさんだった。


「ユメサァァァァァァン??書き置きもなしにどちらまでェェェェ!?」


同じくびしょ濡れの彼は既に自分の分の傘を閉じていて、一瞬で片腕に腰を抱え、もう一方で傘の持ち手を掴む。
いつぞやのナースさんの真似をしていたが、顔は少し怒っていた。
そんな事を言われても、こんな暴風じゃあ絞り出した声なんて届きはしないだろうし、ノートだって無いし、あった所で書けもしないし。



大体、
甘やかして全部をやってしまう、
ひざしさんがいけないんだ。



二人で一緒になんて、ちょびっとだ。
あんなにたくさん、
言いようのない幸せをくれるのに。
私には少しもその余地がない。

別にほんの少しじゃない。ひざしさんが気になるって言ったパン屋さんで人気のパンを買って、今日こそ私がノックして、寝ているひざしさんを眺めてから起こしたかったのに。

私だって、同じ想いを感じて欲しいのに。


ムッとした私は内心、ひざしさんのバカとか、なんで場所が解るのよとか、私オタクの謎超能力バカとか、あなたの力なんて借りないとか、とにかく可愛くないことを言っていた。
だから二人で引っ張りあった傘は力を込めた事でバランスを崩し、橋の欄干に向かって揺れる。次はそれをカバーしようとしたひざしさんに引かれて大きく揺れる。容赦のない風はより強まって、右に左に、それはそれはすごい速さで揺れた。


「まてまてまて!!動くっなって!」

「んん……ん!!やっ、!はな、して!」


問答のうちに角度を変えた傘は次の瞬間、
内側に風を蓄えて、ボンと派手な音を立てた。


「ほらぁ……咲いちまった」


透明の傘に着いていた玉の雫が、
強風に巻き上げられて幾つも飛んでいく。

全力でぐぬぐぬしていた所に突然の衝撃音で、私の身体は、びっくりトースターとは比にならないほど大きく跳ねた。
指が全て開いてしまってフリーズ。脳内に並べていたひざしさんへの暴言まで真っ白になって、一緒に消えてしまった。


「パンじゃねぇんだから」


やっと離した傘を回収したひざしさんも怒った顔を飛ばされたらしく、仕方なさそうに笑っている。
いつもより強めに腰を抱かれて戻る帰り道、これじゃあまたお風呂に沈められてしまうなと、びしょ濡れの彼を見上げた。


「で?なーんでこんな事しちゃったワケ?」


-ひざしさんのせいです


「待ってェ?!俺ェ??……まったく覚えがねぇ」


-私だって、ひざしさんにご飯、出したい


「……へ?」


-私だって、
-寝顔いっぱい見てから起こしたい



服のまま温まり合うバスタブで跨り、
向かい合った胸板に指文字を書いていく。

少しくらい早くなっても読めてしまうくらい、ひざしさんは感がいい。正解を確かめるためひざしさんの口で繰り返された「寝顔、いっぱいみてから、起こしたい」という一言で、彼の表情はハッとして止まった。



「……ンだよHoney……寝たフリィ?」


-あんなに!見つめられたら!起きられません!


「そいつはどうしようもねぇよ。……イデッ」


-まじめにきいてください!


「ン?聞いてる聞いてる、俺今スッゲ〜真面目だゼ?とにかくユメが可愛くて仕方ねぇんだから諦めてくれ、あと理由も可愛すぎて全部有罪だからまずは死刑な」


「んん?!」


「ハーイ、お喋り禁止ですyo」


「んんんんんん!!」



ぎゅうぎゅうに抱き締められた上に、
お腹をくすぐられてお湯が大波を立てる。

洗い場に何度もお湯が溢れ、水位が減ったせいで身体が重たく感じる。静かな呼吸ができなくなって、大袈裟な息をもたれかかった胸元に逃がした。


「俺のせいでも嬉しくなっちまうな」


小さくなっていく波から出てきた手は髪を撫でて、項を滑りながら力を強めていく。服越しに聞こえる心臓の音と、重なった身体の重さが心地よくて思わず閉じた瞼に、優しげなため息が掠った。


「冗談はここまでだ……ごめんな。」


「一緒に、だったよな」


「次は俺が寝たフリすっから」


「時々は……順番にしような」


ひとことずつ、ひとことずつ降ってくる言葉に、
うん、うん、と頷きを返す。

言葉の隙を彩った背中を撫ぜる手が二人の間の熱を冷やして、バスルームをぬるく混ぜていた。


「さて。今日は二人で作ろっか」


両脇に手を差し込まれ、よいしょと脚から降ろされる。髪を片側に集めて搾ったひざしさんは、波を立ててバスタブを跨ぐ。
仰ぎ見たびしょびしょのスウェットは、橋の上で見た時から濡れていた。起きがけのまま、まともに傘もささず走ってきてくれたんだ。



「……それでは〜、熱い視線にお応えしてェェ?」


「ち!がっ、う!!」



上の服を脱ぎ捨て、
腰にまで指をかけた彼に向かって水をかける。

負けじと立ち上がった私は、
上一枚を脱いで思いきり投げつけ、
背中の留め具に手を伸ばした。


「faaaaゴラァァわかったわかったァァァ!だからオオカミ煽るのはやめなさい!!」



勝ったな。

服を絞る暇もなく、急いで扉を締めたひざしさんがマットの上で滑ったのが見えて、磨りガラス越しにほくそ笑む。

もう以前のように負け通しにはいかないぞと綻ぶ顔を浮かべた決意の裏で、明日の計画を立てようぜと呟いた。


【ロッキンガールの反逆】





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4.9webイベ
【甘藍菓子の骨/い1】さんと【わたあめやさん/う6】さんと共通テーマ「花言葉作ってみました」

ビニール傘の花言葉::
明日の計画を立てる

 






fix you