声の融解温度
gnash / imagine if
気分が落ちすぎる日はカーテンを開ける気になんかならないもんだ。だから、今日は全開にして、更には窓も開けてみた。
雲はひとつもない。
朝のモヤみたいな、白を混ぜた水色がずっと広がっていて、少し肌寒い風がレースを揺らす。
昨日の事が嘘みたいに感じるけれど、あれが幻だったとしたら、この清々しさに説明が付かない。
朝が来る事が嬉しいなんて。
穏やかな生活が始まりそうで、少し胸がときめいていた。
いつ来るかな。
ご飯は、
早く食べた方がいいかな。
シャワーなら今のうちだ!
ボールペンは足りるかしら?
ノート無いなぁ。どうしよう。
売店は休みかぁ。
色んな事を考えるので忙しかった午前中はあっという間に通り過ぎて。お昼を食べ終わって、うたた寝してしまいそうだった頃に、ノックが喋った。
「コンコーン!My Sweet Angeeeel、起きてたら教えて欲しいんだけどォ?」
助けてくれた時もそうだったけど、ぶっ飛んだセリフに笑わずに居られなくて、小刻みに肩が揺れる。
私はいつからこの人の天使になったんだ。助けてくれたっていうなら、この人こそ天使だってのに。
「モーニン」
眩しい笑顔で扉を開けた彼は、ドヤ顔で背中から新品のノートとペンを差し出していた。
笑い続けて酷い顔をしてると思って、しばらく手の甲で口元を隠していたけど、その行動はニヤニヤが止まらない彼に更に火をくべてしまったようで、そんな私の腕をゆっくり解いた彼は、凄く満足そうに目を細めてノートを握らせた。
「なんだ、笑うと最高に可愛いジャン。昨日はとんだシリアスだったけど。…眠れた?」
くすぐったい事を言ってくれる。直ぐにでも幾らでも答えたいのに、こんな時に何も出せないなんて。ひょっとしたら、ここ最近で一番悔しいのかもしれない。
これ以上照れる前に早く仕返しをしなければと、腕を掴んでベッドに座るようにポンポンして、自分は布団に入り込んで座った。
そして記念すべき1ページ目の白に、
「あなたこそ。怒っても笑っても可愛いんですね」と書いた。
寝具に腰掛けることを躊躇っていたんだろうけど、ファーとか叫んだ後、私が弾むほどの勢いで彼は座った。
そして、間髪入れず、それはかっこいいの間違いでは?センキュ。と、盛大に自己修正して完結した。
眠れましたよ。
口だけで、そうゆっくりと言ってみた。彼は唇は読めるんだろうか。初めての試みだったけれど、クールダウンした彼は静かに「そっか。」と、解った風に返事をくれた。
「プレゼントマイクこと、山田ひざしだ。ヨロシク」
指ぬきのグローブを外した手が突き出される。彼の呼び方を考えた末、マイクさん?と口を動かすと、「好きに呼んでネェェ」と、直ぐに懐っこいハートが飛んで見えた。
どこまで眩しい人なんだろう。
感謝の気持ちを込めて、両手でその手を包んで、まともな握手をした。
「早速で悪いんだけど。まず、アイツは?」
-今日は来ません。 休み まる
「…入院はいつまで」
- 多分、ずっと。
「…ずっと?」
眉間にシワが寄って、さっきまでの笑顔は歪んでいく。
仕方ないんだ。陰謀を前に、目処が立つ訳なんかなくて。私はさてこれを、伝えるか伝えないのかだった。
マイクさんは有名なプロヒーローさんだけど。昨日の今日で私の脳みそは回転が良くなった訳では無い。でも直感は、まだ言うなと言っている気がした。
-深く踏み込まないで、まだ。
-きっといつかは話せます。
不穏さを感じ取ったのか、手の甲で頬を優しく撫でてくれる。明らかに昨日の余韻を引きずっていた。
酷く心配する顔に胸が痛んで、一旦ペンを置いた私は、思わずその手に掌を重ねてしまった。今は、ごめんなさい。
「…俺はどうすりゃいい?何ができる?放っておく気は毛頭無いんでそこはハートに刻んどいて」
手の温もりの余韻に首を預け、頬擦りする私が目を開けた時、マイクさんの目は釘を刺すような色をしていた。
簡単には諦めてくれない、そんな、真っ当なヒーローが心底嬉しかった。
-会いに来てください
-できる限り、毎日でも。
「そんな事?」
-いえ。大きなこと、です。
「虫除け、だな?」
-YES!
マイクさんはそこで大きく笑った。俺が虫じゃなくて良かったワ、とか、ユメちゃんは隙だらけだから、俺が虫でも可笑しくないとかなんとか。
「気ヲ付ケテネェ。俺モ野郎ナンデー。警戒0ハ傷ツキマスヨォ」
宇宙人みたいな声でウネウネするのが面白くて、弾むように笑ってしまった。
「それそれ!!それだ!…なぁユメちゃん。その声の事なんだけど」
何かに気がついた様なマイクさんは、私の前に手を出した。
「手、握ってくんない?叫んでるのも聴こえるけど、もう一つ見つけたんだわ。扉を開ける前と…さっきから。実はユメちゃんが笑う度に聞こえてる」
驚いた私は少しフリーズしていたと思う。彼には一体、どんな風に聞こえてるっていうんだろう。
彼は試してみよう、と案を出した。わざと間を取り、好きなタイミングで歌ってみろと言う。
俺が目を閉じている間に聴こえたら手を握り返すから、というものだった。
3秒だ。
今から3秒たったら。
うるさくないように、あー、とだけロングトーンを試みる。同じタイミングで彼は私の手をギュッと握った。
「ナァ?…ばっちりじゃね?」
驚いた私は、
えええええ!!!とか、
えええええ???とか、
とにかく内心、えええしか叫んでいなかったんだと思う。
またゲラゲラ笑いだした彼は、「今めっちゃいいシャウトしてんな」と、涙を滲ませてひぃひぃ楽しそうに布団を叩いていた。
-聞きたいことがありまして。どんな風に聞こえていますか。声ですか、音ですか。
「周波数、解るか?人間の耳では聞こえない類の。音の波みたいなもん。叫べばそれが聴こえる。笑えば小刻みに弾んで聴こえる。…感じる?だか聞こえるだか、まぁそんなもんだわ」
-うるさくは、ないですか?
-耳、痛くなりませんか。
ずっと、気にかかっていた。
私には聞こえない声を、この人は聞いてるんだ。昨日だって喉が死ぬかと思うほど叫んで。あんなデタラメな悲鳴、うるさいどころか破壊的な音だったらと思うと、不安でならなかった。
私の手を再び握る彼が、諭す様な顔で笑っているのは、それほど顔に出てしまっていたからなんだろう。
「なんでエンジェルって呼んだか解るかな?My Sweet Angeeeel?」
…解りません。
俯いて呟いた私の顔を片手で上げて、視線が絡む様にゆっくりフォーカスさせた彼は、やたらと甘い声でこう言った。
「そんな声って事」
そんな声、そんな声。
そんな事を言われても、天使の声なんて聞いた事が無いし。マイクさんだって、天使の声聞いた事あるんですか。そもそも天使は叫びませんよ多分。知らないけど。大体クジラとか超音波とか人間の類は聞こえないなんて言っておいて、なんでマイクさんにだけ聞こえるんですか。あなたは超人類か何かですか。
甘さにいよいよ泣きそうになった私は、多分色んなことを早口でまくし立てていたと思う。
相変わらずどんな風に伝わっているのか理解できなかったけれど、「アンプの関係かねぇ。解んねぇけど」と呟き、体育座りの様に立てた私の膝の上で寝そべってしまった彼が目を細めて放った言葉の破壊力は、どこまでも私の心を溶かしてくれた。
「まあ、聞こえるからどうでもいいっしょ。明日の計画立てようぜ」
【声の融解温度】
fix you