BGM:作業bgm:Sia / Play Dumb
星々が刻んだ耳の石碑
「失礼します!ユメです!」
挨拶と同時にガラリと鳴らす不躾な仕草でも止める人はおらず、それどころか落ち着いて下さいと声を掛けられる。
イレイザーさんに付き添われて開けた扉。
一番に視界へ飛び込んだのは、
ひざしさんの黒いジャケットと、
振り向こうとして固まった、開ききった瞳だった。
「しばらく教師寮に籠ることになった」と通知が光ったのは昼の事。イレイザーさんから話があると電話を貰ったのが、一時間前のこと。
今は窓から差し込む光より、
保健室の蛍光灯の方が燦々としている。
「大丈夫ですか?!ひざしさん!」
リカバリーガールさんの目も見ず、
ひざしさんの肩に触れる。
いつだって振り返ってくれた微笑みはそこになく、背筋に力を込めて頑なに動こうとしない。これは、がしりとした体格だからとか、体感の良さなんかじゃない。意思によるものだと不穏な空気で確信した。
ひざしさんの横顔からは、夕日を映さなくなったせいで暗く見えるサングラスと、それより黒味を帯びて深まった緑が見える。その瞳がどうしても、私を見ようとしては返り、震えているように思えた。
「帰らないって言ったことも、嘘になってしまった事も怒ってません!だから……」
気丈にいるべきだと思うのに、勝手に涙が私の世界の邪魔をする。それでも、拭ってなんかやるものかと力を込めた指先を解こうとしたのは、何度だって助けてくれた太陽の掌。
ゆっくり擦るような、揉みこんでくたくたにしてしまうような優しさで皮膚が滑って、ぎゅっと指達が軋む。
手を引かれるのと、ひざしさんの身体が動いたのは同時だった。
サングラスを外し、机に置く。
私を見つめて、口を開く。
両手の指で喉元を摩り、ヒラヒラと波打たせる。
はぁと吐かれた息遣いには覚えがある。
私が失ったあの周波数と同じ呼吸を響かせて、
彼は机の引き出しから一冊のノートを取りだした。
-俺は今、声が出ねぇ
そう書いて、最後にトンと点を鳴らす。
なんの悪気もなさそうに見せたその仕草が出会いを巻き戻したような衝撃で、瞳の照準が遠のいていく。
一緒なら、二人ならと手を取ったのに。
誰へでも届けられるその声を失った衝撃を私には分けてくれなかった事を、あの苦しみを、救ってくれくれた貴方が今味わっているのに一番に駆け付けられなかった事を思うと、何故とどうしてが止まらない。
-黙っててゴメン。ユメに話すにはショックが大きすぎると思った俺の独断だ
-あまり心配しないで欲しい そのうち戻る
-、、大丈夫か?ユメ
耳馴染みの良い声が今は紙の上でインクを滲ませている事実を飲み込み、そっとノートを閉じる。ペンは私の胸ポケットに。
貴方が見せてくれた空も、雨も、陽光も、自由も、全てを抱けるくらいにこの手が大きければと、広げた腕で目一杯に抱き締めた。
「私はステーキを大皿三枚は食べられます」
いつもの声が響かない代わりに、
間の抜けた声を零したのはイレイザーさんだ。
沈黙によく染む低さで、は。と、一言。
ひざしさんはといえば、
開けっ放しの口から広く浅い息を吐いている。
多分、これは……
「Whaasaaaat's?」とか、そんなのだ。
「大丈夫じゃないのはひざしさんでしょ」
そう言ってすぐ、重なる様に優しげな声が聞こえて、やっとリカバリーガールさんの存在を認識した。ほら言っただろうと、呆れた声が心を更に穏やかにしてくれる。
きっと張り詰めた緊張感で全てを閉ざしていたのは私で、本当は部屋に入った時からずっと声を掛けていてくれたかもしれない。
「少し無茶したかもしれないねぇ」
彼だって前線に立つことはある。
あの病院だって飛ばしてしまったんだ。
そんな彼が無茶と言えば、
そんなのあの日の戦いによるものでしかない。
ひざしさんが帰らないと言ったのは、私を一人にする事よりも、自分のせいでと私が自責の念に押し潰されないように気に掛けてくれたからじゃないかと思う。
「あの、詳しくお聞きしてもいいですか?」
「喉を痛めることは無くもないんだ。普段の活動でなら少々無茶しても戻ってるよ」
「私もそう思います」
「一過性のものだとは思うよ、アンタがいい例さ。少し休んだ方がいいねぇ」
「ありがとうございます。はい!帰りますよひざしさん」
突然勢い付いたせいで、少し部屋の空気を置き去りにしてしまった気がする。それでももうできることは休む事しかないんだから仕方は無いのだけど。
ひざしさんが私のポケットからペンを取り返して何かを書き始めて、その間にイレイザーさんから数日の采配はできている事を聞いた。皆さんに深く頭を下げた傍らで、「待って待って」と書かれた紙が揺れているけれど、ちょっと、それは聞いてあげられない。
引き上げた荷物を抱えたひざしさんはずっと、駐車場に辿り着くまでの間、私にノートを押し付けていた。
「えっとひざしさん、私運転した方がいいですか?」
ぱ、と開いたひざしさんの手からノートが落ちて、それを拾うには手荷物が邪魔そうで、面倒だったのか諦めた指先が四角を作る。
「免許はありますよ。何年も乗ってませんけど。あ!あと左ハンドルは初めてです」
すると止まっていた手が荷物を落として
瞬く間にノートを書きなぐり始める。
……顔は、とても大変そうだ。
-大丈夫?!やめよ??ネ?
-俺元気ー!おれは、げんき
-うで うごく あしうごく
達筆が猛スピードで平仮名に崩れていくのを眺め、首を傾げる間にノートを持たされる。あれ、ペンのフタはどこかしらとキョロキョロする間に、丁寧なエスコートで助手席の扉を開けられてしまっていた。
いつもの二人を取り戻した様な気がしても、
玄関を開けて自分の声しか響かない事が少しずつ脈を乱れさせる。
私はこんな時にどうしてあげればいいのか、
何がしてあげられるのか何一つ分からない。
ただ、浮かぶのはあの日の走馬灯で、
ブーツでモタつくひざしさんを馬鹿の一つ覚えみたいに引っ張ってソファへ座らせ、毛布を掛けて、お風呂のお湯を張り、ノートを広げる事しかできなかった。
それでも、準備は整ったのに、
全くと言っていいほど言葉が見つからない。
驚いたけど私なら大丈夫です。
辛いですか?悲しくないですか?
何か言いたいことはありますか?
心当たりはありますか?
あなたの心は、大丈夫ですか?
頭の中には聞きたい事だけ並べたのに、
彼が漂わせる空気に見合う匂いが分からない。
どんな言葉が必要なのか分からない。
寄り添う文字が見つからない。
彼の欲しいものが分からない。
何処までも届く灯台の光はこんなにも鮮明に思い出せるのに、波紋のように広がる余韻は今でも心の中にあるのに、何ひとつ最適解が分からない。
一度は持ち直してあんなにも気丈で居られたのに、顔を醜く歪めてまた涙が溢れる。
泣きたいのはこの人かもしれないのに。
「ごめ、……なさ……違うの、違う」
膝から崩れ落ち、
両手で顔を覆った私は、
大きな声を上げて泣いていた。
「私、少しも、貴方がくれたように、できない」
叫ぶような切れ切れで発声できたのはこれだけで、顔を見ることが怖くなって、覆い隠す手の節は固く固く曲がっていく。そんな指の隙間から、紙が一枚、また一枚と置かれていくのが見えた。
-夜、本当は起きてる
-時々眠れない
-ユメの周波数が消えてくのを思い出しちまう
-ユメの声はもう、聞こえるってのにな
-自分でも変だと思う
-毎日 同じ夢を見てる
-周波数と一緒に、ユメが消えてく夢を見る
-それから調子が良くねぇ
-こんなこと言えね
硬直していた両腕は、
裏返された紙面に記された「黙ってて悪い」という言葉を見る頃には緩み切っていた。
早くその身体を、心を、
思いを抱き締めたい一心で指を伸ばし。
それを迎えに来てくれたひざしの手は、
太陽を掴んだように暖かかった。
「私、ここに居るから。そんな夢、全部忘れさせてあげるからね」
お風呂が湧きました。
温度を取り戻した空間へ、
あの日のように日常の音が鳴る。
涙を拭った私は、
太陽を連れてバスタブに沈んだ。
二人を溶かす熱に包まれて肌を啄み合い、いつでも心臓は此処にあると互いの胸に手を当て、五度絡めあった指先の果て、六つ目の幸福はあなたであると唇を寄せる。
柔らかなシーツに沈めば、
いろとりどりの青や黄色、赤の花が飛んだ記憶と、
二人で眠ったあの日の香り。
終わらない悪夢の、
明かりを消すのは貴方の手で。
安息の安寧の、
明るい暗がりをつけるなら私の手で。
貴方が叶えてくれたように、
ひとつも声は取り零さないと固く誓う。
だから、
何が最善かなんて今でも解らないけれど、
私に、貴方の声を聞かせて欲しい。
「ユメ……ユメ、声が」
手足を絡ませて泥のように眠った次の朝
夢の中の貴方が手放せなくて
まだ起きられないと微睡む私に、
掠れはすれど、胸を貫く呟き。
後はほんの一瞬だった。
まるで胸の内が柔く包まれたようで。
窓から飛び出したあの日の回想が、
風で靡く黒髪と、青空と、白雲と、太陽とが、
ただ闇をいっぱいに塗り替えていく。
「おかえりなさい。……あの、えっと。
あと……おはよ……私のひざしさん」
語り部は、
声は時を遡るという。
声とは人の思いであり、
思いは時を越えて願いを刻み、
形もなく過去さえ照らす光であるのだと。
だとするならば、
私達の耳に届く幾つもの美しい周波数は、
もう既に、
消えること無く照らし続ける、
星達の光であるのかもしれない。
【星々が刻んだ耳の石碑】
-Stella's Stela-
fix you