BGM:Muse/pressure
独占欲の提供でお送りします
「…っ!……ふ…!!」
もっと脇を締めろ、もっと早く引け、
最大の力を乗せろ。
声では足りない。もっと欲張れ。
こんなでは足りなくなる日が来る。
「…ハ、……ッ!!」
拳はグローブの中で、
感覚を失いかけながら震える。
無呼吸から息を整える差分で全身から汗が吹き出て、頭の皮まで溢れた汗が邪魔そうに髪を避けながら、顎を伝って落ちていく。
同じく濡れた腕で顎の痒みだけを拭い捨てて、サンドバッグの揺れを抑えた。
「ハ、…足りね……クソ」
あのガス男がジッポのホイールを少しでも掠っていたら、ユメも俺も燃えていただろう。
景色を歪めるだけのガス濃度なら、火はスーツの耐久値を超えたかもしれない。そんな炎上の可能性を越えてユメが滑り込んだのは奴の手元だけじゃなく、"俺の体" だった。
ユメが怖いのは火じゃない。
それにより誰かを毒す事だ。
もしその心配が消えて、
大丈夫だと過信したら。
…あの行動は必ず、エスカレートする。
「…激しいハグじゃん?」
「飛び込んでいいのでは」
「アレェ?怖かったの」
「いえ。貴方に大丈夫と教わったので」
「じゃ…なんで真顔?」
「ヒーローの手は焼けないのですか」
「あぁ…んな事気にかけてたら守りてぇもん守れねぇよ」
「よく分かります」
"よく分かります" だと。
「…奇遇だな……っ!!…嬉しい…じゃねぇかよ……っ」
短い呼吸後の一発で大きく揺れた動きを睨み、ノックアウトの抵抗感を追い詰めるように右と左を何度も被せていく。
良くも悪くも目に止まるその特異さを持ち、ユメがどんな世界を見てきたかなんて考えれば直ぐに解る。
あの飄々とした態度は、
無知でも興味の無さでもない。
…ただ、"慣れた" 奴の顔だ。
悪に利用されれば争いが起き、護られたとしても新たな利用があるだけで自由は無い。
それなら "救助の協力" という大義名分を与え、俺達が利用して、ユメに自由を。二人で決めた事だった。ユメは追跡装置を捨てられる。あのスーツを纏って逃げても構わなかった。
でもユメは此処を選んだ。
だからユメが俺達を選ぶ間は。
"「マイクさん!!」"
逃げて…ってか?
そんなお前が居るのにか?
お前はもう削らなくていい。
ユメが身を呈す前に、
俺が全てを掴めばいい。
「ごめんなさい、寝すぎました」
ラッシュで揺れるサンドバッグを両手で抑え込み、寄りかかる様に足元を見ながら呼吸を整える。
顔を流れていく汗に目を顰めながら、声が彷彿させる立ち姿を頭の隅に追いやるよう努めた。
「………三秒で出てけェ」
「ごめんなさい、中々起きられなくて。今お風呂が空きましたので。では」
「遅ぇ」
だらりとした姿勢から扉だけを目指し、左のグローブを押し付ければユメがすり抜けた隙間は音を立てて締まった。
「パンプアップ中の部屋にそんなカッコで入ったら悪い男に抱き潰されんぞ」
「悪い?…貴方は悪い人じゃない」
滑るグローブの代わりに両腕で囲えば自身を見上げる瞳、その下で誘う様に、銀の胸元で緑が揺れる。
「水の無駄遣い…すんなよ」
「…矛盾してますよ。マイクさん飲んでます。水道はあちらです」
「飲んでんじゃねぇよ」
無でありながら微笑みにも思える。
開いては閉じる唇を何度も咀嚼し、早急に鎖骨まで舌を沈め、ふと離して眼前の胸の頂を舐め上げる。
とんだ生…"殺し" だ。そう言葉に詰まって、呼吸ごと飲み、しまい込む。
これが俺にとって生殺しでなけりゃなんなんだという問いに、瞬時に "毒" という言葉が浮かぶ。代わりに浮かぶ回答はどんなに転んでもユメが忌むものでしかない。
求めた手は素通りする。
逃げもしない受容の顔をして、
こちら側の礼も、気遣いも、情も、愛で慈しむ想いも、やるせなさも、虚しさも、欲も、ユメは何も持ちはしない。
「そんなに喉が渇きますか」
水膜を突く度、舌を取り込んでいく僅かな緩い水圧が、自我を疼かせて思わず唸り声が落ちる。
「ああ…カラッカラだわ」
俺は貪欲の塊だ。
この僅かな抵抗が触れた気にさせる。
なぁ、もっと俺に抵抗してくれよ
「足りねぇ」
ゆっくり上がったユメの手は、胸までずり落ちていた俺の頭の辺りで一度止まり、額から眼球に向かって流れていた汗を捉えて指先で静かに取り込んでいく。
その胸のすく仕草につられて視線を上げ、やっとグローブの紐を緩めた。
「何故開けておくのですか?立ち入り禁止なら締めればいいのでは」
「待ってたからだよ」
「相変わらずです」
「何がァ?」
「貴方の情緒は滅茶苦茶で楽しい」
「あーダメだ…ユメちゃんには適わねぇな。風呂風呂」
ユメの睡眠から入れ替わるようにバスルームへ向かったマイクだったが、汗を流しても再び潮風を浴びる事となる。
乾いた髪を適当に纏めてイレイザーへ変わろうとした頃、いつもより少し早くユメの踊りが始まり、互いに持っていた水の入ったグラスを、バスタオルと着替えを手離した。
「ごめんなさい。私が長い間お風呂で寝てしまったから二人とも入れずでしたのに。また遅れてしまう」
「んなもんいつでも入れます。疲れてたんでしょう」
「好きな時に寝てろ」
いつものように先回りして通路の扉を開け、またその後を追う。
しかしこの日、
ユメが踊りながら行き着いた先は驚く事に、我らが調査船の甲板に続く直通デッキの廊下だった。
「船内?!」
「事件の匂いしかしないな」
「なぁ、…ちょっとマズくねぇか?」
夜とはいえまだ就寝には早く、
更には人目に付く。
案の定、踊るユメの周りには、通りすがりの船員や顔を出した者がちらほらと集まり始めていた。
「ひ…びっくりした…動く銅像?!」
「やっべぇ身体」
「…怖」
「綺麗なもんだなぁ」
「そうか?…不気味だろ」
「おい声大きいぞ、聞こえるって」
「悪いねぇぇ!彼女、お仕事中なんで離れて貰えっかなァァァ」
「すいませんが部屋に戻って下さい」
そうは言っても埒が明かず、
人の輪から時々聞こえる良からぬ声を耳にする度、「ごめんなさい」と謝罪するユメに胸を痛める。
とはいえ踊る時間を短くしてやる事もできず、ただ注意を促しながら見守るほかない。そんな中、更に追い打ちをかける様な招かざる人物が二人に声をかけた。
「ユメさんが宣告中と聞きまして」
「野次馬なら帰って下さいよ」
「研究開発サンが何の御用すかァ?」
「ユメさんの事情聴取です」
「は?」
「…何のですか」
その男曰く、今日も含め、近頃船内の廊下をバケツで水を撒いたような跡が多々目撃されているという内容だった。
イレイザーもマイクもちらりとユメを見る。その足元は舞いながらに床を濡らしはしても、到底バケツで撒き散らしたようなものでは無い。
しかし話はそれに終わらず、
"水で一瞬包まれた" と証言する者まで現れ始めたと続けられて、二人は眉をひそめた。
これは明らかに類似する何かの仕業で、もしユメがこの濡れ衣を被れば、居場所を追われる事くらい安易に想像がつく。
「今日だって一日風呂場で眠り姫だったんだ。ユメな訳がねぇ」
「勿論。包まれた者は皆、"目が染みる、塩っぱい" と言ったそうです」
「海水か」
「ええ。ユメさんのスーツが目に染みる訳が無い」
「これ侵入者だったら…セキュリティも問題アリアリじゃねぇの」
「その辺も強く上に抗議するつもりです。…とにかく私はスーツを作った者として、聴取でユメさんの潔白を証明してきます。私は風紀委員も兼任しているので、ついでに夜間出歩き制限の注意勧告もするつもりです。……ところで」
男は遠目に眺めていたユメからイレイザーへと向き直り、「目に染みると言えば」と、これまでの神妙そうな語り口を大きく崩した。
「もう少し協力を仰げばどうですか?宝物は隠しておきたい男心は良く解りますが。……それにチームと言いますが特に貴方の抹消なんてユメさんと相性最悪では?」
「…お宅、やっぱ後味の悪さ圧倒的だわ」
手を伸ばして廻るユメの顔がこちらを向き、その目を遠くから眺めたイレイザーは、今までに自分自身が思考してきた懸念を掘り返す様に頭を巡らせていた。
ユメを抹消したら。
恐らくユメ本人ですらこの想定は難しいだろう。
水を失えば死ぬと言う。
身体は水銀、有毒だと言う。
全てが想定外のイレギュラーで前例もなく、本人でさえ解っていない。それを抹消すれば、跡形もなく消えるだろうか。この目はユメの命を奪えうるか。
そしていつしか考えるのをやめたのだった。立てた仮説にはどう立証するかがついてくる。その立証とは、実験とそう変わりない。
「我々実験は趣味じゃないんで。実践で模索します」
「相性は作るもんだぜぇ?チェリーボーイ君よ」
「いちいち品の無い人ですね」
「お互い様ァ」
「協力なら頼みますよ。潔白証明も何も、濡れ衣です」
いつの間に踊りを終えていたユメは、数人から拍手を浴びながら三人の元へと戻り、説明を快諾して、男と共に廊下の奥へと消えた。
その後、
一時間もしないうちに戻ったユメは、男からの伝言を持ち帰る。
それは "事件はヒーローにお任せするしかありませんが我々なりに全面協力します" といった内容で、後味が悪い男もユメの存在を守る意味ではチームアップのような物かと思いはしたが、憎い男の節々に残るユメを取り込みたさげな発言を思い返しては、イレイザーもマイクも苦虫を噛み潰したように自分達に重ねていた。
我々が守りたい、俺が守りたい。
我儘にそう願うのもまた、
あの男とそう変わりはないのだと。
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