「その髪むしりたい」
「やってみろよい。届かねえだろうが」
一度でいいから、
ひいひい言わせてみたい。
チャンスさえあれば泣くまで引っ張ってやりたいと常日頃から思っているのに、今は口先だけで、実際はそんな気も起きないぐらい、連日続く不眠のせいで全く力が入らない。
「こんな所で寝るんじゃねぇよい」
「うるさいな」
日光降り注ぐ甲板にうつ伏せで寝転んだまま、マルコの顔も見ずに文句を言って、私はまた気ままに両腕を伸ばした。
「心配無用。最近寝たくても眠れないから」
「昼まで寝る奴の言う事かよい」
お前が見たのは何日前だよ。
古い情報をいつまでもひけらかすなんて性格悪いなあと呆れていたら、ついでのように「どうした」と聞いてきた。
「あんたが戦ってるとこみたら眠れなくなった」
はあ?と抜けた声がふってくるけど、これは別に嘘じゃない。
戦闘になるといつも部屋にこもるのに、あの日に限って早く部屋を出てしまった私は、偶然それを見てしまったのだ。
視界の端から端まで凄いスピードで飛び回り、青い炎が尾をひきながら揺らめいて、目まぐるしく形を変えるその合間に、ニヤリと笑ったマルコ。
悪い天使みたいなその姿に目が離せなくなるほどの衝撃を受けて、開いたままの口が、一部始終を見終える頃にはカラカラに乾いていた。
甲板に飛び散った炎の中には、いつものマルコが平然と立っていて。
思いがけず目撃したあの瞬間から、焦げ跡すら残さず綺麗に消えた火が代わりに私の睡眠を奪っていったのだ。
「なんでだろーね」
「怖いかよい」
「いや、どっちかって言うと、馬鹿みたいに綺麗で愕然としたわ」
そう口に出してみたものの、あの光景を表す言葉は果たして、本当に綺麗であってるんだろうかと疑問がうまれてくる。
美しい
まばゆい
神々しい?
あの炎を表す言葉はたくさん浮かんでくるのに、どれも全くしっくりこない。驚愕、愕然、唖然、衝撃、劇的ショック。
恐くはなくても、そんな言葉の方が近いんじゃないかと、気がつけば背後の存在も忘れて独り言を呟きながら、うんうん唸っていた。
「ソレ、魅せられたって言うんじゃねぇの?今更マルコに恋患いかよ」
床に寝そべったまま、自分の腕の日焼け具合を見ていた私は、急に響いた第三者の声に慌てて振り向いた。
目に入ったのは笑うリーゼント野郎の背中と、その隣りで、細い目を倍に見開くマルコの姿。
面食らったように棒立ちで見つめてくるマルコに絶句して、あやうく思考が止まりそうになった。
「若いネェー!」
「はぁ?…あんたの前髪むしってやろうか」
おにーさんドキッとしちゃったわ、と去りかけの肩越しに口元の笑いを押さえる拳が見えて、怒りのままに手を伸ばしたけど、余裕でかわされてしまう。
「ヘェーやってみろ、どーせ届かねえよ」
マルコと交わした会話と同じ台詞に口笛を付け足して逃げ去ったサッチに、最初から気配で気が付けなかった自分を恨んでみたけど、もう既に遅かった。
「あー…マルコ、」
直立したまま動かないマルコと妙な空気に包まれて、今すぐ立ち去りたい気持ちで一杯なのに、どうにか弁解をと、変な気が回ってそれすらも叶わない。
「マルコってば」
「なんだよい」
やっと反応したマルコは真に受けてる様子も無くて、要らぬ気を使ったみたいだと笑いがこみ上げてくる。
「本気にし」
「してねぇよい!!!」
普段通り面倒くさそうに見下ろしてくるから安心しきっていたのに、冗談の一言に被った予想外の大声で、二人の間には再び変な沈黙が流れ、怒るなとか怒ってねーよいとか、意味の解らない口論まで始まってしまった。
真っ赤な顔を隠すみたいに歯を食いしばるマルコを見ながら、不死鳥の炎を見た時と全く同じ衝撃に見舞われた私は、彼の必死さが匂わすものに驚愕し、不機嫌になればなる程嬉しく思う馬鹿な自分に呆れて、ただ愕然とするしかなかった。
不眠のメカニズム
それが解ってしまった今日こそは眠れないだろうと覚悟していた私は、その夜ダメ元で目を閉じてあっさり眠りにおちた。
深い眠りと浅い眠りを繰り返す
数日ぶりの夢の中、
日焼けを気にする私が見つめるその先には、全ての組織を再生してしまう不死鳥が悠々と羽ばたいていて、降り注ぐ青い火の粉を眩しげに見上げた私の胸の内を、じわりじわりと焼き尽くしていった。