10/31企画 ハロウィンぽい街の話

古書街の悪夢




大小様々な書店が所狭しと立ち並ぶ街の大通りを、はしゃぎ倒す学生達の声が埋め尽くす。

近くに歴史ある校舎があるせいで、いつしか本屋街になったのだというこの街は、本の街であると共に、そこへ通う若者達の街でもあった。


年に一度の死者の祭りが近づくと、その活気はパレードのように派手なものになるらしく、実際、練り歩く学生達は色とりどりに顔中を塗り上げ、思い思いの仮装で小道具までも抜かりがない。

移り住んだばかりの私も是非、その街色に染まってみようかと挑んだ天使の羽など、その中ではかえって浮いて見える程だった。


散歩のつもりで練り歩く波に乗り、一つ一つの店を見る。どこの書店も店先が北を向いているのは店頭の書籍が日焼けしないための特徴らしいが、面白いほど規則的なその並びの中で一軒だけ、奇妙な書店を見つけた。


入り口がなく、一軒分にも満たないただの漆喰の壁は所々傷んで崩れ落ち、何処の書店よりも年数を重ねている事が良く分かる。
異質な存在感に強く惹かれ、仮装列から抜けだして入口を探そうと裏手に繋がる路地へ回った私は、案の定、締め切られて随分立つような扉を見付けた。



薄汚れて曇ったガラスの内側、カーテンの隙間に何か人影が見えた気がして、明らかに人を拒むその店を「頑固な主が守っているのかも」と心を踊らせ、別の方法で入れやしないかと外周をくまなく見渡す。


すると、見上げた二階のバルコニーは換気のためか戸が開けられていて、風に揺られてレースが引っ込んだり、出たりを繰り返している。もう中へ入る事しか頭に無かった。


しかし、今にも崩れそうな鉄階段を壁伝いに上り、バルコニーに立った瞬間床板が抜け、私の体は吸い込まれる様に、未知の店内へと落ちていった。



砂塵のような埃の中で見えた本の山、蜘蛛の巣だらけの棚。散らかる机、倒れたオイル切れのランプ。

ひどく驚いた顔で目を見開き戦慄く男は、机と壁に挟まれて椅子に座っていた。私はどうも、その膝の上に落ちたらしい。




「あ、あ!…ごめんなさい、あの」



未だ慣れない夜目を、壁に当たる月光が僅かに助け、その男に釘付けになる。

驚愕する顔は下がり目のせいか、愛しさが湧くほど可愛らしく見えた。至近距離で厚めの唇との相性を想像してしまうほど強く惹かれ、常識が隅の方へ追いやられていく。


温度も感じない胸板だが離れ難く、また目の前の男も嫌がる様子は皆無だったので、退く事もなく、そのまま会話は始まった。



「迎えが来たかと…思ったよい」


「ごめんなさい、紛らわしくって」



落下の際に曲がったのか、折れてぶら下がるだけになっていた仮装の羽をちぎり、男と自分にかかった埃を払う。



「ここは?」


「曰く付きの古本屋だよい。誰も買いに来ないが」



売る気がないなら本屋であるかも怪しいな。そう付け足しながら、ひと撫でする革張り表紙には物騒な黒い痕。
手を伸ばせば届く距離に、読破するのに何日もかかりそうな厚い本が何冊も溢れている。



「難しい本ばかり愛読してるんですね」


「考えないためだよい。つまらない事を、何も」


「…少し話しませんか?」


「ああ。暇潰しになるよい」



何も、彼の微笑みばかり見ている訳ではなかった。毎日をどのように過ごしているのか、本を売らない書店で何を生業として生きているのか、一歩も外へ出ないのだというこの人は毎日何を食べているのか。謎めいているよね。と、わざと背を向ける私に、誰かの囁く声が聞こえる。



「お腹空きませんか?お好きな物お持ちします」


「赤いものだ」



謎に触れかけた首元で怪しく囁かれて、確信した。私が何かから頑なに逃げて、見ない様に背を向けている事にこの人は気が付いているのだろう。


聞かないのかと囁いた声は、この人のものであったのかもしれない。吸血鬼か何か、化け物の類であるかもしれないぞと言われている様で、思わずその場から物音立てて駆け出した。


しかし逃げたのではない。時は既に真夜中、野苺を摘んでものの数分で戻った。あの短時間で危機的に飢えた自分を満たすためだった。



「懲りないな」


「はい、ここでご飯にします。赤いものお好きなんでしょ?いかがですか」


彼は微笑むだけで、ひとつも食べやしない。ただ緑をちぎり、私の口へと運ぶ。遅れる冷たい指先は唇を弾き、緩く速度を上げ始めた鼓動が別の甘さを呼ぶ。



「どうしたよい」


「此処に居ると何故だか酷く飢える。でもそれがどうでもよくなる程…幸せなんです」



とても穏やかだった。

初対面とは思えない程、その胸は居心地が良い。男もまた、随分と前から知っていたかのような扱いで頬を撫で、この身を抱き締めてくれる。

互いの顔がやっと見える距離、暗闇に包まれた異空間で、居座り続ければ命に関わると悟りながら、不思議な感情を甘やかす道を私は選んだ。


それ故、頬は一夜にして痩けた。意地でも離れるものかと、このまま男の胸に抱かれながら、飢えて息絶えたいと願うまでになっていた。



しかし、
ほんの少し眠る間に朝は訪れる。


一晩中彼の胸に寄り添っていた筈が、いつの間に一人で腰掛けている事に気が付き、当たりを見渡せば、離れて佇む彼が本を開いていた。



「どこ行くの?お腹が空いたの?それなら私が行きます、何がいいですか、私貴方のためならなんでも」


その背には開かずの扉がある。異様な光景なのだと嫌でも解った。



「欲しい物なんてねぇよい。お前以外に」


「ならどうして」


「お前の未来も守れねぇで、なぁ」




本は閉じられた。

伏し目がちな微笑みは、
もう、私を見てはいない。



「待って!行かないで、私はどうすれば」


「難しい本を読んでればいい」


「嫌…だって私、貴方を」


「俺もだよい、ユメ」



この街でたったひとつ、
南向きの扉へ向かい、分厚い遮光カーテンを勢い良く捲りあげた男は、足跡一つ残さず、扉を開けるより前に、夢のように輝いて消えた。



「 生まれ変わったら、また逢おうか」


そう聞こえた。
いや、直接、胸の中で響いたのだ。




朝日は容赦無く射し込んだ。

すると、初めて見る部屋の全貌に涙が溢れてくる。孤独を拭ってきたのだろう、端っこの擦り切れたトランプ、首の折れたチェス駒と、それを押し潰す様に溢れる、本の山。


これで全部だと思っていたその後ろに、連なっていた幾つもの知らぬ本棚。一緒に食べた果実の、床に落ちていた緑のヘタが示す思い出も、もう苺の様に甘くはない。


あの人の歴史を照らしだす残酷な陽。朝日の眩しさは遮るものを無くし、私の背後に強烈な影を残す。愛の言葉が埃のように積もる古書街の片隅で、孤独な男が一人、光に溶けた。







「嫌な話。私すきじゃない」


「まったくセンスの悪い話だよい。誰が持ってきやがったんだ」


「貴方が読んでくれるって言ったの!」


「忘れちまったよい」


「もう。適当なことばっかり」



へらりと笑い、
冗談めいた顔に柔らかな光を乗せた男は、巡り巡った瞬間に目を細めていた。


寝そべる素肌に感じる36度弱は掌に馴染み、胸を熱くする。その声は、報われなかったいつかの終幕を塗り替えて、ひたすら幸福しか残さない。


とても、
笑わずにはいられないのだ。




「まあ、そう怒るな。俺はお前を愛してんだよい」


「どうしたの急に」


「いいじゃねぇか。言えよい、お前も」


「…突然言われると、」


「早く」



恥じらいながら俯き、遠慮がちに呟かれた名前と言葉を噛み締めて、男は愛しげに窓際の無垢な恋人を抱き寄せる。



花と蝶、山羊と狼
早生まれと、遅生まれの蝉
待ち続けた男の霊と、
一人の娘。

同じ女と何度も繰り返す悲恋の全て、それを知るのはこの世で一人、不死鳥の如く意思を持ったまま転生し続ける、この男ばかりだった。



企画PBDP提出。

 


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