企画45min.より
国語辞典・本のページ数を
指定してもらい、
出た単語をテーマにして
「45分以内を目標」に
指名されたキャラで書き合う
お勉強企画。

辞典お題【長考】【臨海】


ガラス張りの向こうに望遠鏡を向けたのは、これで何度目だろうか。


明日な訳が無い。
今まで予定通りに戻った試しもない。大体、「早ければ明日」という確率がどれほど少ないのかも知っている。それでもレンズを覗く度、無事だろうかといちいち溜息をついてしまう。


「さぁ…今回はいつになりますかね」


散々うろついた末、机に戻り、目の前の資料を寄せてカップを置く。するとたまたま入って来た男が何気なく望遠鏡を覗き、突然大きな声を張り上げた。


「ユメさん!!あれ見て下さい!」


さっきは何もなかったのにと仕方なく立ち上がり、男から取り上げて覗く。すると寸分の差で現れたのは、紛れもなく彼等だった。


「え?嘘でしょ…なんで今日?」


その瞬間、不意に頬を伝って落ちた雫に、平然としていたつもりで不安に潰されていたのだと思い知らされる。


「こちら指令室!よくぞご無事で!はい、ユメさんですね、今…」


レンズ越しに見られやしないだろうか。
慌てて海に背を向けて、帰還を知らせる通信を切れば、良い顔をしていた電伝虫がただの変な表情に戻った。



「ユメさん!!?なんて事するんですか!!!通信を指令室が拒否するなんて前代未聞の」


「ちょっと君、ハンカチ貸して」


「……ユメさん?」


「他言したら殺す」


「…ハイ」


「行ってよし」




数分後、
帰還した後必ず指令室に顔を出す彼は、帽子とコートを掛けてソファーに座り、疲労を拭っているのか気合を入れているんだか、両手で目を抑え、そのまま髪をかきあげて寝転んでいた。


「駄目だ、今回も掴めなかった」


テーブルに彼のための熱い珈琲を置いて、寝そべる長身が余らせた僅かなスペースに腰をおろす。すぐ隣の顔は未だ悶々と、片腕を目に乗せ、溜息をつく。


「そんなに焦らなくても」


「いくらあっても時間が足りない」


「まあ…そうだけど」


私達が目指すものは、たとえ一人の生涯を全て使ったとしても中々に変えられないものだ。

焦っても無駄で、地道に進むしかなくて。それでも世界は待ってはくれない。しかし、そんなにも大きなものを前に、この人は変わらぬ眼差しで立ち向かい続ける。

焦って欲しくはないけれど。
そんな彼の力に少しでもなれるのなら、私は自分の時間をどれだけ使おうとも構わない。



「もう少し視野を広げて調べてみるね」



でも、
皆と変わらぬ志のほかに
邪心が増えた事は、
都合が悪いから黙っておく。



「直ぐ持ってくるから」


ところが、資料庫へ向かおうと立ち上がった私は、直ぐに足止めを食らった。



「俺が焦るとユメまでそうなるのは不本意だな」


「ん?無理はしてないよ」



振り返って握られた手を辿れば、寝そべったままのサボと目が合う。気にかけてくれるのは嬉しいけれど、突然のこれは少し心臓に悪い。困った顔のなだめ方を考えなければ。


「大丈夫。ほら、離して」


軽く揺すればいとも簡単に開放された。 しかし、一度離れた手が次に掴んだのは、置きっぱなしにしていたテーブルの上のハンカチで。



「ユメってこんなの持つっけ」


「借りたのよ」


「何か零した?」



水とでも言えばよかったのに。
何故か言葉が詰まって、いい嘘が一つも出てこない。急いで取り返したけれど、その間の沈黙を勝手に解釈した彼は、今度こそ私をソファーへ引き戻した。



「少し休憩しようか」


また腕で明かりを遮断して寝ようとしているが、もう片方の手が、指を絡めとるように緩く掴んだままで。下に落ちた借り物のハンカチを拾う事もできずに、ただ眺めるしかない。

一体どうなってるんだ。
以前には無かった甘さに、全く対処法が見つからない。


「折角熱々なのに。珈琲飲まないの?」


「冷めるまで待つ」


「え…?なんで?」



指が離れた隙に立ち上がろうとしたけれど、謎の多い発言を考えるうちに、あろう事か。足置きにしていたソファーの肘置きを蹴り上げて、もぞもぞと膝に頭を乗せてきた。



「…どうしたの」


「今回の遠征で熱いのが苦手になった」



腕の隙から見上げてくる優しい目も、綺麗な少しくせのある毛も。このくすぐったい重さは私の心臓に相当なショックを与える。緊急回避しか浮かばなくて、口をつく言葉は全て早口になっていった。


「氷入れてあげる。ちょっと待ってね」

「待て待て。薄くなるだろ」

「じゃあ煎れ直すわ。アイスでしょ」

「俺はこの珈琲を冷ましたい」

「なんなのよそれ」



もう滅茶苦茶過ぎる。
そこまでして居座ろうとする彼は、もう聞いてないとでも言うように目を閉じて、全く私を逃がそうとしない。



「……いつ冷めるの」


「俺の計算だと朝までかかるな」


「もう……解った、解ったから。…寝るんでしょ?寝るのよね。眩しいなら電気消すけど?」


「いいよ。消しても同じだから」



それ以降、
彼は黙ってしまった。
目は隠し、口だけは弧を描いて。


何も話さないだけで、今はまだ起きているんだろう。そう思ったらこの空間をどうしていいのか益々解らなくなる。
ただ見つめているとも思われたくなくて、部屋を隅々まで眺めていたら、ふと見たガラス張りの向こうはもう真っ暗になっていて、眩しい満月が夜の海を照らしていた。



あの月を照らす太陽は今、どの国の辺りにあるんだろうか。


明日か明後日か、彼もまたここを出て、そこへ行くのだろうか。どこまでも続く海原を渡り、遙か遠くの大陸まで。



「…サボ、寝た?」



返事が返ってこないのを確認して。精一杯腕を伸ばして取ったブランケットを掛け、熟読しすぎて暗記してしまった書類をテーブルに戻し。触れてみたくて仕方なかった髪を、そっと撫でてみる。



すると突然に愛しさは込み上げた。けれど、ぐっと飲み込めたのは言葉だけで、熱くなった目頭からは勝手な一筋が静かに流れていく。

これ以上なんていらない。
このどこまでも続く大きな海に、ずっと寄り添っていたい。目が覚めたら彼の好きな熱い珈琲をまた煎れ直して。何度だって挑み行く果敢な背に、今度こそ。行ってらっしゃいを言おう。


離れそうで離れない、複雑に絡められた指を親指で撫でて、何度も深呼吸をして。目の前の存在感にまんまと安心させられて、私はそのまま瞼を綴じた。






翌朝、
司令室ではなく、初めて外まで見送りに出た私は、昨日のあるまじき行為をつつかれて足元ばかり見ていた。



「もう通信は切るな」


「はい。すいません」


「ただいまくらい言いたいだろ。それに」



しかし。
突然上を向かされて、至近距離でにこやかに落とされた暴露に硬直する。



「ユメに泣かれてみたいからさ」



勢い任せに私を抱き締めた腕は、「もう寝たふりはしない」と言い残して直ぐに離れていった。

悪戯な笑みと少しの色目は、瞬く間に背を向けて。目の前で、視界いっぱいに颯爽とコートが翻る。



「サボ!!!」



衝動的に叫んだ渾身の「行ってらっしゃい」に応えるよう、拳は高く突き上げられた。すると一瞬、振り返りかけた横顔が陽射しに溶けて。深かぶりの隙間に覗く口元から、静かな行ってきますが聞こえた。




臨海線の司令塔


【長孝】
長い時間、考える事。
【臨海】
海のそばにある事。

 


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