いつからこんなに五月蝿い船になったのか。それは間違いなく奴隷から脱走したのだと言うユメを拾ってからである。

睡眠、活字に没頭する時間を確実に奪うその犯人は、窓越しのデッキでのたうち回って板間を時々こぶしで殴り付けていた。

「ははは!こっち向けよベポー!!」

「傑作だな!それで手配書申請してこいよ 」

ハートの中でも指折りのクルー達は、白熊の耳元に付けられた赤色の大きな飾りを指差しては、息つく間も無く笑い転げている。

「はー…っ…駄目むりっ、あっはははは!」

転がって気持ち良さげに眠る白熊の耳に、接着剤でそれを付ける事に成功したユメは、予想以上の仕上がりに涙すら浮かべていた。

「よくもやったな…覚悟!アイアイアイー!」

白熊の蹴りが宙を舞い、ユメ目掛けて飛んだが、いつものようにそれが命中する事はなかった。

「Room」

「ぶぁあ!キャプテン?!」

あっという間に白熊の手足が散らばり、可愛らしいリボンを付けた頭部だけが、パクパクとお喋りを続ける。

「キャプテン、遊んでただけで」

「誰が怪我を治すんだ。ユメに手を挙げるな」

日常的に繰り広げられるこれのせいで青アザだらけなユメをみかね、よかれと思ってバラしたのだが、本人はすこぶる不機嫌な様子だった。

「ちょっと遊んでただけじゃない。キャプテンつまんない」

キャプテンに向かって何て事を言うのか。行き場をなくしたキャプテンを前に、クルー達は冷や汗ものだ。
その場を去ってしまった恐れ知らずなユメの後ろ姿に、大きな舌打ちをするキャプテンの顔といったらもう。


「…キャプテンはつまんなくないよ?」
「馬鹿野郎!」
「下手に喋るなー!」

余計な一言で黒いオーラを出すキャプテンは 、恐ろしく不気味な笑みを浮かべて無言ですごむと部屋へ戻っていった。


しばらく反省の言葉や謝罪文句を喚いていたベポだったが、 ユメの行方が気になりだしたのか、悪戯をされた事もすっかり忘れて、探しにいかなきゃと話題はすっかりユメに変わっていた。

「キャプテーン元に戻してー!ユメ探しに行かなきゃー」

ドアを締め切っていても聞こえてくるその声に読みかけの本を閉じると、帽子を深めに被って足を机に投げ出した。溜め息がひとつ、天井へと消えていく。


最近いつもこうだ。
ユメは強気で威勢はいいが戦闘員ではない。弱いくせにあっちこっちで騒動を起こしては傷だらけで帰ってくる。

誰かを付けてもいるし、もののついでに自分が一緒な事もあるが、目を離すとすぐにいなくなってしまう。
既に乱闘となっている所へ駆けつけて雑魚共を黙らせると、あいつらが悪いんだなんて文句ばかりのユメを引きずって帰るのだ。

外の輩は仕方ないにしてもだ。最近ではクルーまでもが手をあげる。打ち解けている証拠とも言えるし船内が荒れるより余程いい事にも思えるが、わざわざ守ってやったのに、下っ端どもに傷を付けられるのがとても気にさわる。
傷を付けるなとわざわざ止めてやっているのに、出てくる言葉は何かにつけて“つまんない” だ。全てがいちいち気にさわる。

何故こんなに手を焼いているのか、この時はまだ検討もつかなかった。ただ、時々ため息をつきながら無になって天井をあおいだ。


「あれ?ベポまだバラバラ」

「ユメのせいだよ」

接着剤で付けたリボンを取る為にハサミを探したけど、見当たらなかったのだと言うユメは、仕方がないからむしり取るんだと、また熊を追いかけ始めた。


とはいえ、各部位を切り離された状態では明らかにベポが劣勢。ユメはコロコロと逃げる頭部を直ぐに捕まえると、悪巧みをする子供の様な顔で頭を抱き上げ、猛烈に嫌がる白熊の頬に無理矢理キスを見舞った。

「怖がるベポも可愛いなぁ…!」

「こいつキスしやがったぜ気持ち悪ぃ」

大笑いするクルーに言われた言葉が気にくわなかったのか、次の標的を絞ると一気に駆け出し、今日一番の騒音がけたたましく響いた。

「お前らも愛してるぞ!待てこらあ!!!」

暴言の仕返しにキスをすべく走りだし、さっそく捕まえたクルーの頬に唇を寄せた時だった。

「静かにしろ。従えないなら降ろしてやってもいい」

さっき仲裁に入った時よりも遥かに怒りに満ちた表情のキャプテンに、恐ろしさを知るクルー達は一瞬ひるむと少しずつ後ずさって行ったのだが、ユメだけはやはり別だった。

「何それ?キャプテンが勝手に私を拾ったんじゃない。そんなに降りて欲しいなら降りてやるわよ」

見に覚えのない事や、どうでもいい事でいちいち怒られ続けて、挙げ句の果てには拾ったくせに降りろと言うその勝手さが頭にきたユメは、色々と尽きる事ない文句を吐きながら、船を降りて街の方へと去っていってしまった。



この船に乗ったのはいつ頃だったか。奴隷として出荷される中、死に物狂いで脱走して、ただひたすら全速力で逃げ出していた。どれ程走ったかも解らなかった。

そんなとき行き着いた街で、通りすがりの白熊がぶつかってきたので、いつものように喧嘩騒動を起こしていた所に、あのキャプテンが現れたのである。

始めは何かをたくらむ様な、怪しい笑みで騒動を見つめていたのだが、白熊との格闘にめげることなく立ちはだかっていく姿を面白いと言い、俺の船に乗せてやると、たった一言でハートの一味に加わる事となったのだ。


たかが逃げ出した1人の奴隷に追っ手がつく訳もなく、何も考えずにあっさりと身を寄せることにした。


始めは特に言葉を交わすこともなかったのだが、いつだったか、買ってきた喧嘩で足の骨を折った時から何かとキャプテンが口うるさくなったのだ。

今までどうでもよかった癖に、急に単独行動の私に付き添い人をつけるようになった。


彼は巷では死の外科医と言われているので、
リピーター患者が許せない、ただの職業病かなんかだと思っていた。
所がここ最近、どうでもいい事にまで目くじらを立て始めた。冒頭の騒動の事だ。

船員という身内とじゃれている時でさえ、邪魔をしにくるのだ。あんなもの子供の遊戯に過ぎないし、本気でやりあっている訳でもない。
遊びで出来た傷なんて舐めてりゃ治るのに、一々病室に運ばれるのだ。抵抗すれば何かにつけてROOMとか言って、バラバラにしてでも治療をしたがる。

どれ程治療が好きなのか。
そんなに好きなら海賊を辞めて診療所でも開けばいいのに、治療マニアでもなきゃ船員思いのただの過保護か、なんて思っていた。


歩き続けて落ち着きを取り戻すと、そんな事を振り返る事で、船を下りる直前の出来事が不思議と頭から抜けなくなった。

いつも大体あんな感じで不機嫌な顔をしているが、あの時は何故だろう、いつもより遥かに苛立っているのは見て取れた。
言葉のあやだろうが「降りろ」と言えてしまうほど不機嫌だったのだ。何がいつもと違ったのか、いくら考えても思い浮かぶのは、悪ふざけのキスしかない。

やきもち、好きとか。
まさか。キャプテンに限って。

「気持ち悪いから考えるのやめよっと」

なんだかおぞましい事を想像してしまった様な気がして、空に向かって両手を伸ばすと、頭をリセットすべく深呼吸をした。



日が暮れて、周りの家屋から温かみを帯びた明かりが灯り始めていた。 既に締め切られた商店の外にあるベンチに腰かけると、街で引き起こした事件のせいで、引きずる事になった足をさすった。

このまま歩き回っていても埒が明かない。不服だけど諦めて船に戻ろうと、折角そう決意したと言うのに。
あの時空へと伸ばした両腕は、降り下ろした瞬間にでかい男に当たってしまい、どこに目つけてんだと絡まれてしまった。


苛々を全て発散させてから帰ろうと、いつもの様に大暴れすると、何故だか村の人やら酒場から出てきた酔っ払いが取囲み始めて、何かの試合会場のようになってしまっていた。

「いいぞ女ー!」
「おらぁ女が勝つに1万ベリーだ!」
「大男に2万ベリー!」

特に戦闘員でもなければ、能力者でもない。顔も腫れ上がって身体中ボロボロだった。ところが、こちらがひけを取る程に群衆の声は私を応援する。
そんな状況が何故だかお祭り事の様に思えてきて、傷だらけではあったが、心底楽しくて仕方がなかった。

「ねぇちゃんの勝ちだ!」

投げた空き瓶を頭にくらった大男が、見掛け通りの重たい音を立てて倒れると、ワーッと歓声が上がり、紙幣が空を舞った。

「何これ、ヒーローみたい」

周りが騒ぎ立てるものだから、モヤモヤとした気分が妙な高揚感で掻き消されていく。夜のベンチに腰掛けた時には、燃え尽きたファイターの如く、落ち着いた自分が居た。


あんなの、ただの言葉のあやで、本当はまだ船に乗っていたい。
でも気分屋なキャプテンを怒らせてしまったかもしれない今、 見放されて置いていかれてしまっても仕方がない。

適当な放浪生活を続けて捕らえられでもすれば、また奴隷に逆戻りなんて可能性もある。そう思うと、今までキャプテン率いるハートの海賊団に居るだけで、私は守られてきたのかもしれない。

キャプテンはそんな優しさ溢れる人間には見えないものだから、気の向くまま勝手に拾って置いていただけだと思っていたけれど、本当は違っていたのかもしれない。

キャプテンは守ってくれてるのかな。ありがとうくらい言ってみれば良かった。

なんて、浮かない顔で空を見つめると、途中で見慣れた人物が視界を通った。

「帰るぞ」

少し離れた所で立ち止まる男は、目線を下ろして、それ以来黙り込んでしまった。

不機嫌なキャプテンが発した一言と、探してくれていた事実が嬉しくて立ち上がろうとすると、ふいに軋んだ足の痛みで顔が歪んでしまう。

「動くな」

身体中が氷漬けにでもなったように固まってしまったのは、キャプテンが、あのキャプテンが、背中を向けてしゃがみこんで、意味の解らない事を言いだしたからだった。


乗れ?
乗れ??背中に?

「あ、歩けますけど」

丁重にお断りをしても微動だにしない彼の背中を見ているだけで鳥肌が立ちそうだ。

「バラされて袋詰めにされたくなきゃ言う通りにしろ。俺は医者だ見れば解る」

不自然な優しさがなんとも恐ろしい。一体何を考えているのかポーカーフェイスな彼からは何も解らないが、私はキャプテンの事を色々と誤解しているのかもしれない。

諦めて乗り込んだキャプテンの背中は、恐ろしく冷たそうに見えて落ち着く程温かいし、躊躇せずに置いて行くだろうと思ったら探してくれるし。
今なら、らしくないキャプテンのお陰で色々と伝えられそうな気がする。

「キャプテンありがとう」

うんともすんとも言わない彼だけど、いつもみたいに嫌な気はしない。

「私を降ろさないの?」

「俺が乗せたんだ。降りていいのは俺が死んだ時だけだ」


これがあの言い合いの答えなんだとしたら全然納得できないけれど、ずっと居てもいいと言ってもらえて、救われたあの日の様な気持ちになる。

「あとさ、いつもつまんないって言うけど、キャプテン…別につまんなくないよ。好きだし」

「ほう」

ついでに日々の悪態を謝ろうと思ったせいで、ことは予想外の方向へ運んでしまった。急に立ち止まるから、おぶられている私は鼻頭をキャプテンの後頭部にぶつけて、色気もない間抜けな声を上げて鼻をさすっていた。

「どういう意味だ」

聞き流して貰える筈だった箇所が気になったらしく、まったく予想しなかった切り返しに、しばらく自分がおかしな事を言ったか考え直してしまった。

どういう意味も何も、軽い意味なんだけど。嫌いじゃないって、だけなんだけど。

「あぁー、えっと、皆もキャプテンも好きって事ですかね」

これくらい噛み砕いて言えば伝わっただろうと「これで良し」な気分になっていたのはどうやら私だけのようで、今や私の足となっているキャプテンは未だに動く気配がない。

「重い?歩けるけど」

変な空気を未然に防ごうと、どうでもいい話を振ってみたけれど、全く意味の無いものになってしまった。

「船長の俺が船員と同じはおかしいな」

おかしいのはキャプテンです。なんて言える訳もなく、適当にとぼけてみたら、 急に医者とは思えない扱いで振り落とされて、急に降り出した小雨で湿る砂利の上に転がされてしまった。

「何すんのよ!」

「口答えするな、船長はたてるべきだ。愛してると言え」


本日二度目の間抜けな声が、かなりの音量で響いていく。 一瞬バカなのかと思ってしまったが、恐ろしくて口には出せなかった。

なんでみんな好き、で船長が同じじゃ駄目なのか、まぁ百歩譲って船長をたてたとして何故それが愛してるなのか。一体何を考えているのかさっぱり理解できない。


いくらなんでも嘘は付けない。
私にだって好みくらいある。

とりあえず、
ドSと変態だけは嫌だ、意外と紳士なキャスケットの方が好みだと伝えると、お得意のRoomを唱えられて、収集がつかないほど体をバラされてしまった。

「本心言っただけでしょ!キャプテンは好みじゃない!」

「だったら好きになればいい」

「絶対無理!だってキャプテン優しくないもん」

「迎えにきてやっただろ」

強くなる雨足をものともせず口論は続き、バラバラになった体も散らばったまま。

寒すぎてもう限界だ。冗談でも嘘でも、とりあえず帰れるなら腹をくくるしか無いかもしれない。

「そのまま転がっていたいか」

見上げたキャプテンは今までに見た事が無いくらいの妖しい笑みを浮かべていて、さも満足気に言えと呟いた。

「はぁ、愛してる」

「溜め息がでるほどか」

「んな訳ねぇだろ」

「残念だな。俺の部屋でやり直しだ」



ハートの海賊団、船長の歪んだアプローチがこの日から幕を開け、戻った二人を出迎えた帽子の彼は、訳も解らぬままバラされて、更に船は賑わう事となる。


「嘘つきーー!!!鬼畜!おにいいい!」

「一緒に寝たく無ければ黙ってしたがえ」

「はい」

「黙ってろと言っただろ。そんなに一緒に寝たいなら寝てやってもいいが」

「もうキャプテン嫌い!!」



Deeper underground



リクエスト【ローの片思い】

 


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