子供の頃から大雨が降ると心が踊った。軒下まで手を引かれ、雨宿りを促す手を何度も振り切っては『雨に濡れちゃいけないなんて誰が決めたの?』と両手を広げ、奇声を上げながらよく飛び出していったものだ。

その度に怒ったり呆れたりしながら追い掛けてくるゾロから逃げるため、雨が上がるまで鬼ごっこが続く。多分アイツは大雨男で、昔からなにかにつけて一緒だったけれど、大きな予定をたてて出かければ必ずこんな風に急な雨に見舞われた。


しとしと降り出した雨に、
この後を考えて店に駆け込もうかとも思ったけれど、やってきた待ち人に告げられた短い一言に、その必要が無くなった。

雨足は急に強くなり、周囲の人々は急ぎ足でコンビニや駅の構内へ雪崩ていく。傘を持たぬ私は一人真夜中の豪雨に立ち尽くし、街灯に照らされた久しぶりの大粒の雫たちを見上げながら、そんな少女時代を思い出していた。


大きなビルの電光掲示板は大型台風の進路や警報を流し、注意のパトランプが回転しながら外壁を照らす。そんな光景をボケっと眺めていた私は、直撃の二文字を見た瞬間、水溜まりを気にも止めず駆け出していた。



「ゾロー!起きてー」

定期的に3回、少し早めて2回。
呼び掛けて、休憩。
大きく息を吸い、静寂のあと猛烈なピンポン連打をかましながら更にノックを加えた。

「私の解決ゾロくーん」

こんな事ぐらいじゃ起きてこないから、ドアのポストを開けて昔一緒に見てたアニメのオープニングを歌った。

それでも重なり続けるインターホンの音は、ぼろアパート中に響きわたるだけで、虚しくなってきた私の頭にはやっと留守説が浮上した。

「私の悩みを解決してよー」

他が空家だと知っているから、悪あがきにこれでもかと鳴らしてやった。

「うっせえ!」

「痛っー…」

急に開いたドアの縁に思いっきり額をぶつけて、怒鳴り声より大きい悲鳴は最後まで叫ぶ事なく、男の掌に消えていく。

「てめぇ何時だと思ってる」

「もーももー」

ふざけた顔でそう言えば、口を塞いでいた手で思いっきり頭を叩かれた。

「痛ーい!!丑三つ時ってことだからー!なんで解んないかなぁ」

「声がでけぇんだよお前は!」

「あ、大変!!時間が…ゾロ早く行こ!」

「…どこにだよ」

「台風の目を探しに」

すこぶる機嫌が悪そうだったのに、滅茶苦茶な注文をおもしれぇとひとつ返事で聞いてくれたのは、雨の中冒険ごっこをしたのを思い出したからなのかもしれないと、懐かしげに笑うゾロを見て思った。



「すっごい…風、飛ばされるー」

「おいあっちこっち行くな」

「不可抗力だから仕方ないですー。まぁでもあれね、大人しくしろと言われると逃げるよね」

「…てめぇ」

「よーいどーん」

吹き飛んでくるゴミは払いながら、電柱に引っかかった新聞紙や雑誌は拾ってゾロの顔へリバース。怒り狂う顔を見て、お腹の筋肉がおかしくなりそうなくらい笑った。


「っは、楽しー!雨サイコー」

「ユメ、前見ろ前!!」

大きな橋に差し掛かった頃、忠告通り、前から居酒屋の名前らしきものが書かれたゴミ箱が転がってくるのが見えた。

「任せなさい、飛んで見せよう」

結構な頻度で会ってはいても、こんな事はもう数年ぶりで、楽しくて仕方なかった私はテンションがどうかしていたんだと思う。
予測不可能な動きで回転するあれを飛び越えるなんてどう考えても無理なのに、果敢に挑んだ私は案の定、足を引っ掛けて腹ばいに地面へ叩き付けられた。

携帯は、台風の位置情報を確認しつつ水没しないよう丁寧に袖で拭いていたっていうのに、たった今、目の前でバウンドしながら柵の下へ滑り込み、増水した川の闇へ消えていった。


「ああああああああ!!!」

「ほらみろ何が任せろだ。…てかお前、どこに向かってんだよ」

「今解らなくなった…」

なんてついてないんだろう。今日は駄目な日だなんて考え始めたらなんだか泣きたくなってきた。

さっき駅前で別れる事になった彼の事もそうだけど、こうして付き合わされるゾロだって、こんな事があった次の日は熱を出すのを知っている。


「なんか、ごめん」

差し伸べられた手を取り
恐る恐る見上げれば、

仕方ねぇと笑った後、
ふと、表情が変わった。


「ユメ、風止まったぞ」

「へ…?」

改めて周囲を見渡してみれば、確かにさっきまでとは比べ物にならないほど静まり返っている。
風を失ってハラハラと宙から落ちてくるゴミの欠片越しに見えた夜空が、都会では滅多に見られなくなった輝きを覗かせていて、思わず息を飲んだ。


「ここが台風の目か」

「やった、着いた!」

探し求めた宝を見つけたのだとしたら、さしずめ今のこの雰囲気は祝いの宴か何かだろうか、達成感に笑いがこみ上げてくる。

「…ここが台風の真ん中かぁ。なんかさ、ありがとね」

「お前、見たかっただけじゃ無いだろ」

空を仰ぐ男らしい顎のラインが、
思い出とフラッシュバックして
なんだか懐かしい気持ちになる。

ゾロはいつもこうだった。
同い年の癖して、何処か兄のような存在で、 こうして何でも直ぐに気が付いてしまう。


「昔から変わんないね。すっごい、鋭い」

「男に捨てられたか」

一人思い出に浸っていたら、優しい顔は憎たらしい笑みに変わっていた。


「なんでそこまで解んのよ」

「指輪がねぇ」

鋭いを通り越してゾッとするわよなんてオーバーリアクションの私を無視して、続きは?と言わんばかりの目で見てくるものだから、仕方なく重い口を開いた。


「…お前ガキすぎるだってさ、ウケるよねー。今更変われないからさ。もういいんだ」

「へぇ」

「聞いといて反応うっす」

「そうでもねぇさ」

濡れたジーンズのポケットから何かを取り出そうとする私を不思議そうに観察するゾロに、やっとの事で取り出したシルバーリングを突き付けた。


「これ投げて。そのために来た」

「なんで俺が」

「腕力の問題」

「後悔すんなよ。どこに投げればいい」

「台風の目と暴風域の境目。急いでね台風動いちゃうから!」

「無茶言うな」


無理だと言う割に、焦って走り出す背中は本当に面白くって仕方なかった。足の速さに驚きながら必死で距離を縮め、「本気出せば私を捕まえられたんじゃないの」なんて今更ながら大発見もした。


そしてついに。

無謀にも境目を追い掛けた私達は、奇跡的に静けさと木の葉舞う境を見つけ出し、今やその目の前に二人して立っている。



「見とけよ」


小さく頷いた後、空を切った指輪は一瞬きらりと揺れて、暴風の渦に巻き込まれながらあっという間に消えていった。


「…!凄い…指輪が飛んだ!見てよ飛んでった!!!!すごーい……ね、……ゾロ?」


台風の目に入れば天気が良くなり、そのあと反対方向から吹く風は、通過前より遥かに強いのだという事は知っていた。だから余計に家路が恐ろしく感じる。

あの指輪を投げた瞬間、はしゃぎ、じたばた喜ぶ私を、幼馴染みらしからぬ穏やかな目で見つめ、笑っている存在に気が付いてしまったから。

「また泊まるんなら飯作れよ」

後追い鼓動の影から覗く
もう一つの “目" がみせた戸惑いが、
嵐前の静けさの中で
ゆっくりと動き始めていた。



真夜中と雨は嵐を連れて


リクエスト投函箱
「管理人にエサを与える」より
【ギャグノリ.幼馴染み設定.真夜中と雨.恋愛要素有りで無意識的な甘さ.ゾロorイゾウ】

 


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