骨の人に恋をした。
時間をかけて恋に落ちる人に比べたら、それはもう一瞬の出来事だった。けどその一瞬は、生涯において忘れられない程私の心に火をつけた。


団名ははっきり知らないけど、巷の皆は麦わらの、と呼んでいた。どうやら今晩は壮大な宴の後に船出の予定なんだそうで。

まだ昼間だというのに、島民たちは食料抱えて小走りに私の目の前を通り過ぎて行ったり、子供達は変な仮面を作って踊って遊んで転げ回っている。
権力者に怯えながら暮らしてきた住人達のその表情は皆嬉々としていて、少しばかり狂気を感じる程だった。

悪者去って初めての鎮魂祭を控えているせいか、その狂気も悪い気は一切せず、ただ鎮魂祭を盛り上げる重要な空気となって、日が暮れる前からこうして街を静かに盛り上げていた。

「海賊なんぞにそこまでしてやらなくても」と思われるかもしれないが、裏町牛耳る悪名マフィアをやってくれたのが、この麦わらさん達なもので、皆心がそんな訳にいかないのだ。

私がその盛り上がる何処へも混ざれないのは、あの裏町の、暗くて狭い人間の欲が交差する小汚い場所に何年も居たからなのだろう。私は陽の目の浴び方すら忘れてしまっているみたいだった。

そんな、できるなら日陰に居たい私が、昼間に顔を出したのにはそれなりの理由があった。

骨の人を探しているのだ。
私を囲う壁を切り裂いて、
外へ連れ出した人。

私は今自由というのが何かまだ解らない。このまま生きていくんだと思っていたし、これが普通の日常だと思っていた。

ある日突然壁を切って現れた骸骨は、私の存在に気が付くと、静かに歩み寄ってきて足枷を外し、そして無言で抱き締めた。私とは反対に、その人は酷く震えていた様に思う。そして一言、ぽかんとする私に、

「今日私は必ず、貴方に朝日を見せます」

そう言って、また壁を切り崩しながら建物の奥へと消えていった。

そして程なく、長年監禁されていた建物は裏町ごと崩壊し、山のように折り重なる瓦礫の上で彼は本当に朝日を見せようとしたのだけど、闇に慣れた私の目には刺激が強すぎて、とても目を開けている事なんてできなかった。

申し訳無さそうに洒落たハットで私の顔を覆ってくれた彼は、

「サンセットにまた出直します」

そう言って、大きな帽子を置いて行ってしまった。

あの時彼は恐らく、怒りに肩を震わせていたのだと思うのだ。私なんぞの事を哀れに思って。
誰もが私を虐げてきたというのに、それが普通だったというのに彼は。こともあろうに優しく抱き締め、全てを諦めた私の変わりに怒りに震えて。

そんな飴を急に投げられたら、今までの我慢とも思ってもいなかった物や、陽の当たる世界への憧れ、暖かい感情への飢えが体中をのさばり始め、取り残された瓦礫の中で、酷い寂しさに打ちひしがれた。あの骨は私に麻薬を与えたのだ。

一つでも多く声を聞きたい
もう一度この身を包んで欲しい
あれの近くに行きたい
あの優しさに交わりたい
彼と交わりたい

男女が重なり合う事は私にとって生返事にも似た行為で、幾度となく繰り返してきたそれに、まさかそんな思いを抱く日がくるなんて思ってもなくて、味わった事の無いこの想いは檻の中の日々より重く苦しい物だった。

直ぐにでも会いたくて外に飛び出してみたけれど、やっぱり目が痛むので、私は彼の言ったサンセットを信じて、瓦礫山の薄暗い一角で横になり、彼が残した帽子を顔の上に乗せてみた。

覗いたハットの中には彼がいて、その幻影を追いかけるうちに私は、いつの間にか眠りについていた。


充分過ぎる程寝込んでいた私は帽子を落とした衝撃で目を覚ますと、少し角度を変えて差し込んでいるオレンジ色の明かりを見上げながら、意識を整えてふと気が付く。

バイオリンが聴こえる。
ゆっくり起き上がって帽子を拾うと、壁に寄りかかってバイオリンを弾くあの人が居た。

「探しましたよ、こんな所で眠っているから目を疑いました。まあ、肝心な目玉は無いんですけど」

軽快に笑う彼の目は、切り抜かれたように真っ黒で、あの時覗いた帽子の中みたいだった。


「まだ持っていて下さいね、外はまだ少し明るいですから」


彼がエスコートした先は人だかり。沈みかけた太陽を背に、鎮魂祭と宴が同時に行われていて、盛り上がるその中心には焚きあげられた炎、その周りを奇怪な面を付けた人々が輪になって歌い、踊り、屋台の匂いが漂ってくる。

閉鎖的な所にいると心も閉鎖的になるようで、私は正直ここには居たく無かった。今すぐにでも人がいない場所に行きたいと思うくらい居心地が悪い。

彼が言う朝日夕日が、すなわち開放を意味するなら、私はとっくに自由の身である筈なのに、それでも見る夕陽に形以外でどんな意味があるんだろう。
私はただこの場に一人置いて行かれそうなのが怖くて、必死で彼の背を追った。


祭りのある広場の目と鼻の先にある岬に着くと、彼はスラッとした手で、懐から取り出したハンカチを敷いてくれた。
身なりの汚い私がその真っ白を汚してしまうのが嫌で座れないと手を突き出したが、彼もなかなか頑固で譲らず、「これでいいんです」と、結局無理矢理ハンカチの上に座らされてしまった。

「これなら朝日より眩しくないでしょう」

目の前に広がる海が、暗いオレンジ色に光っていて、散りばめたビーズの様に小さな波が打ち寄せ、その真ん中で、沈み行く太陽が優しく私達を照らしていた。


「人は太陽の下でないと生きてはいけません。暗闇でも生きられますが、そこに心の自由は無いと思っています。今日から毎日この沈む夕陽を見て、そしていつかは、本当の朝日の下で心から笑って下さい」


彼が何故、ここまでして朝日を見せようとしたのかがやっと解った。

私の心まで開放しようというのか。 彼が行ってしまったら、きっと私は瓦礫の隙間で出来るだけ人に会わないように暮すだろう。でもそこに心の自由は無いと、彼は言う。

そんなのずるすぎる。
いきなり明るみに放り出されても、私が今、身も心も頼れるのは彼だけだというのに、肝心の彼は何処かに行ってしまって、それでも一人で生きていけだなんて。

長年言葉を閉ざしたせいか
名前も、お礼も、「そんなの嫌だ」とわがままな気持ちすら伝えられず、胸が苦しくなって私は思わず彼の袖を握り締めた。

大丈夫、あなたなら、と何度も繰り返しながら優しく頭を撫でてくれる彼に、どうしてもどうしても伝えたくてすがりたくて、それでも私は忘れた言葉を絞り出した。

「いかないで、置いていかないで、」

動揺したのか、撫でていた手は止まってしまった。焦がれる人に突き放された様な、どうしようもない寂しさに駆られて、この人が居なくなったらいっそ消えてしまおうと彼の袖を離したその時だった。

「行きますよ」

突拍子も無い行動に驚いた。

彼は私を無理矢理立ち上がらせると、ぐんぐん力任せに引っ張って、一番行きたくない祭りの中心、踊り狂う群衆の中に、私を放り込んだのだ。

人や明るみへの恐怖で、立ち尽くしながらすがる様に見つめていると、おもむろにバイオリンを掴んだ彼が、積まれた木箱の上に立った。

彼が奏で始めた音楽に、群衆が歓声を上げて踊りだし、何故だか私の身体までもが意に反して勝手に動き始め、彼にやらされていると気が付いた。

駆け出す様に脈打つ心臓が、誰かが叩き続けるドラム缶の音のように鳴り止まない。今にも泣き出しそうな切なさと戸惑いで胸が張り裂けそうなのに、身体は焦燥のまま踊り続ける。

それなのに彼は。
彼はとても楽しそうに、
その軽快な音楽を弾き続ける。

その姿が眩しくて眩しくて、所々に吊るされた電球と重なって、届かない幻を見ているみたいだった。

奇妙で軽快なその音楽は周囲も狂わせて、仮面の人々が踊るその光景は本当に異様なのに、よくよく見れば皆笑顔で、まるで彼が人々を幸福にしているようにさえ思えた。

彼を引き止めてはいけない。
一人で生きよう、
いつか陽のもとを歩こう。
彼がそう望んでくれるのなら。

そう心に決めた時、
私の中で何かが切れた。
大丈夫、きっと、私なら、と自信が湧いてきて、今すぐ伝えなければと必死で呼んだ。


「あの、名前、教えて下さい」


かすれた声は周りの音にかき消されて今にも揉み消されそうなのに、彼はちらりとこちらを見た後、軽々と目の前に降り立ち、シルクハットをかぶり直しながら、綺麗なお辞儀をしてみせた。


「死んで骨だけ、ブルックです。貴女の名前を聞かせて下さい」


「ユメです、ブルック、」


名前を聞かれる事で、後に控えるサヨナラが脳内で具現化してしまって、溢れ出す涙が、喉に詰まったありがとうを邪魔する。ブルック、と名前しか繰り返せない私を、彼はきつく抱き締めてくれた。

そうなるともう涙を止める術はなくて。彼の背中に手を回して、ただただ泣き崩れた。


「私は行きます、友との約束を果たすために世界を一周。ほら泣かないで、どうかよく聞いて下さい」


泣きじゃくる私を引き剥がすと、ブルックは両頬に手を添えてこう言った。


「そしてあとの半周を、ユメさんの笑顔を見るために」

私の顔を覗くために屈んでくれた彼の首に手を回すと、彼は今までにないくらい強く力を込めて抱きしめてくれた。

「待っていて下さいね。必ず会いに来ますから」

「そんなのできない」

「それ誘惑って言うんですよ?悪い人ですね全く。あ、悪いのは私ですかね」

弱音を吐く度に、こうして笑っては私の頭を優しく撫でてくれる。いつまでも切りがなくてしまいには「こうするしかありませんね」と、また始まる彼の音楽。


トリッキーなカーニバルの中で、夕日が生み出す長々と奇っ怪な影達は、怪しげなスキャットマンジャックをいつまでも踊り続けた。

人々の数だけ地を這う黒。
そして足元には、自分の影と絡み合う一際目立つ、長い影。

途切れた音楽にも気付かず踊り狂う群衆はまるで、意図して私達を切り抜いているようだった。


彼の望んだ通り、燃えるようなこの日を胸に、いつかは私も陽の光を浴びて、地に足を付けるのだろう。

でも今だけはどうか、どうかこのまま朝日よ登らないで欲しいと、時々一つに交わる影を見つめながらそう願った。



二つの影を重ねられるのなら



CDジャケットをテーマに書く
・The Brian Setzer Orchestra-BEST OF THE BIG BAND
・Cyndi Lauper-Hat Full of Stars

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