「これ貼り替えてくれない?」


そう言った部屋主は、振り返りもせずに背中で頼み事をする。

彼女はいつもこんなで、相手が誰であっても飄々と返し、下手に媚びを売ることもない。単にできないのか、やり方を知らないのかは解らないが、そこへ付いてくる嫌味のない微笑みに聡明さを感じると言った者もいる。

部屋を訪れたのに存在を気にすることもなく動き回る後ろ姿から、ふと観葉植物を見つめる柔らかい表情が見えて、確かに水をやられた様な気になった。


「キャプテンの仕事だろ」

「だって、起こすと機嫌悪いから」

「いつだって悪い」

「まったくすぎて笑っちゃう」


弾む様に笑う度、手元が狂い葉が水滴を弾き飛ばしていく。本当にノンキなもんだと溜め息一つ、勝手に丸椅子を寄せた。


それにしても、よくもまぁこんな光の届かない所で育っているなと思う。彼女曰く、対して手の掛からない植物ではあるが、たまに海面へ出る時の太陽光と風だけで生きているので、少し軟弱ではあるらしい。


「これ外に出すとどうなるんだ」

「外壁が覆われた緑の家もあるんだって」

「それ、放ったらかしたからじゃないのか」

「あら、入念に手入れされたのかもしれないじゃない」


張り替えろと催促する、ユメの背中の傷は、数日前、乱痴気騒ぎを始めたクルーがグラスを投げた事によるものだった。

背後から飛んできたそれに気が付かない訳はなかったが、単なるお遊びでわざわざ避ける事もないかと、その場のノリで動きはしなかった。

すると何故か妙なタイミングでユメが通って、代わりに怪我をすることになったのだ。キャプテンが引きずって行く間も「こんなの傷のうちに入らない」といつも通り、やはり笑っていた。


「陸には大好きな水も風も光も、いつだってあるのよ。綺麗に育てるなら管理してくれる人がいなきゃ、きっとめちゃくちゃに伸び放題よ」


この件以来思うことがある。ユメも何かを管理し、コントロールしているのではないだろうかと。この狭く限られた空間で、誰にも悟られること無く綺麗に育てるために、仲間達の目を欺いて。

この傷が『偶然』できたお陰で、ユメが今まで投げかけてきた言葉に違う色が付いて、おいそんなわけないだろうと、頭で否定した側から噛み合っていくユメの行動の意味と理由に、目を伏せる。

笑ってそんな事されたんじゃあ見てられるかよ、という思いのほかに戸惑いがある。そのままのユメを見ていたいと思う反面、帽子の影から隠れ見るこの視線は、独占欲に違いないのだから。


「ガーゼこっち使って。宜しくお願いします」

「少しは警戒してくれよ」

「ふふ、大丈夫よ。ペンギンは私を傷付けたりしないって解ってるもの」


何のためらいもなくさらされた肌が真っ白で、きっと目が眩んだ。


「…何かがあれば傷になるのか?それとも傷にならないからか?……笑ってないで教えてくれよ」


なんて事をしてるんだと思ったのと、唇を押し付けたのは同時だった。

重なって聞こえた息使いも心音もまるで声にならないし、言葉にならない。ただ小さく跳ねた背筋に伸びる傷と、壁を這う緑の蔦が反り返る美しさにへデラの憂鬱を感じて、自惚れと溜息が混ざって宙に溶けた。


ヘデラの憂鬱


某所 ペンギン祭り提出

 


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