掴まれた腕には柔らかな感触が残り、いつ離れたのか気が付かない程の温かさが、いつまでもそこにあった。
自ら語る事の少ない彼の、心の内側と本気を知るには充分すぎる要素が毎日あちこちに散りばめられていて、そのうちの今感じたものが、この腕に残る余韻だった。





仲間である私達と過ごす何気ない時間。仲間の言葉を受けて考えこむ横顔。一通り皆の顔を眺め、最後に私と目が合った時の色。射した陽にまどろみ、深く息を吸い込んだあと、微笑むように見える口元。輪から外れ、一人消えていく時のゆったりとした足どり。


彼はいつも何を考えているんだろうか。
何も見ていないように見えるけれど、きっと彼の目にはあの瞳にしか見えない、広くて大きな世界が広がっているんだろう。
そこは明るくて暖かくて美しいだろうか、それとも薄暗くぼやけて、冷たいだろうか。その中にも皆は居るだろうか。私も居るんだろうか。

彼のそういった行動を追いすぎて、ひどく疲れた自分がいた。流し髪にへの字の口元を隠し、刺した陽にまどろみながら、彼と同じように目を閉じてみる。私の目はそれでも懲りずに彼ばかり見た。


「いつも何を考えてるの」


本当に眠っているのかもしれない。
そう思わせる程長い間のあと、隣の椅子が僅かに軋んだのが解った。

彼の意識が心地良い眠りから私に移ったように感じて、ゆっくりと目を開けてみる。
するとテーブルへ投げ出した足はそのままに、目を隠すために深く下ろされた帽子のつばを、ほんの少しだけ押し上げた。


「…ユメは?」


窓辺の甘い陽射しに溶けてしまいそうな程、ゆっくりと開かれていく瞼が、瞬きを二回。そして寝返りを打つように首を傾げ、やっと私の目を捉える。


「貴方のことを、少し」


ありのまま話す必要なんてないけれど、この瞳に嘘をつく必要も無い気がして。ただそれだけなのに、誰にも見せてはいけない大切なものをこぼしてしまったような気になって、ため息はあくびに代わって、涙が落ちた。


「私、もう少し寝る」


無理やり閉じた目は、日射の残像のせいで真っ暗にはならない。そしてそんなイミテーションの木漏れ日の向こうから伸びた手が、私の腕をゆるく捕まえた。


彼にしては突飛な行動だったけれど、不思議と驚きはしなかった。全てを流してしまえるほど春風のように緩やかな所作で、ぼんやりと誘われて、彼の部屋の扉の内側へ、ベッドの側へ、シーツの上へ。

そこに言葉はなかった。普段、友を映す目が、一人物思いにふける目が、彼だけの広大な世界を映す瞳が、今私だけを映し、頬を撫で、腕に残る余韻と同じ温度が身体を包む。

見つめる事を拒み続けた帽子は足元に。フィルターを失った彼の目は丸々と美しく輝いて、吸い込まれるように、はたまた襲い来るように心に触れる。

いつだって聞こえはしないけれど、本当はこれに似たような温もりをなんとなく感じていた。ただ踏み込めなくて、何かが怖くて、確かめる勇気もなくて、確認する必要性もないものだから一人孤独に思う。
だから今、くまなく隙間を埋めていくお喋りな彼の全てに、溢れんばかりの想いに、言葉にならない息が溢れた。



剥き出しの背もまた、静かに彼の世界を語る。情事の後、適当に腹のあたりで袖を結び、窓辺の椅子に腰掛けた彼は、静かにマッチを擦った。

私はまだ聞いていない。そう言えば、彼は穏やかに「教えられない」と答え、転がる帽子を拾い上げた。
そして被るにしては長く頭に押さえつけ、そんなもん恥ずかしいだろうと、唇がゆったりと弧を描き。突然窓を開けたかと思えば、春一番と共に、ありがちな言葉が私を吹き抜けた。



hush-hush

某所 ペンギン祭り提出

 


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