キリ番リクエスト




やっとの陸地だというのに。

気まぐれな気候による嵐のせいで、その男の気持ちを知ってか知らずか、この日は大変な豪雨だった。

いてもたっても居られず、船からこっそり出てきた一人の男はその豪雨に打たれながら、木々が生い茂る砂利道を拳を握って歩いていく。
容赦なく打ち付ける雨はシャワーの様に全身を濡らして、歩く度に服や靴を水没させて重たくなる。喉をならす嗚咽を隠すには、こうするしか無かった。



「ユメ…すまねぇ」

この名前を呟く度に溢れる涙を、この感情を、しばらく打たれていれば洗い流してくれると思っていたのに、それどころか雨は体温を奪っていき、身体は震えるばかりだった。


事の発端は本当に小さな事だった。

いつもと同じ、優しいユメ。無垢な甘い言葉と微笑みと、少しの誘惑。いつも惜しみなくくれるそれに、自分の未熟さと弱さが浮き彫りになるみたいで、酷く耐え難い時がある。

そんな時は、頭でも冷そうとユメの元を少し離れる事にしていた。

「ちょっと秘密兵器の物資調達に行ってくるぜ!これは極秘につき同行はできねぇ!」

この完璧な嘘がバレる訳がない。そう鷹をくくっていたのに、何を感づいたのかユメは少し不安気な表情を浮かべて、何度か問い詰めてきた。

「ウソップ…?私またなんか言っちゃった?ねぇ、本当に…」

こんなユメを前にするとますますボロが出る。これ以上目の前にいたら、それこそ全部バレてしまいそうで、無理やり物資調達を押し通して船を降りた。

この時はまだ後ろには誰も居なくて、追ってこないと解って林の中へ入っていった。誰もいない、誰にも見つからない場所へ行きたくて。この弱さを特にあいつには見せたくなくて林の奥深くを目指して。

木陰に座って、情けねーなーなんて思いながら、笑顔を思い浮かべて、大きな深呼吸をして。
もっと強くなろうと頭に浮かぶユメに誓って、そして来た道をまた帰っていく。

本当に大した事じゃ無かった。
よくある事で。
それなのにアイツは、
ユメ何故だか、
その日は追ってきたんだ 。


船へ帰ると少し騒々しくて、その原因がユメの怪我のせいだと聞いた。俺を不安で追いかけて、見失ってしまったのが恐怖を煽って。がむしゃらに走ったユメが藪に隠れた小さな崖から落ちたのだと。

自力で戻って、この事は言うなと、周りに口止めまでしたんだと。医務室の扉を勢いよく開けた瞬間、ユメはベッドの上でいつものように、聖母みたいな顔で言うんだ。


「買い物に出かけてこけちゃった。私ってば、ウソップがいないとちゃんと歩けないみたい」


「そ…そうか!馬鹿だなぁお前、今度からは俺様に頼め!この俺様が一緒とあればお前に怪我なんてさせねぇ。ゆっくり寝てろよ!」


胸が痛かった。
お前の優しい嘘に乗って、
お前が嘘つきにならない様に、
また嘘を重ねて。

おやすみを言って静かに部屋を出て。こうして一人で出ていったのが元凶だと解っているのに、今度こそ出て行かずには居られなかった。


華々しくこの船に乗り、
仲間と毎日楽しい冒険の日々を送って暖かさに囲まれてきたけど、いざ戦えない局面にぶち当たった時に自分の非力さを痛感した。
その恐怖と弱さを克服して、俺もこの船の一員として役立てるように、強く、もっと強くなりたいと思った。

それなのにどれだけ前を向いても。どれほど前を睨んでも。転んでばかりで何も上手くは回らなかった。気がつけば過去の武勇伝を繰り返し思い出す自分だけが残っていた。

そんな時だった。
ユメに出会ったのは。

春の陽のように明るくて、淑やかで、それなのにどこか気が強そうで。それがユメの、芯の強さなんだと直ぐに解った。暖かくて生き生きとしていて。媚びない所も、凛とした所も。ユメの全てが輝いてて、とても眩しかった。

それが俺には、一国を導いた奇跡の少女がもたらした、一筋の光にすら見えたんだ。


俺は直ぐに目が離せなくなった。

ところが、
ユメが輝けば輝く程、
自分は影っているように思えて。
存在が大きくなればなる程、
自分は小さく見えて。

どうあがいても埋める事ができない、その見えない何かで押しつぶされそうになっていた俺に「いつでも傍にいるから」と手を差し伸べて微笑んでくれたあの日から。

朝はパンかシリアルか、
ユメにとったらそれくらい
どうでもいい事かもしれない。
ところが俺には生か死か、
それぐらいの重大さなんだ。
ユメが俺の隣にいるって事は。

それなのに。
そんなお前に俺は何をやってんだ。それでもユメは俺がいいのか。なんで、こんな俺なんだ。

「くそっ…くそっ…!」

例えばこんな自分だったとしても隣で微笑み続けてくれるのか。こんな自分にそんな権利はあるのかと、何度も何度も濡れた砂利を握り締めては叩きつけた。
凍えた身体で思い出す太陽でユメの温もりが蘇って、愛おしさが溢れてくるなんて、一体どれだけ恥知らずなんだろう。


空を仰いで寝そべれば、雨足を弱めた灰色の雲が、風に吹かれて途切れていくのが見える。その隙間からはまるで天使が落としたかの様な、太陽色の神々しい光が射し込んでいて。
自然が生み出した美しい現象に意識を奪われて、「すげぇなぁ」なんて呟きながら、ふとその光の先を辿ってみた。

そこには俯きながら雫を垂らす、
一輪の花があった。

野生の白ユリ。

凛とした佇まいで、珠の様に輝く雫が花びらを伝ってキラリと優しく揺れて。さも当たり前の様にこっちを見ているものだから、思わず「いつから見てたんだ」なんて思ってしまう。

それはどこからどう見たって、微笑むユメにしか見えなくて。

さっきとは違う涙が頬を伝って、本物のユメに今すぐ会いたくて、俺は直ぐに走り出した。


ユメがくれる言葉に勝手に傷つく事もある。ただ、ユメの一挙手一投足が俺の強さになるって事も知っている。

俺が弱いからお前に傷つけさせてしまうんだ。なら強くなればいい。俺を傷つけたかもしれないと、ユメ傷つかないように。

頼りたいんじゃない本当は頼られる程強く、そして包み込める程大きくなりたい。俺も太陽になりたいんだ。ユメだけを照らす太陽に。





「…ユメ!」


乱暴に開けられたドアの衝撃で、目を丸くしてこちらを見つめるユメの元へ歩いて行くと、ベッドの脇に膝をついた。

「何があったの?こんなに濡れて…」

髪の毛から滴る雫を絡めとる様に撫でる、暖かく白い手を、これ以上濡らしてしまわないように捕まえると、祈るように両手で握り締めた。


「好きだユメ」


揺れる瞳が不安と困惑を物語っているように見えて、今すぐにそれを取り除いてやりたいのに、言葉が上手くまとまらない。

「不安にさせて怪我までさせちまった、全部俺が弱いからなんだ」

ごめんとしか言えなくなった俺の手を握り返すと、ユメはゆっくり目を閉じて頬にすり寄せた。


「私が勝手に不安になって運悪く怪我しちゃっただけ。それにウソップの事弱いと思った事なんかないよ。雨の中走り出したくなっちゃうくらい私の事考えてくれてたんでしょ? …私もね、心配させたくなくて嘘ついちゃうぐらい、急に不安になって後を追いたくなるくらい、ウソップの事考えてるの。大好きなの」


冷たい拳に染み込むユメの暖かさが両手に広がって、かじかむ手にじんわりと痺れを残したまま、少しずつ溶かしていく。
薄暗かった筈の背景までも塗り替えて、見えない何かがそっと背中を押した。

何故あの百合は嵐にも負けず咲いていられるのか。大地が吸った綺麗な水と、燦々と輝く太陽の光を浴びたからだ。


例えば俺が花で、
太陽がユメという存在で。
水がユメのくれる愛と、言葉だとして。今この胸一杯に広がる物が強さの源だとしたら、その伸び白はユメがいる限り無限大だ。

好きな人のために強くなりたいと思い始めたら、人間は欲深いから、きっとどこまで強くなっても満足できないものだとユメは言うけれど。



「ね?全部、愛の重さがした事よ。だからこれでチャラにしようよ」

「…チャラにはできねぇ」

「どうして?」

「不安にさせた上に怪我させちまったんだ。俺の方が重罪だ」

「じゃあ力一杯抱きしめて」

「それもできねえ、濡れちまうだろ」

「じゃあ脱げばいいんじゃない?」

「それはもっとできねえ!怪我人襲うなんてケダモノのすることだ!」

「襲うんだ」

「いや、違、これはだな… くそ、このやろ」


ふんわりとした枕に押し付け、
ケダモノのフリをして。
童話のお姫様を目覚めさせる様な、
精一杯の優しいキスをして。


「怪我が治ったら二人で出掛けよう。見せたいものがあるんだ」


笑いあった数秒前が瞼を閉じるスピードで遠のいて、「ごめんな」と「いいよ」を繰り返しながら、甘い、甘い空気に飲まれていった。


どこまでいっても満足できないのかもしれない。それでもユメの愛に応えたいから。ありきたりな言葉だけど愛してるから。

だからもう少しだけ待っていてほしい。俺が勇敢な戦士になる日を。そして我儘がひとつ叶うなら、ああでもない、こうでもないって転びながらも少しずつ強くなっていく俺を、今と変わらぬ白ユリのような優しい眼差しで、ずっとずっと見ていて欲しい。




don't be afraid
恐れないで

It'll all be okay
すべて大丈夫だから

always be my baby
いつまでも私の恋人


-Be
-君は太陽







ウソップ大好きなビーさんへ。

白ユリ(マドンナリリー)
キリスト教においては、白いユリの花が純潔の象徴として用いられ、 聖母マリアの象徴として描かれる。
天使ガブリエルはしばしばユリの花をたずさえて描かれる。これはガブリエルがマリアに受胎告知を行った天使であることを示す図像学上のしるしである。


 


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