リクエスト
Be の続編
(やや大人描写)







男所帯の真っ暗な部屋。
がー だとか、すぴー だとか響くイビキの中で、最後にもう一度窓の外を見上げると、 俺は用意しておいた小さなオイルのランタンを抱えて静かに部屋を出た。


「明日船を出すわよ」

ナミがそう高らかに告げた昼下がり。ユメの怪我は治ったものの、林のあぜ道を歩かせるには少し不安で「まだ早い、今日じゃない」そう思っているうちに訪れてしまったこの島の滞在最終日。

今から行けば日暮れまでには戻って来れるだろうと、直ぐに連れだそうと思った矢先に聞こえてきた会話が、俺の足を止めた。

「あら、それなら今日は本物のブルームーンが見られるかもしれないわね」

年に何度か数える程しか起こらない特別な満月の事らしく、それを青くもないのにブルームーンと呼ぶ。

それが少し離れた隣の島の火山がくすぶっているせいで、本当に月が青く見える不思議な現象が起きるかもしれないんだと、確かにそう聞こえた。


「ユメ、今夜皆が寝静まった頃を見計らって部屋を出れねぇか」

「夜這いの予告?」

「何言ってんだお前…!違う違う!」

にこりと微笑んで返さされた言葉にヒソヒソ話が台無しになってしまった。可愛い、可愛いと笑うユメが落ち着くのを待って、息を整えて、もう一度。

小声で約束を交わした。

「見に行こうぜ、“みせたいもの”」



Be on you


雨さえ降っていなければこんなにも暖かいのかと思うくらい、この島一帯の気温は心地良い。良かった、と思いながら甲板の隅でランタンに火を入れると丁度ユメがやってきた。

「おーまーたーせー」

息を吐くような声で言うユメの顔が、今から始まる冒険に心踊らせているように見えて、胸にもひとつ明かりが灯る。

しー、 と口に指を当てれば、コクコクと頷くユメに口も目元も緩んで変な顔になってるみたいに感じて、俺は急いで気を引き締めた。


左手にランタン、
右手には縄梯子を降りたユメの手を握り、浜から小道へ出て船が死角に入ると、我慢していたワクワク感が二人して簡単に限界を超えた。


「ここまで来たら大丈夫だろ!」

「どこ行くの?」

「林の中だ、それしか言えねぇ。足が痛くなったら言ってくれよ」

「…いたたた」

「オイっ」


ふふ とイタズラに笑う声と自分の声が、静寂の中で響く度に、胸が高鳴っている気がする。
繋いだ手からそれがもし伝わってしまっても、このはしゃぎ様じゃあ、お互いどっちの物だか解らないだろう。

「ワクワクするね」

ランタンの灯りが木の幹を次々に照らしながら、ぼんやりと林道を切り拓いていく光景とか、冷たそうな癖に暖かい暗闇だとか。

ドキドキするものをあげだしたらきりが無いんだと、普段より少し早めの口調で話すユメの手は、言葉では伝えきれなかった分だけ、繋いだ手を振り子のように振っていた。


「これだ!」

「綺麗…ユリの花よね?」


目印の大岩から一気に駆け出して、からんからんと大きく揺れるランタンを、そっとユリの傍に置いた。

数日ぶりの白ユリは、相変わらず凛と気高く背を伸ばし、真っ白な花は微笑みかける様に優しく首を傾けて、二人を歓迎してくれた。


「ユメかと思ったんだ」

「…この花が?」

「情けない姿の俺をさ、見守るみたいにずっと見てたんだよ。いつものユメみてぇだなって」

「私こんなに綺麗じゃないのに」

「ユメは綺麗だ」

とんでもなく間違った事を言われて慌てて否定すれば、その切り返しの早さに面食らったのか、微笑んでいたユメが真顔になって、ぱちぱちと瞬きをした。

何かおかしい事言ったか?と言おうとした同じタイミングで、あんなにもすんなり「綺麗だ」と、本人を目の前にして告白した事に気が付いた。

自分でも気付かないうちに言ってしまったその言葉の中には、色んな言葉とたくさんの意味が詰まっていて、それを伝えるには本来ならばそれなりの心の準備が必要なのだ。

それなのに何度も瞬きをした後で、またユメが可愛く笑うもんだから、なんだかもう取り返しが付かなくて、落ち着きを取り戻す為に、俺はただ頭をかくしかなくなっていた。

「…笑うなよ」

「ごめんね、あまりにも嬉しくてつい」

嬉しいんだとその笑いを引きずったまま、こっちは見ない代わりにいつまでもユリの花に微笑み続けるもんだから、たまったもんじゃない。

いてもたってもいられなくて、俺はあんなにも見せたかったユリを早々と切り上げて、頬の緩んだユメの手を後ろ手に引いて、来た道を辿った。


「ウソップってさ」

砂浜に差し掛かった途端に探し物を始めたユメが、時折かがんで髪を耳にかける仕草に目を取られていると、急に自分の名前を呼ばれてはっとする。

「努力家で、頑張る姿がひたむきで…ちょっとネガティブな所もあるけど、ちゃんと信念を持っててさ。それを絶対に曲げない」

嵐の様に降ってくる急な褒め言葉に驚いたが、月明かりを浴びて砂浜をゆらゆら歩く姿はどこか幻想的で、普段ならやめろよなんて言ってしまいそうなその言葉も、心地よい呪文みたいに聞こえてくる。

「ロマンチストで優しくて…すごく恰好いい。的に狙いを定めている時の真剣な横顔も好き。撃たれたいと思うくらい」

流石に聞いていられなくて撃てねえよ、と答えれば、一度だけ振り返った微笑むユメと目があって、心臓が跳ねた気がした。


「私には何に見えたと思う?」


何かをし終えて歩み寄ってきたユメに手を引かれて波打ち際まで来ると、急に座ったユメが俺を見上げて手招きをする。

言われるがまま座ってみれば、
そこには割れた白い貝殻の欠片が
円を描くように並べられていて、
まるで砂浜に咲く
一輪の白ユリのようだった。


「まるでウソップみたい。
私にはね、ウソップに見えたよ」


胸の内にこみ上げてくる感情を抑えきれなくて、衝動的に抱き締めたせいで座っていたユメを押し倒してしまった。

この気持ちを伝えられる程の言葉が何処を探しても見当たらないから、ただこうするしかなかった。

長い間しがみついて離れなかった俺を諭すように撫でる、女性らしい感触にちょうど下心が芽生え始めた頃、背中をペシペシと叩かれた事で、傾きかけた理性がふと戻ってきた。


「月が…月の色が」


振り返って空を見上げればそこに見慣れた姿はなく、薄く青いベールを纏った神秘的な満月があった。

噂を小耳に挟んでから情報収集もしていたし、勿論想像だってできていた。

それなのに「やっときたか」なんて余裕ぶって振り返れば、自慢気だった気持は粉々に打ち砕かれて、吸い込まれる様にズームアップして見える青い月に、一瞬空気が凍りついたのかとさえ思った。

「どうなってるの?」

「ブルームーンって言って、年に何度かある満月の事なんだ。でも実際に青い月を見るには沢山の条件が重ならねぇと無理なんだって聞いた」

「凄く不思議…綺麗、なんて言葉じゃ全然足りないね」


自然に手を握りあって、
寄り添いながら天体観測をして。ゆっくりと流れる時の中で盗み見た輝く瞳に、愛してるの言葉が浮かんだ。

嘘偽りない、心から本当の気持ちなのに、何故だかその一言を言えずに、横顔を見るだけで胸が高鳴ったり、淋しいような切なさを感じて、伝え方を考えるうちに頭が告白前の少年みたいな言葉で埋め尽くされて、満月鑑賞どころではなくなっていく。



「ぐあー!!」

「おいおい、なんだよ急に!」

考えこんでいたのがバレてしまったのか、この夜を楽しんでいるからなのか解らないが、吠えながら可愛い獣が、楽しそうにジリジリと間合いを詰めてくるのは確かだ。

「満月が…がおー」

「…狼男か?」

「ウルフウーマン。さて血を頂きましょうか」

「それは吸血鬼だろ」

「じゃあ、ドラキュラ…ウーマン?」

「狼はどこいったんだよ」

「性格が狼なのよ」

「どんなだよ」

可笑しくなって普通に笑っているだけに決まってるのに、自分の目や脳のフィルター越しに見るユメは、ユラリユラリと怪しげな笑みで手を伸ばし近付いてくる、妖艶な想い人に映っていて。

これ以上に触れあえば今まで必死に保ってきた紳士的な自分が崩れてしまう気がして、少しだけ後ずさってみたが、あえなく飛びついてきたユメに押し倒されてしまった。

「おい…っ!コラコラコラーっ!!」

つかまえた、と覆い被さってきたユメの髪が、時々漏らす堪えるような笑みのせいで、首筋をくすぐって、体中にぞわりと緊張が走る。

ユメの前では少しでも
ジェントルマンになっていたい俺と、そんな俺の限界値を試すユメ。

いつだってこの構図で繰り返される攻防戦に俺が勝ってきたから、俺の限界値がもっと遥か先にあるんだと勘違いしてんだ。

思い返せば今までの戦いは全て邪魔が入ってきたからこそある俺の勝利であって。

限界値なんて最初から無いに等しいのに、ここは人気のない夜の海で、俺達はそういう関係で、それに俺は男だ。


「…俺様が手本を見せてやる」

「もっと獣っぽく鳴けばいいの?」

重心を傾けてあっという間に上下逆になれば、首をくすぐっていた髪が砂の上に散って、驚いて揺れる黒い瞳に本能のスイッチが入る。

手本を見せるなんて遊びの延長線を装いながら、乱れる髪筋をくぐり抜けて柔らかな首元にかじりつき、歯列の間から舐めあげれば、それこそ仕留められた獲物のような声が辺りに響いた。


「そういう事ね…わかった」


負けじと始まった攻撃でいつの間にか反転し、上から首筋に同じキスが落ちてきた。

上と下とを繰り返しながら
一口ずつついばみ合ううちに、
ネジがひとつ、
またひとつと飛んでいく。

さっきのは煽られたから乗ったんだと言い聞かせても、自分のした行動に後から後から羞恥心が追ってくるのに、触れたい欲求は止まらない。また見透かした様にユメが笑うから、そのもどかしさは頂点に達して、邪魔する思いを振り切って、肩を砂に押し込んだ。


「今日は負けでいいの?」

「勝てる気がしない」

「誰も見てないもんね」

「もういいだろ」

「ふふ、ほんと可愛い」

「男に可愛いとか言うなよ、その…調子が狂うだろ」


まだ何か言おうとする口を掌で塞いで、大人しくなったユメにゆっくりと身体を沈める。重ねた唇と体中に張り付いた砂粒が、柔らかな肌を揉む度にじゃりりと擦れて、いやに野生的で、官能的だった。







船に戻ると、二人で拾った貝殻と道具を囲んで、いつまでも枯れない一輪のユリを作った。

夜更かしがたたってまどろむ二人を、窓から差し込む陽が暖かく包みこんで、作りかけの白ユリは虹色に輝いた。

優雅な貴族のフリをしながらお茶をして、最後のクッキーを半分に分け合って。そうしていつまでも甘い香りを漂わせながら二人で作り上げた白ユリを、最後に透明の瓶に飾りつけた。


「ウソップはいつもいっぱいくれるから、お返しが間に合わなくて困ってるの」

「じゃあ…身体で一括払いしてもらおうかー…なんてな、」


並んで座って、
手を繋いで。
日が暮れるまで
輝く白ユリを眺めて。

おふざけの言葉に返ってきた耳元への囁きに、腕の辺りまで色を変えてしまった自分の手を見つめながら、何も言えなくなった俺は、しばらくユメの微笑みを聞いているしかなかった。

 


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