愛に飢え、わがままと知りながらも際限なく求めた温もりは、いつも願った量で返ってこなかった。
優先順位 好きな食べ物
趣味 行きたい場所
二人の時の過ごし方
私が欲しいもの
彼が求めるもの
何一つ噛み合った事がない。
売り言葉に買い言葉
無神経な一言に、
可愛げない二事。
相手のせいにして折れたくない強情な私と、同じく強情でなんのフォローも無い彼と。
喧嘩も仲直りも、愛を囁くのも不器用だった私達は、少しずつ薄い傷跡を重ね続けて、ある日突然、これじゃあ駄目だと心がやっと悲鳴をあげた。
不毛だと終篇の匂いに気が付きながらも、一緒に居るのをやめられなかったのは何故なのか。知らぬふりを決め込んで、私はその3年間にあっさりとケリをつけた。
-Naked Lady-
冷たい朝の空気が漂う街を、呑気に酒樽転がし、海へ向かう。
本日のお届け先である赤髪海賊団は、昔からの常連で定期的にこの島を訪れる。数ヶ月で顔を出す事もあれば、何年も経って忘れた頃に顔を出す事もあったし、もう行けば?と飽きれるほど滞在する事もある。
まだ店の手伝いなんかより、初彼氏とのデートや友達とのお喋りに夢中だった頃に、大頭であるシャンクスが大勢引き連れて自宅でもある店に通うようになり、毎日熱心に会いに来る彼氏を見られて冷やかされるのが嫌だった私には最悪な知り合いとなった。
それが今では、お喋りに夢中だった友達は暖かい家庭を築いてぽこぽこ子供を産んだ。やけにツンツンしていたあの頃の私は、何故あんなに彼等を毛嫌いしていたのか微笑ましく思える程、あの時よりは心も大人になった。
そして何かと多感だった頃から一緒の、よく冷やかされたその彼氏と、今朝がたお別れをしたばかりだ。
こうして何事も無かったように一日を始め、普通に仕事ができているという事は、さしてなんのダメージも受けていないんだろう。何年も付き合って終わりがこれなら、もっと早くに終わっておけばよかった。
「懐かしいなぁ」
首筋を伝う汗を拭って太陽の眩しさに目を細めれば、いつもの海原と、久しぶりに見る彼等の“家”が現れた。
憧れの眼差しで眺めていた、少女だったあの日と重なって輝きを増したように見えるそれは、嫌な事など全て吹き飛ばしてくれるだろう、彼等の顔を早く見たいと勇み足にさせる。
「一丁前の姉ちゃんになったな」
「そりゃあ時は止まってないですから」
一つ目の酒樽を桟橋の辺りにつけると、船長が自ら出迎えてくれた。まだ少しだけ残る子供扱いにくすぐったさを感じながら見上げれば、優しく笑うシャンクスの後ろから次々と皆が顔を出した。
「久しぶり!会いたかったー!」
目の前で広げられた船長の腕をすり抜けて、お気に入りのルウさんのお腹に飛び込み「バイーン」と言うすっかり定番化した挨拶をした後、ベンと届かないハイタッチ。
初めて見るお仲間さんには丁寧に頭を下げ、遅れて来たヤソップさんを全力で抱きしめて、お父さんの様に髪が逆立つまで頭を撫でてもらった。
「おいおい、なんだこの温度差は」
「八つ当たりするならシャンクスが適役かなーって」
「なんだ?男にでも振られたか」
「ほんと無神経!絶対シャンクスの胸には飛び込まないわ」
「そいつは寂しいな」
そこには懐かしい、暖かい、楽しいという感情しか存在しなくて、ゲラゲラ沸く中に自分の笑い声が溶け込んでいくのを感じながら、
「なんだ。やっぱり大丈夫じゃないか」と、その自然さに酷く安心した。幸先のいい再スタートだと思えば、きっと残りの仕事も楽しくこなす事ができるだろう。それに店に戻る頃には賑やかな大宴会が始まっている筈だ。
そうやって酷い有様を想像しながら、一刻も早くその輪に飛び込みたくて、普段の何倍ものスピードで配達を終わらせると、その日はまるで子供のように走って帰った。
「よう主役、早く座れ」
「ちょっとちょっと、なんで主役?」
夕暮れ時、貸切の札がかけられた店のドアを開け、手伝おうとエプロンに手を伸ばした所で、引きずり込まれて文字通り輪の中へ収まってしまい。今朝挨拶を交わしたばかりの新入りさんにエプロンを笑顔で奪われてしまった。
代わりに手伝うつもりなのか、ムキムキの体に浮いた赤のストライプが可笑しくって、お礼すら言う余裕がない。
「失恋祝いだ」
「それ祝う事かなぁ」
「ほら飲めよ、ユメんとこの酒だ」
「なにこれ」
「ネイキッドレディ」
「裸の女?とんでもないのよこすね。脱げって事?」
「それもいいな」
わざとらしく目を細めるシャンクスに暴言を吐きながらも、その用意周到さが嬉しくて笑わずにはいられない。
豪快に笑いながら「もっと言ってやれ」とはやし立てるから、酒の勢いで溜め込んだ愚痴を全て吐き出してやった。
いい男じゃ無かった。
無神経で素っ気なくて、
子供みたいな奴だった。
少しは過激な事も言ったけど、
自分を棚に上げて彼をどれだけ悪い男に仕立てあげても、誰一人否定なんてしなかった。
時々私を擁護する様な言葉を織り交ぜながら笑い飛ばしてくれるから、彼は完全な悪者になり、それに引っかかった可哀想な女が笑い話のネタにしているシチュエーションが出来上がっていた。
存分に甘やかされ、
時を忘れる程の楽しさに、笑いながら暴露しているこの感情は完全に吹っ切れているからあるものなのだと、嘘は無いのだと、そう思っていた。
ところが部屋に戻り、
ベッドに転がってアルコールで眠れた数分後に目が覚めた私は、襲い来る胸のざわつきに何度も寝返りをうった。
ふとみた置時計は私が遅刻しないように彼がくれたもので、壁のカレンダーには勝手に書かれたいくつかの丸。
枕元には買ってくれたテディベア。立ち上がった足元、ベッドの下から見えた同じ柄の青いルームシューズ。笑顔の写真立て。
四角く切り抜かれた窓枠型の星空は、確かな愛を感じていた、まだぎこちなかった二人の穏やかな日々のようだった。
この部屋にはまだ彼がいる。
寄り添い合い、共に過ごし、確かに居たんだという痕跡がそこら中にあり、この部屋には彼がいるのだと思い知った瞬間、胸の内で何かの糸が切れた。
狂ったように思い出を掻き集めて袋に詰め込み、あっという間に一杯になってしまったゴミ箱を投げ付けて、入り切らなかった物が散らばる部屋の隅を見て涙がこぼれた。
投げた写真立てが派手な音を立てて砕け落ち、後の収まらない破壊衝動を、全て星空に向けた。
それでも、両腕を振りおろしても割れたのはガラスだけで、瞬く星がより綺麗に見えるだけだった。
「ユメ」
立ち尽くしたまま振り向けば、一階の店部分から伸びる明かりに照らされた人影が、ドアの前で、殺伐とした空気にそぐわない柔らかな笑みを浮かべていた。
「どうしよう…もうここにはいられない。あるのよ全部、まだ」
歩み寄ってきたシャンクスが涙を拭こうとした手首を掴むから、初めて自分の手が傷だらけな事を知った。
無数の破片が刺さったまま、滴り落ちる血にも気が付かないなんて一体どれだけ夢中だったんだろう。
「可愛い顔が切れちまう。こっちで拭け」
背中に腕が回り、押さえ付けられた胸元で満たされていく何かが、際限なく求めても足りる事の無かった自分の傲慢さや欲深さを浮き彫りにさせるから、考えない様にしていた事が一瞬にして頭を埋め尽くしていく。
あの人は何でも聞いてくれた
でももっと欲しかった
欲張り過ぎたのよ
私も悪かったのよ
ちゃんと好きだった
…でも。
「素直じゃないと伝わらない、でも素直だとわがまま過ぎるだなんて、じゃあどうしてれば良かったのよ」
「俺が全部聞いてやろうか」
「…うん」
一階の店に降り、慌てるお父さんをこんな時間じゃどこも締まってるから船医に診せるのだと安心させたシャンクスは、どれだけ乗ってみたいと言っても叶う事のなかった、憧れの船にあっさりと乗せてくれた。
「俺には飛び込まないって言ってたのにな」
「じゃあもういい」
「包帯が汚れるだろ」
手当を終えた後も離れる事を許されず、船長室のベッドで足を投げ出して座るシャンクスの胸に頬を寄せたまま、一晩中、弱気な言葉を繰り返し続けた。
泣き腫らして重くなった瞼にいつ耐えきれなくなったのか覚えてもいなかったから、翌朝 目覚まし時計の代わりに海鳥の声が聞こえた時は、驚きで飛び起きてしまった。
馴染みのない板張りに昨晩の事を思い出して、妙に気恥ずかしくなってしまうけれど、そうも言ってられない。
酒樽の配達に遅れたかもしれないのに、この部屋には時刻を知らせる物も、頼りのシャンクスすら居ないのだ。
腫れぼったい目を擦りながら、視界が揺れて見えるのは二日酔いと寝不足のせいだと気にもとめず、私は焦って部屋を飛び出した。
「やっと起きたか」
「何これ…どういう事?」
ドアを開けた目の前に探していた人が居た事より、心配事が全部どうでもよくなる程の大事件に息が止まりそうになる。
寝てる間に船を出航させた犯人は、悪びれもせずに笑って遠回しに真相を告げてきた。
「居たくないんだろ?」
「そんな極端なっ、居たくないって言っただけで平凡な村人を攫うわけ?!大体お父さんがなんて言うか」
「挨拶は済んでるんだが」
「…なんて言ってたの」
「もってけ」
「ちょっと!泥棒じゃあるまいし!」
「似た様なもんだろ」
「連れてってなんて一言もいってない!」
「ユメの我儘は全部聞いてやるって言っただろ。俺の隣で好きなだけ言えばいい」
「そんな…愚痴聞いてやるって事じゃなかったの?俺の隣ってなんなのよ!こんな所に私の居場所なんて」
「あんな小さな世界だけが全てじゃないんだと、これからユメに見せてやる」
無理矢理引き寄せられた瞬間に、紐を通して首に下げていたシルバーリングを奪われて、嫌な予感に顔を上げれば、既にシャンクスが海に向かって大きく振りかぶっている所だった。
「やめて…お願い!」
空に向かって伸ばした手は絡み取られ、振り返ったところで迫ってきた誘惑色の瞳にのけ反れば、海に落ちるか否かの瀬戸際で、信じられないほど濃厚なキスが降ってきた。
押し退けようとよじる身を強引に抱き締められて、囁かれた言葉に堪らず溢れた涙がぼたぼたと海に帰っていく。
「忘れさせてやるって言ってんだ」
そんなの無理に決まってる。
終わった途端に輝き出した想い出が、痛くて痛くてたまらないのに。忘れるなんてできる訳が無い。
あの時こうしていれば、
ああ言っていれば。
もう少し大人だったら、
可愛げがあれば。
もっと女らしかったら、
笑えてたら、
愛せていたら。
過去に点在した、幾つかの分岐点へ戻れたら、何かは変わっていたのかもしれない。
「まだ痛いんだってば」
「好きなだけ泣けばいい。包帯ならいくらでも巻いてやるさ」
永遠だと思っていたこの傷は癒えるのか。想い出はちゃんと想い出になるのか。
時が全てを癒してくれるとはとても思えないけれど、心の隙間に滑り込んでくる熱に甘えてしまう、薄情な自分を許せるくらいにはなるだろうか。
違う自分になりたい、生まれ変わりたいと、どこまでも悔いをさかのぼり続ける私を迎えに来るような言葉をくれる、柔らかな微笑みを浮かべるこの人に、いっそ流されていたいとすら思う。
その度に打ち寄せる自己嫌悪も、真っ暗な日々も、不安も、大嫌いな自分も、ことごとく綺麗にさらっていくシャンクスなら、凍えた身体を少しずつ溶かしていってくれるんじゃないかと、そんな気がした。