横長のバルコニーの奥にあるベンチに寝転がり、少し離れた中央の扉辺りで黄昏れている彼を見ていた。


十字陵の方角か、それとも星を見ているのかは解らないけれど、暫く口を聞いていないせいか、その立ち姿は余計に映える。


「格好いいなぁ」


どこからどう見ても、むしろ存在そのものが輝いていて眩しくてとてつもなく格好良い。

随分安く聞こえるけれどそうではなくて、私が彼を見つめながらに溢すこの言葉はいつでも尊敬、憧れ、尊さ、愛しさ、数え切れない想いの数々を代表していて。それらを思ううちに溢れた想いが、喉をついて出てしまった百ある内のほんの一部にすぎない。

それはたとえ今が恋人同士に置ける冷戦期間の日々であったとしても、愛しいと思う限りは変わらない訳で。だから先ほど格好いいと呟いた、遠目に見るあの横顔にはとても胸が痛んだ。



近頃の冷たい態度の理由は解らない。
聞く暇が無いと言うよりも全てにおいて巧みにかわされている様な気がしてしまうから、その度に受けるショックを回避するために、自分から探るのをやめてしまったのだ。


気晴らしに持ち込んだマニキュアを塗り、サイドテーブルに置いていたプレイヤーの再生ボタンを押せば、この世界ではないもう一つの世界の歌が流れる。

元いた世界に帰る方法が解ってからというもの、ドライヤーや巻きゴテに始まり服に靴と色んな物を持ち込んだ。

この荒野には似つかわしくない物ばかりだけど、ここに定住しても、心の通い会える家族や友人達がいつでも傍にいるような感覚でとても心強いのだ。何故か後ろめたい気になるので、一時帰宅はもっぱらサウザーの留守中に済ませるのだけど。

足の爪を塗り終えてもう一度寝そべると、空を見て溜息をひとつ。 口を聞かず目も合わせずにもう何日経っただろうか。向こうの方で佇んだままの彼のマントがはためいて思いが揺れる。

何を考えてるのか解らない彼と、
怖くて何も聞けない私。
同じベクトルじゃあ
通い合う訳が無い。

欲望を満たすために音量を最大まで上げれば、君がいないと駄目だ、離したくない、愛していると、甘い歌がダイレクトに脳を叩く。顔が歪んでいくのは耐えきれない電子音のせいか、貴方に良く似た声のせいか。

きつく目を閉じ、涙を飲み込み続けた私は、突然イヤホンが引っこ抜かれた衝撃でひと時の夢から覚めた。


「煩い!!いい加減にしろ!」


胸をひっかき回す愛しい人の久しい言葉は怒鳴り声、表情は怒りそのもので。堪えていたものはその瞬間、簡単にぶつりと切れた。


「うるさいってなに」


「フン、趣味が悪い」


「…返してよ」



すれ違う心の隙間を埋めるどころか、この男に成り代わる役目まで果たしていた小さな機械は言わば私の心だ。
それが今目の前で地に叩き付けられ、踏みつぶされて、飛び出た電子版が最後のひと踏みで粉々に散った。


「もう…帰る」

「好きにしろ」


想いを踏みにじられた虚無感で頭が空っぽだった。ただ静かに踵を返し戻った自室で荷物をまとめ、頭が冷えたら戻ろうかと、こちらの世界へ私物を持ち込む時のように大きな姿見の鏡に手を触れる。
振り返りはしなかった。しかし、向き合った鏡の中には静かに追ってきた彼がいた。



「その道が閉ざされる可能性を考えた事はあるか」


沈黙に包まれながら、何故そんなことを言い出すのかと不思議に思った。そんなおっかないこと考えた事は一度もない。二度と会えないなんて恐ろしい。私はもう、彼の声や温もりのことで頭が一杯だというのに。

しかし、穏やかさを取り戻したその一言に、自白めいた何かを感じた。今私は彼の影りに触れているのかもしれない。居なくなると嫌なんだろうか。そんな風に思ってくれてるんだろうか。彼は不安だとでもいうのか。



「言ってくれないと解らない」


こんな嫌味ったらしい言い方をしたいわけじゃない。ただ言って欲しい。毎日何を考えているのか、どんな事を思っているのか、少しでもいいから知りたい。

向かい合った鏡の中にはまだ、聞かせてよと素直に言えない不細工な自分がいる。たくさんの荷物を抱えて、そんなものより大切なものがこの背を見つめているというのに。


「こんな風になるくらいならもういっそ無くなりたい」


無理矢理振り向かされて見つめた瞳が悲痛に揺れた気がして、耐えていた涙が流れ落ちた。

慌てて駆け寄り、腕を掴むまでの動作は乱暴なようにみえて暖かさと優しさが滲みでていて、私がもう少し素直だったらこんな風にはならなかったのにと後悔が押し寄せた。


「ユメ」


「怖くて聞けない事も、あの声は甘い声で歌ってくれたのに、貴方と同じ優しい低音で、愛してるって」


今まで一度も見た事ない哀れむような表情で抱き締められて息が止まる程苦しいのに、それでも胸のモヤモヤは悔しながら溶けていく。



「泣くな」


「じゃあ聞かせてよ、サウザーが」



ちゃんと愛されてるのか。
必要とされているのか。
毎日毎晩、教えてよ。
聞かせてよ好きだって。


「私はいつだって大好きだよ。サウザー無しじゃ生きてたくない。何を考えて何を思ってるのか余す事なく知りたい。同じ景色をみたい。…毎日、あの場所から何を見てるの…何を思ってるの」


待ち望んだ温もりは、ゆっくりと体中の飢えを満たした。夜の沈黙ごと抱き締める腕のなんたる美しさか。雲をも掴みそうなその掌で、何よりも暖かいこの胸に抱かれて、底抜けの欲を満たして欲しい。どこまでも通い合いたい。



「ねえ、ここに愛はある?」



突然に重なった唇は全ての証明を意味し、歓喜に震えるのに涙の切ない味がする。上手く通いあえない二人の熱は加速して、ごめんねを言い合うように繰り返す優しいキスにまた涙し。驚くほどの甘い囁きに目を瞬かせた瞬間、スターダストの様に美しく散った鏡の破片を見た。




「一生聞かせてやる」



本体を失っても尚、残された銀枠のフレームはぼんやりと不器用な私達を映し続けた。この心の隙を埋めていく鈍色の煌めきが、彼の闇をも照らして、満たしていたらいいのに。



no music no life

上手く歌っていける自信なんてないけど、小さすぎて伝わらなかった事にして。下手でも大きな声で、私もうるさいと叱られる程の愛を歌っていこうか。




 


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