リクエスト。捧げ




食べたいけど食べたくないとか。
眠りたいけど眠りたくないとか。
欲しいけど欲しくないとか。
言いたいけど、言えないとか。
全部上手くいって欲しいのに、
何も上手くいかないとか。

考えても無駄な事が多いのに、でもとかだってを連れて来て、いつも土足で思考が介入してくる。
心の矛盾に忙殺されてグズグズだった今日という日は、本当に無味無色だった。


靴も脱がずに仰向けで寝転がった玄関の板間で、空間をただぼんやりと眺める。立てた片膝にふくらはぎを乗せてつま先を弄ぶ度に、外したストラップが跳ねた。

人間はとても面倒くさい。強烈に誇示される他人の色に戸惑っていたら、いい匙加減で上手いこと混ざっとけなんて言う。物事はいつも相対してるんだ。混ざり合うことなんて無いのに。

でも本当は、時々混ざりたいのかしら。そう思考が掠めた辺りから視界に入った、靴箱の上の青いリキュール瓶と、それを彩る黄色のラベル、天井の橙色の明かりを認識して、カラーレスだった一日は、ここで彩りを取り戻した。



「何やってんだ」


通り過ぎるかと思われた足音は足元で止まり、玄関のドアが開けられて別の光が刺した。共有通路の蛍光灯が消太を照らして、少し眩しくて手をかざす。


ゆっくりと抱き抱えられて、重力に勝てなくて、しなった喉にキスが降ってくる。薄く開いた瞼の隙間から消太を見る構図は酷く偉そうに見えるだろうに、全く気にもとめない様子で口元が上がった。

部屋の奥を見据える眼差しの柔らかさを感じながら、腕に絡んだままのバッグと、足に引っかかっていたヒールを落とす様に揺れる、心地良い波の動きに目を瞑って浸った。


「どうしたって聞いてるだろ」


片膝でソファーに乗り上げ、自分が寝そべる事で胸の中におさめた消太は、支えていた腕を引いて頭を撫でながら、何も言おうとしない唇を向かせるように腕枕に力を込めた。

「何も考えたくない。疲れた」

「へぇ」

憂いを飲み込もうとする甘い眼差しから逃げたくて、親指の爪の丸みを下唇の膨らみでなぞって持て余す。言い様のないこの気持ちの可愛がり方を、私はまだ知らないでいる。

取り上げられた手は消太の口元まで攫われて、同じ場所に唇を滑らせながら、歪な動きで擦り合わせてくる指の隙間で、ふ、と短く呼吸が笑った。


「好きな酒は」

「…ブルーハワイ」

「誕生日は」

「8月…15日」

「ユメの部屋の壁の色は」

「薄いピンク……ねぇ、なんなの?なぁにこれ」


やっと疑問を持った事に笑っているんだろう。肩越しに伝わる楽しげな振動が疎ましくて横目をやれば、久しぶりに目線が絡む。

何も考えたくないと言った私に、意地でも考えさせようとしている。思考の鈍った謎解きをニヒルに笑う癖に、異常な甘さを含んだ緩やかな瞬きを繰り返していた。


「ねぇ、なんでそんな意地悪するの」

「寂しいもんで」

「笑ってるじゃない。考えてて欲しいの?」


背中に回った手がこちらを向けと身体に圧をかける。抜けていく息と一緒に、言い様のなかった淀みが引いていく気がした。



「消太がくれたお酒あるでしょ、あれ、凄く大好き」

「知ってる」

「青と黄色を混ぜたら緑なのよ。解る?全然可愛くない」

「混ざってないから好きなんだろ。…で、つまり?」

「もう考えたくない、言葉にならないよ」

「寂しくて甘えたい、だろ」


散々上げた比喩はどこにも掠っていないのに、正体不明の憂いは緩やかにすくい上げられていって、ああそうかと納得してしまった。

「疲れた時、部屋の明るさは」

「暗く…する」

手を伸ばした消太が電気を橙色に変えて、優しく被さる重みに息をする間、気だるそう落ちていったリモコンの音がやけに頭に残る。

「友人や誰と過ごす」

五月蝿くなってきた脈音に消されてしまわないように、呼吸の合間を縫って「消太」と答えれば、唇を甘噛みしながら裾の隙間から滑り込んだ掌が肌を撫でた。

「…これは、温めるって事?」

「マッサージ」

「リラックス?できないよこんなの。目が不穏だよ消太君」

穏やかな表情はなくなっていて、歯が見えるほど笑った顔を見れば、遊んでいる事が分かる。
つられて笑ってしまいそうで必死で堪えていたのに、身体は適度に、と最後の質問が飛んできて、動かすと答えてあげた頃にはもう限界だった。


「ばっか、やだよ、元気ないったら」
「笑ってんじゃねぇか」
「消太のせいだよ」

馬鹿みたいな遊びにソファーが弾むほど笑ってしまって。笑い泣きを拭う間、満足そうな消太が笑っているのが見えて、一番心臓が飛び跳ねる。


「おい。忘れてんぞ」
「うん、おかえり」

耳をなぞり上げる様なぬるい咀嚼音の中で、私はやっとただいまを聞いた。




ブルーハワイ
カクテル言葉:連想

 


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