ひざしが居なかったら。
居なかったら。


撮影が終わって飛び出した私の心が向かいたがったのは、それでも馬鹿らしく来た道だった。無になるまで泣きたかったのかもしれない。空っぽになりたいのに、意思は真っ直ぐ過去へと向かってしまう。

こんな扱い切れない自分を、とりあえず形だけでも保たせてくれる人なんて相澤しかいなくて、私は相澤に電話を掛けた。




車から降りて転がり出した私を
容赦なく太陽が照らす。

もう、空だけでいいよ。
視界の端に映りこんだ蒲公英が邪魔に思えて、ちぎりとって捨てた。爽やかな青さに慰められたかったのに、黄色を失った空は思ったより味気なく映った。



おい、そこの主人公。
私に夢見んなって言ったな。
そっちの未来に幸せはないと。
ここの、過去の私こそが、
幸せなんだって。


見てみろ、地獄だ。
こっちは音源で一回、
目の前で一回、
二度も心の人を殺されて。


なんで走ってくれない、と?
お前が走って助けに来いよ。
走り方教えろよ。

自分で走らなかった癖に、過去にばっかり託すんじゃねぇよ。お前みたいな未来は要らないよ、ひざしが居ない夢なんかある訳ないのに。全部捨ててでも、走ってきてよ。







「起きろ。ユメ」


相澤が来る頃には涙は干からびていて、体中の水分が抜けたような独特の気だるさで天を仰いでいた。

空にスっと生えた相澤の足と覗き込む顔が、染み入るように安息をくれる。

おでこに乗せられたミネラルウォーターを落とさない様に抑えた腕をぐっと引かれて立ち上がると、足元には先程むしりまくった、手の届く範囲にあった蒲公英が散らばっている。それを見た相澤は、この程度で良かったとでも言うように、仕方なさそうに笑っていた。


返し忘れたディスクを相澤に聞かせる間、可哀想な蒲公英を風に任せて捨てようと拾い集めたけど、束ねると意外と可愛くて勿体なくなってしまって、髪を解いたゴムで緩く花束にして車内に戻った。



「とち狂ってるな」


目の前の人が死んだらどうしますか?なんて事を突然シュミレーションさせた事を言っているのか、好きなのに別れを選んで逃げ続ける私と、それを追い続けるひざしの事を言ってるのかは解らなかったが、呆れた様子で遠くを見る目が細められた瞬間、こちらに振り返った。


「なんでその場で殴らなかった」


「逃げたい一心だよ。…混乱はしてた。なんでこんな酷い事すんだと思ったら…ひざしは私の事なんて聞かずに押し付けてくるって」


「ほう。何を聞いて欲しかったんだ」


「…ああ…なんか、嫌なこと聞くな」


「忘れる前に早く言え」


「………好きなのに…なんでこんな事するのか。…これはエグイなぁ…本人に言いたくないから逃げたんだよ」



言いたくないと、
駄々を捏ねてるんだ。

自分で本心から逃げておいて、無いフリの完成度が高い事を上手ですねと褒められると激怒し、だからといって、無かった事にされると悲しいだなんて我儘ぶり。


「困ったなぁ…私も相当馬鹿で」


よく出来ましたとでも言う様に頭をぽすぽすする相澤は、フンと抜ける息に笑いを乗せて、そのまま右に左に私の頭を掴んでご機嫌に揺らした。


「どうしたらいいのかなぁ」


「取り敢えず一回ぶん殴ってこい」


「…相澤、楽しそう」


「馬鹿言え。こっちはクソ忙しいのに馬鹿高いタクシー乗った上に山田に八つ当たりされる覚悟で来てんだ。帰りはコーヒーでも奢って丁重に送れよ」


「ありがとう」


「逃げるから怖いんだろ。ボコボコにしてやれ」



私達はシーズンオフの閑散とした売店へ入り、買ったコーヒーを相澤に渡して、また車を出した。

一人じゃない車内には、怒りという毒々しさを抜く優しさが常に溢れているせいで、純粋な胸の苦しさだけが濾過されて残っていた。


「おい運転手、口開けろ」

「なに………チョコ?こんなのいつ買ったの…お礼のコーヒー…意味ないじゃん」




Bitter sweet agent
&
Beet sweetening agent




「混ざって味おっかしいよ」

「俺の命かかってんだ。丁重に送れっつったろ。泣く度食わせるぞ」


泣く度にしつこく私の口に放り込まれるチョコレートは、珈琲と混ざってしまって受け入れ難いのに、妙にハートフルで笑うしかなかった。




Beet sweetening agent
ビートの甘味料

Agent
代理人.仲介者.反応や変化などを起こす力.元になる力.作因; (現象を生ずる)自然力.

beet sugar
ビート/甜菜(テンサイ)が原料の砂糖
南が産地の「さとうきび」は体を冷やす作用があり、北が産地の「甜菜」は体を温める効果がある




 


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