いたいのいたいのとんでいけ


2024/10/17 ▽恋する寄生虫


「フタゴムシはパートナーを最後まで見捨てない。一度繋がったフタゴムシは、二度と互いを離さないの。無理に引き剥がすと、死んじゃうんだ」


三秋縋の恋する寄生虫を読んだ。この本を読んで自分の恋について、私達の関係について考えたことを書き記しておく。

もしも自分の恋愛感情が自分のものでなかったら?何かに操られてアヤトくんのことを好きになっていたら?これは読んでる最中に考えたけど、そこまで深く考えるまでもなかった。
錯覚でも、操られてても、アヤトくんのことを好きでいられれば何でもいいなって。
そもそも恋愛感情は脳のバグだというぐらいだし、恋をするように促されていたとしても、操られていたとしても大して変わらない気がする。
私のこの恋愛感情は本当に全て私のものか?と言われたら、私のものだとは主張するけどそれを証明する術はない。知らない内に操られていて、アヤトくんに恋をしたのかも。アヤトくんに洗脳されちゃったのかもしれないし……いや、それはないか。初めて出会ったときから不思議なものを感じていたから。
まあ、もし操られて恋をしたとして、そうだったらそれでもいい。だって相手がアヤトくんなんだもん。アヤトくんと出会う前にいくらでも恋愛をするチャンスはあった。それでも相手がアヤトくんなのって、この人が運命だからじゃないだろうか?誰でも好きになれるわけじゃなかったから、やっと好きになれた人だから、操られてたって錯覚だって何だっていい。アヤトくんのことが好き。

でもその錯覚が解けるとその恋を失うかもしれない、となると私は信じることができるだろうか。いつまでも錯覚に縋りたくなりそう……。アヤトくんはどうだろう。アヤトくんなら自分たちの気持ちを信じて錯覚を解いてその上で一緒にいようとか、言ってくれる可能性がないこともないかも。アヤトくんに言われたら私、信じて錯覚を解く決心をするんだろうな。
その後も愛し合えたら、真実の愛って感じがして確かに良い。
でも私はアヤトくんと一緒にいられるなら真実じゃなくても、紛い物でも何でもいいって思っちゃう。
嘘でも間違ってても偽りでも汚くても、何でもいいから一緒にいたい。私にとって大事なのはそれだけだって、最近やっと気付いたよ。

私達の場合は、互いがこの本で言う〈虫〉なのかもね。宿主の苦悩を食物とする寄生虫。私達はお互いの苦悩を食物にするわけではないけど……癒やしたり、軽くすることはできると思う。この本では寄生虫がいなくなると宿主は苦悩に耐えられなくなって自殺する。これって私とアヤトくんも同じだなって思った。実際、私がそのうち死んでしまうんじゃ……となっただけでアヤトくんは自殺未遂をしたし、私が隣にいないのが怖いと言った。私もアヤトくんと一緒にいると不安発作がすぐに治まったりする。私達はただ傍にいるだけで相手の苦悩を和らげているのかも。それならふたりして、傍にいることを強く求めているのも説明がつく。それでいて幸福感まで抱くものだから、依存しちゃうのは当たり前かもね。
冒頭に書いた台詞のフタゴムシみたいでもあるね。二度と互いを離さなくて、無理に引き剥がすと死んじゃう。この通りで、私達は一緒にいないと死んじゃうんだ。
だからこそ、一緒に死ぬことが私達にとっては重要だと思う。

『人は頭だけで恋をするわけではない。目で恋をしたり、耳で恋をしたり、指先で恋をしたりする。それならば、僕が〈虫〉で恋をしたって、何もおかしくはない。
誰にも、文句は言わせない。』
この独白を読んで、私はどこで恋をしてるだろう?って思った。
うーん、頭では確実に恋をしている。目でも、耳でも、指先でも、血でも……五感で体の全部で……魂で恋をしている?いくら考えても言葉にできないこと、説明のつかないことは魂がアヤトくんに惹かれているから、で一旦片付けがちだけど間違ってはいないのかもしれない。
どこでどんなふうに恋をしているか、とかも考えてみたら面白いかもしれない。
アヤトくんとの恋は考えることがいっぱいで本当に面白いな。


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