夢の後先
多分、私のこの思想は、
一般的にはフィクトセクシャル及び、
fセクと呼ばれるようなものに
分類されるんだと思います。

でも、この言葉に
当てはまらないと思っています。

私はフィクションの存在だから、
彼を好きになったわけでは
ないからです。

フィクションであろうと、
実在していようと、
彼を好きになっていたと思いますし、
彼を"そういう目"では見ていませんし、
彼に"そういう"欲望を
向けることもないと思います。

それに、架空だからといって、
彼を軽視はしたくありませんし、
「架空の存在だから」などと
自分に都合よく言い訳をして、
逃げるような真似は
したくありません。

私の中では、
架空の存在である彼も
現実の人間と同じだと
考えているからです。

架空の存在であっても、
現実の人間と同じように、
悩み、苦しみ、傷つき、
悲しみ,喜ぶ心をもっていて、
人それぞれ性格や
考え方が違って、
自分の人生を
一生懸命に生きていると
思っています。

架空の存在も、
現実の人間も、
そこまで差違はない。

私個人の考えですが、
そういう風に考えていますし、
実際にそう感じています。

ですので、
"自分の所の彼"というように
分けたりはしないと思います。

彼は一人の人間だと
思っているからです。

自分が楽になるためだけに、
フィクションだからといって、
彼を複数の人間として
扱いたくはありませんし、
もし、彼に好きな人が出来たら、
身を引くつもりです。

これは綺麗事かもしれませんが、
自分の幸福よりも,
彼の幸福の方が大事だからです。

彼が幸せなら、
私はそれで構いません。