桜も散り切って緑が映える頃、ある日を境に不良ではあるけれど少しかっこいいお兄ちゃんは、徐々に変わっていった。不良ならば悪い方向へ……と思うだろうけど、その逆。

その日、いつもなら22時過ぎにしか帰ってこないお兄ちゃんは20時に帰ってきた。

「ただいまー」
「お兄ちゃん早かったね……って何その怪我!やばいじゃんどうしたの?!」
「おー。風呂入ってくる!」

確かにいつも怪我をして帰ってくると半分不機嫌なはずなのに、この日のお兄ちゃんは笑顔で風呂場に向かった。過去最高に怪我していたけれど、とっても元気な姿にお母さんも驚愕していて「明日雪降るかもね」なんてボソッと呟いたのを私は聞き逃さなかった。……お母さん、春には雪降らないと思うから大丈夫だよ。
けれど、すごく元気で優しくて上機嫌な姿に私からしても不気味に見えた。何かあったのかな?と思って問いかけても、何か秘密を隠すように「何でもない」とニコニコ笑っている。
……絶対に何かあるぞこれは。


この日から、お兄ちゃんはどんどん変わっていった。
変な鶏冠みたいな髪型をしなくなり、置き勉してたのに、たまに鞄を持つようになった。帰ってくるのはたまに遅いけど、今までよりぐんと早くなったし、お母さん達にもただいまと声をかけるようになった。
そして一番は、いっつも夜中まで連む友達の名前が出るのが少なくなって、代わりにバジサンって名前をよく聞くようになった事。

お兄ちゃんが人にさん付けをして呼んでるのも、たまに携帯で電話してる時に敬語を使ってるのを聞いたのも、私が知るお兄ちゃんの中で人生で初めて。
こんなにもお兄ちゃんを変えたバジサンは、いったいどんな人物なんだろうか。お兄ちゃんがここまで従うなんて、もしかしたらとっても悪いゴリゴリの不良……なのかもしれないけど、最近の行動からするとそんな風には全然思えない。
もし悪い人にこき使われてたら笑顔なんて見せないだろうし、怪我も増えるはずなのに状況は真逆だ。いったいどういうこと……??


「やべ、場地さんから連絡来てる!ちょっと行ってくる!」
「え、あっ……いってらっしゃい!」

夕方、早めに帰ってきたお兄ちゃんは、すぐにまた出て行った。最近帰るの早かったのに、やっぱりバジサンは悪い不良なのかもしれない。
夕飯を食べ、お風呂に入ってリビングでテレビを見ながらお兄ちゃんの帰りを待つことに。
ガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえてふと時計を見れば23時になっていた。
お兄ちゃんが変わるようになってお母さんがドアのチェーンをかける事も無くなった事で、帰ってきたお兄ちゃんは玄関に鍵をかけてチェーンをし、鼻歌を歌いながらご機嫌にリビングまでやって来た。今日は怪我してないけど、黒い服を大事そうに抱えている。

「ただいま。まだ起きてたのか、早く寝ろよー?」
「おかえり……ねぇそれ何?」
「これ?特服」
「とっぷく?」
「ほら」

お兄ちゃんは服を広げて、袖を通し、「どーよ!」とキラキラした目で感想を求めてくる。背中には東京……その後は漢字が難しくて読めなくて、なんて書いてるのか分からないけど、これはどう見ても……

「暴走族じゃん!!!」
「おい、大声だすなっ!」

シーっと人差し指を口元に当てるお兄ちゃんの言葉に、口元を手で覆った。やばいお母さん起きちゃう……でも、だって、うそでしょ?!
左袖には壱番隊副隊長と書いていて、開いた口が閉じれないくらい驚いた。

「お、お兄ちゃん副隊長なの……?」
「おー。……これも全部、場地さんのおかげだ」

嬉しそうに微笑む顔に、逆に私は複雑な気持ちになっていく。
少しずつ良い方向に変わってきたのに……やっぱりお兄ちゃんはバジサンっていう変な不良に騙されてるんだ。変な暴走族に入って、良い人ぶって最後は陥れるに違いない。でも、こんなに夢中なお兄ちゃんを止められるわけもない……であれば、私が直接バジサンとやらに言ってやる。

「お兄ちゃん……お兄ちゃんのチームの名前なんて言うの?」
「東京卍會、かっけーだろ」
「トウキョーマンジカイ……」

いや、かっこいいとか全く分かんないけど。

「そのトウキョーマンジカイのバジサンに私も会ってみたいなあ」
「えー?……だめ、絶対お前場地さんに惚れるし」
「何で?!」
「そりゃあ俺が男としても惚れたんだから決まってんだろ。妹のお前なら確実に女としても惚れる魅力のある人なんだよ」
「何それ。お兄ちゃんと私の好みが一緒だなんて思わないでよ」
「でもぜってーダメ!」

ちぇっ。……こうなったら次の手だ。

△▼


次の日、学校につくなり同じクラスの吉野君に声をかけた。吉野君は、不良が大好きな男の子でちょっぴり不良みたいな格好をしてるけど、喧嘩は弱い。もちろん私のお兄ちゃんの事も知っていて、凄くかっこいいと言っていた。

「ねえ吉野君、トウキョーマンジカイって知ってる?」
「東京卍會知ってるぜ!名前の口から暴走族の話聞いてくるの珍しいな!」
「ちょっと気になる事があって……ちなみにトウキョーマンジカイのバジサンって知ってる?」
「もちろん。壱番隊隊長、場地圭介ちょーかっけーんだぜ!!」
「そのバジサンって、どんな人なの?」

不良については情報通な吉野君に問いかけると、キラキラした目で前乗りになりながら熱弁し始めた。
渋谷を拠点としている東京卍會は出来てまだそんなに期間は経っていないけど、その勢力はどんどん膨れ上がっていってるらしい。その中でもバジサンって人は東京卍會の特攻隊である一番隊の隊長の実力を持っていて、その魅力は中学生の不良であれば名前は知ってるくらい有名との事。喧嘩っぱやくてすれ違った人を殴ったりしていて、なんと中学で留年して一年生をやってるらしい。
なるほど、お兄ちゃんと同じ一年生なんだ……って、こんな呑気な事考えてる場合じゃない。

「やばいやつじゃん!!」
「それが良いんじゃんか!」

吉野君はとてもワクワクしているけれど、私はそれどころじゃない。お兄ちゃんが、お兄ちゃんが大変な人に捕まっちゃった……どうしようどうしようどうしよう?!私の心配性はますます加速して暑くもないのに汗が出てくる。

「んで?場地くんがどうかしたの?」
「……なんでもない」

学校が終わったらすぐに帰って、お兄ちゃんを止めないと。……私がどうにか出来る人じゃなさそうなのは分かったけど、でもお兄ちゃんが不幸になるのは嫌だ。
やっと、やっと前みたいに、喧嘩しない時のお兄ちゃんみたいな笑顔が戻ってきたのに。そんなのやだ……!





チャイムが鳴ると、ランドセルを背負って家に向かって走った。今日はテストで早めに帰るってお兄ちゃん行ってたし……多分家にいるはず。昨日の今日でこんな事言ったら絶対怒っちゃうと思うけど……だけど、そんなの嫌だ!

全力疾走で自宅の団地に帰ると、団地の一階の踊り場に屯ろしているお兄ちゃんの姿が見え、思わず「お兄ちゃん!!」と叫んだ。

「おー名前そんな急いでどーしたんだよ」
「お兄ちゃんトウキョーマンジカイ辞めようよ!吉野君に聞いたけどバジサンって人やばい人じゃん!絶対お兄ちゃん騙されてるよ!!」
「……はあ?何言ってんだお前」
「絶対後で殴られて高い壺とか買わされるって!私がバジサンって人に言ってあげるから会わせてよ!」
「会わせてって……もう目の前に居るけど」
「え?」
「ドーモ」

声をする方を見れば、お兄ちゃんに夢中で気づいて居なかったけど、もう一人、人がいた。七三分けをした制服はお兄ちゃんよりもキッチリ着こなしていて、物凄い勉強が出来そうなメガネをかけている。
お兄ちゃんの言葉を蘇らせると……この人がバジサンって事になる。
えっ、想像してたのと全然違うんだけど。

「えっ…と…バジサン……でしょうか?」
「おー。俺がバジサンだけど…誰?」
「あっ、コイツ俺の妹っス」
「なんだよ千冬ゥ、妹居たのかよ」
「すんません、妹が変な事言っちゃって」

うそでしょ……?
全然喧嘩しそうに見えないその容姿に頭が困惑する。この人が喧嘩をするの?
確かに言葉遣いは少し荒いけど……全然そんな感じはしない。
気になって膝をついて少し距離を取りつつも、まじまじと見つめてみる。もしかしたら拳が飛んでくるかもしれないから、自衛はしておかないと。

「つうか壺売るってなんだよ、ウケるな」
「あの……バジサンはお兄ちゃんの事、暴走族に入れて悪用しようとしてるんじゃないんですか?」
「さっきから意味の分かんねーこと言うなよ。場地さん……マジすんません」
「気にすんな。なぁ妹、俺は千冬を悪用しようとして東卍に入れたわけじゃねーよ」
「……じゃあどうして入れたんですか?」
「んー……俺の背中、千冬なら預けてもいいなって思ったからコイツを副隊長に選んだ。俺にとって大事な仲間だからな」
「大切な……仲間」
「お前、兄ちゃん大好きなんだな。悪ィな、不安にさせちまって。でも俺は大事な仲間の事は全力で助けるし絶対後悔させねーよ」
「……ッ場地さん……!」
「うお、なんで千冬が泣きそうなってんだよ!泣くな泣くな!」

ニカっと笑うバジサンの笑顔はとても素敵で、なんだか見覚えがある気がした。
確かに……凄く怖い噂は沢山聞いたけど、この人はちゃんと本音を私にぶつけて来てくれて、何も言えない。お兄ちゃんとバジサンは気持ちが通じ合って仲間になったってことが、ひしひしと伝わる。そして、お兄ちゃんがなんでこの人について行きたいか、なんだか分かるような気がした。
こんなの、やめてなんて、言えないじゃん……。

「つーか、妹の顔……どっかで見た顔なんだよなあ……」
「え、場地さん名前と顔見知りっすか?」

気持ちを自分の心の中で整理していると、呑気な口調でバジサンは話始める。バジサンは私が無礼な態度とったのに多分気にしてないんだろう。
でも……私の中でも、既視感というか……どっかで会った気がするんだよなあ。

「えっと……どこかでお会いしましたっけ?」
「んーー…………あっ思い出した!!思い出したスゲェ!」
「え、場地さん?!」
「ちょっと待ってろ!」

突然思い出したと言い放ったバジサンは団地の階段を駆け上がる。えっ、なになになに?
何かを思い出したらしいけど、こちらは全然思い出せない。一体なんなんだ……バジサンって不思議な人。
2分ほど経って次は上からドダダダ!!!と、もの凄い勢いで階段を駆け降りてくる足音が聞こえ、一階まで駆け降りたバジサンは私にお気に入りだった花柄の折り畳み傘を差し出してきた。傘の留め具部分の生地には、前に書いた私の名前が書いてある。

「これお前のだろ?松野名前、って」
「な……なんでこれをバジサンが……?」
「何でって……貸してくれたじゃん」
「私が貸したのはもっと……怖そうな、髪の長い人だった……」
「あーそっか。これでいーか?」

そういってバジサンは眼鏡をとって、後ろで一つ結びしていたゴムを取ってはらはらと髪の毛が舞う。その姿は、あの雨の日に見た姿。忘れられないくらい熱くなった記憶が蘇った。

「あの日の猫さんだ……」
「ハハッ、猫ってなんだよ」

ニンマリ笑うその顔は、あの日見た笑顔と一緒で、またどんどん顔が熱くなっていくのが分かる。この人は私の体調を自由自在に操れる能力でも持ってるんだろうか。
固まる私にバジサンは近づくと「どした?なんか顔赤ぇぞ、大丈夫か?」と額に手を触れてきた。ゴツゴツした大きな手は温かくて、何故か心臓がどきどきして目を瞑る。

「あー、場地さんコイツ昨日体調悪かったんでそのせいかもしれないッス」
「マジか。それなのにあんなに走ってくるなんて面白ぇなお前」
「……っ」
「ちょっと家に連れて行きますね」
「おー、いってら」

別に昨日体調悪かったわけではない。多分、固まった私を言い訳をしてこの状況から助けてくれたんだ。
お兄ちゃんは私の手を引いて団地の階段を登り、玄関を開けて中に入ると、はあと大きな溜息を吐いた。

「だから言ったろ。場地さんに迷惑かけんなお前」
「ねえ……なんなのバジサンって……ますます怖いんだけど」
「……は?」
「だって私の体調を自由自在に操れるんだよ?!やっぱり変な人だよ!」

心臓の心拍まで早める能力があるなんて、魔法使いなのかもしれない。ずっと目で追っていたくなるし、多分お兄ちゃんもその魔法にかかってるに違いない。
必死に訴えるが、私の様子を見てどんどんと変な顔をしていき、最後には耐えきれなくなったのがブハッと吹き出して笑った。なんなの真剣なのに。

「もう!笑わないでよ」
「悪ぃ、お前そんなに鈍感なのな。ウケる」
「ウケない!」
「まーとにかく、場地さん悪い人じゃないからもう変な事言うなよ」
「…………うん」

たぶん、悪い人じゃないのは分かる。何故私の体調を変化させるのかは知らないけど。
お兄ちゃんは「じゃ、俺戻るから。留守番よろしくな」と声をかけて玄関の扉を開けた。

「場地さんかっけーだろ?」

それは、少し分かったかもしれない。



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