猫のような、魔法使いのような場地さんは、お兄ちゃんととても仲が良い。最初は私を場地さんに会わせる事でさえ拒否していたのに、存在を知ってしまったからにはお裾分けのように話してくるようになった。しかも四六時中一緒に居るようにお兄ちゃんは話すし、お兄ちゃんが帰ってくる時、玄関先から場地さんの声がよく聞こえていた。
同じ団地ということで、お母さん同士も顔見知りになったらしく「圭介が千冬くんのおかげでテストの点数が上がったんですよ」やら「圭介くんのおかげで千冬の反抗期が直ったんですよ」なんて話したとスーパーから帰ってきたお母さんが言ってた。こうもwinwinな関係であれば、喧嘩をしてても少しは良いだろうとお母さんの許容範囲は広がったらしい。大人になっても成長ってするんだなあ。


そんな相変わらずの毎日のとある土曜日。

「おーい名前〜〜」
「ん"ー……お兄ちゃん、部屋入る時はノックしてって言ってるじゃん」

部屋の扉を開けて勝手に入ってきたお兄ちゃんに起こされて布団からチラッと顔を出す。
土曜日だというのにお兄ちゃんは朝から元気だ。目を擦りながら壁にかけていた時計を見れば、8時を指している。
なんで今日こんなに朝早いの…………いつもは昼近くまで寝てんのに。
ゆっくり布団を捲って眠気を払うために背伸びをし、身体を起こした。

「こんな朝早くからなに〜?」
「なーテーブル貸して」
「いいけど……なんで?」
「場地さんと期末勉強すっから!」

私の質問に答えるお兄ちゃんの顔はとてもニコニコだ。お兄ちゃん、場地さんの事本当に大好きだなあ。
しかし驚きなのは期末勉強というワードが出た事。お兄ちゃんは今までテストで下の上くらいの点数を今まで取っていて、あまり頭が良い方ではない。お母さんにテスト用紙が見つかれば毎度怒られていた。
しかしここ最近「どーだ、小テストの点数70点取ったんだぜ!」と70と書いてあるテスト用紙を見せて自慢げに話してくれるあたり、自身もついて学力が上がっているみたい。自分から勉強するっていうなんて、またお母さんは感心するだろなあ。そういう事なら私も大歓迎。

「分かった、勉強頑張ってね」
「おー、お前も赤点とんなよ!」
「赤点なんて取んないし!」

お兄ちゃんよりはテストの点数高いし、勉強だって自主的にやってるからお兄ちゃんよりはまだマシ。まあ中学に入れば英語だったりとか技術の授業だったり、新しい授業が始まるって聞いてるから……そこは気を引き締めないとって思ってるけど。
ローテーブルを担いで持っていったお兄ちゃんが扉を閉めたのを確認し、私は再度ベッドに横になった。

勉強が大変になるのは分かるけど……でも小学校最後くらいはもうちょっと寝かせて欲しい。
暖かいお布団の温もりの中で、再度睡魔に流れる身のまま意識を手放そうとした瞬間、扉がまたガチャっと音を立てて開いた。

「もうお兄ちゃん、ノックしてって言ってんじゃん!」
「あ?」

声が……お兄ちゃんじゃない。
一瞬固まってしまったが、勢いよくお布団から顔を出し確認すると、そこにいたのはメガネをかけた七三分けの場地さんが。

「ばばば場地さん……!?」
「悪ぃな、寝てたのに起こしちまってよお」
「……イエ」

ちょ……ちょちょちょっちょっと。
こんな寝起きの頭ボサボサの、顔がブサイクな状態で場地さんと対面したくないんだけど……!
頭から布団をかぶってベッドの上で正座し「おはようございます…」とお辞儀すれば「おう、おはよ」と言って扉を閉め部屋の中に入ってきて見渡してきた。
待って。部屋の中整理整頓はしてるとはいえ、人様に見せるには何だか恥ずかしいから見て欲しくない。

「あわわわ、場地さんあんまり部屋の中見渡さないでくださぃっ……」
「お、これ俺も持ってる!この雑誌おもれーよなぁ」
「それ動物雑誌ですけど?!」
「そーなん?俺、動物の出る雑誌好きなんだわ」

布団から出て場地さんにおかえり願おうとしたのに、場地さんは気にせず棚に入れてた可愛いにゃんこ特集雑誌を読み漁りだした。ヤンキー漫画とかバイク雑誌ばっか読んでそうなのに、まさかの動物系の可愛い雑誌持ってるのはギャップすぎるでしょ。
ふい胸がぎゅぅっと何故か締め付けられ、また魔法をかけられて頬が熱くなった。もお勘弁して。

「雑誌持ってっていいんで……あの、部屋から出てくれませんか」
「?何で」
「イエ……えっと、恥ずかしくて……見られたくないので……」

背中を押して扉の方まで押していくが、疑問を問いかけて抵抗してくる。何でって、察してくれよ。部屋の中だってパジャマ姿だって恥ずかしくて見られたくないんだよ。もしこれが場地さんじゃなかったら、まだ良かったのに。

……なんで、場地さんじゃなかったら良いんだろう。
不意に自分の中に浮かんだ文句に、疑問に思った。知らない感情が、自分の中にあって変な感覚だ。ああ、また顔がどんどん熱くなるし恥ずかしい。これは場地さんの意地悪な魔法だ。

「ゎーったよ」

場地さんは了承し、ニッと笑って私の髪をわしわし撫でた。元々寝癖で髪が大変な事になってるのにさらに乱れるじゃんか。
……だけど、頭撫でられてこんなに気持ちいいの初めてで何だか落ち着く。

「場地さーん?……何してンすか」
「おー千冬、んじゃ行くわ」

再度ノックも無しに扉が開くと、ひょっこりお兄ちゃんが顔を覗かせて、じと目をしてこちらを見てくる。お兄ちゃんの声かけに応じた場地さんは、撫でていた手を離し、私にヒラヒラと手を振って部屋から出ていった。

はー……ドキドキした。
深呼吸をして落ち着かせていると、今度はお兄ちゃんが部屋に入って来て、私の頬を横にぐいーーっと引っ張ってきた。

「……なひ?いひゃい」
「ばーーーーか」

相変わらずジト目で不機嫌な顔をしたお兄ちゃんは、それだけ言って部屋から出て行った。

……は??何て?ばか?何で?
お兄ちゃんの行動と発言が何を言いたかったのか理解できないし謎である。急に意味不明な事言わないでよ。
そんなこんなで、破天荒な二人によって私の有意義な朝はドタバタによってめちゃくちゃにされ睡魔はどこかへ行ってしまった。



朝準備を終えてリビングでテレビをつけるが特に面白い番組はあってない。
ちなみに土曜日は学校が昼まである時もあるけど、基本休みの日はペケと遊んでる。けどペケは基本お兄ちゃんの部屋に居座ってて、勉強中のお兄ちゃんの部屋に入るわけにもいかず遊べない。
まあいいや、昨日出た宿題もまだやってないから丁度いいし終わらせよう。

梅雨の時期の終わりが近く夏が徐々に感じられ、じとじとして億劫になりながらも鉛筆を握って宿題を消化していく。一時間程度で勉強は終わり、結局やる事が無くなってしまった。
ふう、甘いものでも食べて脳を休めるとするかあ。
リビングに置いてあるソファでくつろぎながら小分け包装してあるチョコを食べつつ、テレビをつける。さっきはニュース番組ばかりだったけど、丁度どうぶつ番組の再放送をやっていたのでそのまま見る事にした。

やっぱり勉強した後には甘いものだよなあ。しかし、こんなにお兄ちゃんが勉強で部屋から出てこないなんて凄い。本気で場地さんと勉強頑張ってるんだ。凄いよお兄ちゃん……!
場地さんにはお兄ちゃんと仲良くなってくれたおかげで、変わるきっかけを作ってくれて感謝で一杯だ。


ガチャリ。
お兄ちゃんの部屋の扉が開いて目線を向けると、噂をすれば場地さんが出てきた。七三の眼鏡姿ではなく、いつものラフな姿に変わってる。

「おう、起きたんだな。便所借りるぞ〜」
「あ、はい。どうぞ」

私に一言声をかけてくれた場地さんはトイレに向かった。同じ団地であれば五階も二階も部屋の構造は一緒なわけで、どこに何があるかなんて大体分かるだろう。
数分するとトイレを済ませた場地さんは、ん〜っと背伸びをしながらリビングに戻ってきた。

「勉強お疲れ様です」
「何やってんだ?」
「宿題終わったんでテレビ見てます。あ、チョコ食べますか?」
「おーいるいる」

ソファの後ろから覗きこんできた場地さんは私の隣に座って、チョコを袋から取り出して口に入れた。最近場地さんに対して、出会った頃の怖さは無くなってどっちかっていうと癒しというか……お兄ちゃんとは別の優しいお兄ちゃんみたいな不思議な存在を感じている。でも、兄ちゃんにドキドキとかしないし何か違うんだよなあ……。
チョコをパクパク食べながら、テレビに夢中になる場地さんを横目でチラッと見ると、こちらに気づいたようで目があった。

「どした?」
「いえ……別に」
「なぁ、あの虎めっちゃカッコ良くねえ?」

ワクワクした顔をしながら問いかけてきた内容は、テレビであってる再放送の動物番組。野生の虎がどういった生活をしているのか取り上げられていた。獲物を狙った虎は素早い速度で標的に噛みつき、弱肉強食の世界を実感させられる。捕食している虎に対しては、かっこいいというより、凄いなぁって印象だ。

「虎好きなんですか?」
「ん〜……虎っつーか、動物は全般好きだな。ここら辺野良猫沢山いんじゃん?ウチは飼うこと出来ねーけど、たまに部屋に遊びにくんだよ。だから部屋にキャットフードとか猫じゃらしとか置いてんだわ」
「へぇ……なんか意外です」
「名前は?動物の漫画も持ってたし動物好きなんじゃねーの?」
「好きですよ。私、将来ペットショップの店員さんになりたいんです」

それは昔からの夢。捨てられた猫や犬達を保護したペットショップを作りたい。昔、それをお母さんに打ち明けたら「生きていくのはそんなに簡単な事じゃないんだ」と言われた事もあった。でも、捨てられた動物が幸せに生きていける一つの方法を作ってあげたいのに変わりはない。

「マジ?俺と同じじゃん」
「え……?!場地さんもなりたいんですか?」
「おぉ。動物に関わる仕事してーなって思ってたんだよ。なあ…将来一緒に店やろーぜ」

まさか一緒の将来の夢だったなんて。ニッと笑って私に提案する彼の顔を見て、ワクワクする未来を想像した。新しい家族を求めに来るお客さん、そして新しい世界を見る動物に対して一緒に頑張る場地さんの姿。
場地さんと一緒に仕事するって考えると毎日楽しそう。犬猫が場地さんに群がって好かれている情景が容易に想像出来た。

「ふふ…いいですね、約束ですよ」
「おー!」

小指を差し出すと、同意の言葉とともに私の小指に場地さんの小指が絡み合う。ゆびきりげんまん。絶対だからね、場地さん。



「場地さーーん?」

突然お兄ちゃんの部屋の扉が開いた。扉から顔を覗かせたお兄ちゃんは場地さんを見つけた後、私に向けてジトっとした目線を向ける。
だから……さっきから何その顔。

「……何してンすか」
「ちょっと休憩」
「休憩ってあれから15分経ってますよ、再開しましょう」
「ンだよ千冬ぅ、もー俺の頭回んねーぞ。……そーだ名前も来いよ」
「えっ?」
「ンな所でテレビ見てるより一緒に居た方が楽しーだろ?」
「でもお兄ちゃんが……」
「あ?…何、喧嘩でもしてんのか?」
「いや、そう言うんじゃ無いんッスけど……」

さっきからずーっとジト目でこっちを見ている。まるで邪魔だと言わんばかりの視線が痛い。無いと言ってるけど多分、お兄ちゃんは私が場地さんと絡むのが嫌みたい。でも場地さんと会ってから関わるななんて言われて無いんだけどなあ。何か都合の悪い事でもあるんだろうか。

「なんだよ千冬いいだろ?」
「まあ別に、場地さんがいいなら……」
「な?」

な?って言われても……と思いつつ、私の手を取ってお兄ちゃんの部屋へと連れて行かれた。握ってくれた手を離すことは何だか嫌で、出来ずにそのまま部屋に入ってしまった。
…しかし勉強の邪魔をする事もいけない。せっかく普段勉強しないお兄ちゃんが真剣に頑張って勉強しているんだし、そんな二人をサポートしてあげたい。
たまに飲み物やお菓子を持って来て邪魔にならないように補助係をしつつ、やる事がない時はずっとペケJとお兄ちゃんのベッドで遊んで二人の様子を見る事に。


「お茶持ってきたんで、どうぞ」
「おーサンキュ、助かるわ」
「お兄ちゃんも、ちょっと休んだら」
「んー……これだけ解いてから」

数学の問題だろうか。数字の並べられてる問題に唸るお兄ちゃんの目線の先を追えば、導き出した答えに納得がいかない様子だ。ううん…なんか私の知らない記号が使われてるけど…あれ、ちょっと待って。

「あ、ここお兄ちゃん間違ってるよ」
「は?なんでお前が分かんの?」
「ここは小学校でも習うよ?」
「マジで!?」
「マジか、頭いーな名前」

……二人とも大丈夫か。
問題を解く前の基本である小学生の問題を間違えるあたり不安だけども、さっきまでのお兄ちゃんの不機嫌さも無かったし、二人の間に入って問題のアドバイスをすることになった。






「……ん、」

ふわふわした心地よさで、ふと意識が戻る。
……あれ、いつの間にか寝ちゃってた……?
微かに瞼を開けると、ペケの眠った顔が目に入り、少し上を見るとペケを撫でる大きな手のひらが見えた。
……この大きさ、お兄ちゃんじゃない。
その大きな手がペケを離れると、私の頭を優しく髪の毛に沿って撫でる。それは柔らかくて、気持ちよくて…微かに開いた瞼をまた閉じる。これはまた睡魔にもっていかれそうだ。

「場地さん、名前の事気に入ってますよね」

遠のきそうな意識の中、お兄ちゃんの言葉に夢の中に入る一歩手前で踏みとどまった。
え、私の話をしているの……?何だか起きるのも気まずい気持ちになり、そのまま寝たふりをする事にした。

「そーか?エマと変わんねーだろ」
「マイキーくんとドラケンくんから聞きいたんスけど……名前の事、可愛いって言ってたって本当ですか?」
「はあ?……何でそんな話になったんだよ」
「あ…この前二人が名前に会ったって聞いて。それで……あの、色々話聞かされたンすけど……」
「…………マイキーとドラケン後で潰す」
「ええ!?いや、別にそういうわけじゃ……」

場地さんの声が明らかに不機嫌が窺えそうなくらい低くなった。
……そういえばこの前言ってたなぁ。まさか場地さんが私に可愛いと思ってくれてた事には驚いたし、あの時やっぱり手を差し出して良かったなと思った。でも可愛いって言ってくれたのに、そんなに怒るなんて本当は私の事可愛いって言ってたの、嘘なんだろうか。
ムズムズ。話に加わりたいけど起きるタイミングが分からなくて悩んでると、お兄ちゃんが話をし始めた。

「俺それ聞いて、ちょっと複雑で。……今日も場地さんが名前を誘った時、俺やっぱり邪魔なんじゃないかって思って…そうだったら、すみません」
「ハ、何言ってんだよ。今日は千冬と勉強するって決めてたんだから邪魔もクソもねーだろ?つーか俺はお前の事邪魔だなんて一度も思ったことねーから安心しろってぇの!」
「うわっ」

お兄ちゃんの驚いた声と同時に撫でられてた手の感触が消えたので薄目を開けてみると、お兄ちゃんの頭をわしわしと場地さんが撫でていた。
……お兄ちゃん、だからあんなに私に対して不機嫌そうな顔をしてたのかな。てことは、お兄ちゃん場地さんに可愛いって思われたいの?ん?……話がよく分からなくなってきたな。

「ちなみにマジなんですか?あの話」
「…言わねーとダメか?」
「いえ、無理して聞きたいわけじゃないんでいいっスけど」
「あ〜……いや、言っとく。マジだよ、つーかまた会えるって思って無かったし」
「マジですか……名前の事狙ってるなら俺、応援します!ちなみに名前のやつ結構バカなんで、結構大胆な方が良いと思います!」
「大胆って言われてもな……つーか千冬に知られるなんて恥ずかしぃわ」
「何言ってんスか!めっちゃかっこいいですよ!」

おいおいおいおい、なんで勝手にバカ認定してんだ。申し訳ないけど、マジマジ言い合ってる二人よりは馬鹿じゃない自信がある。
……しかしさっきから何を話し合っているのか完全に分からなくなった。
お兄ちゃんが邪魔だったと勘違いして…本当は違ってて。それで私を狙ってる……?大胆に行った方がいいって……え何……??
考えた頭で思いついたのは、さっきの虎が捕食している映像。

場地さん、もしかして私の事食べようとしてる……??

どうしてそうなったのか私でも理解できないけど、直感でそう感じた。意味の分からない身の危険を感じていると、またふわりと頭を撫でられて、髪を耳にかけてくれる。ああ、やっぱり心地よい。
でも……場地さんに撫でられるのは心地良いし嫌じゃ無いけど、食べないでほしい。
「起きてなくて良かったわ」とボソリ呟いた場地さんの言葉に内心ドキッとしながら、自然を装った。
……やばい、寝たふりしないと。


「……見てみろよ、可愛いくね?」
「いや、実の妹にそんな風には見れないッス」

そこは可愛いって言え。



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