確かに愛だった
普段感じる温もりが無くて目が覚める。隙間が生まれているのか、どこからか入り込んだ空気によってシーツがひんやりと冷たい。「――……?」
ぼんやりと名前を呼んでも返事はない。どこへ行ったんだと手探りで探すよりも先に、完全に意識が覚醒した。
掛布団を捲れば顕著にわかる、ひとりぶん空いたスペース。そして、一滴だけ落ちた赤。それは、まだ明るい赤だった。既に広がった後なのかじっと見つめても赤が増えることは無かった。
「はるちよ、起きてたの?」
扉を開けたのは探してたもので、そして赤をうんだもの。まだ少しだけ眠そうに目を擦って、シーツの赤を見た。
「え、ごめん、シーツ洗うね」
「ン」
体を起こして、一生懸命シーツを取り外し抱える姿を眺めた。どうやらその下までは染み込んでいなかったようで、普段と何も変わらない真っ白なベッドに戻る。
洗濯機のセットが終わった彼女は振り返る。困ったように笑ってごめんねと言うから、べつにと返した。
「二度寝出来なくなっちゃった」
「お前仕事だろ」
「ん、そうなんだけど」
「さっさと準備しろよ」
「そーするかなぁ。はるちよは仕事?」
「ン」
ご飯作るね。腕を伸ばして身体を解す後ろ姿を見つめて、短く言葉を返す。
「……ソレ、早く終わればいいなァ」
▽
ゴミ箱の中身に視線を移して、赤の滲んだソレが綺麗さっぱりなくなったことを確認する。瞬間、喜びが全身を巡った。やっと、やっと終わった。きゅっと手に力が篭ったのを意図的にほぐして、ソファでだらだらとテレビを見ている姿を後ろから見る。何が面白いのか時折笑みが零れるのを見て、そっと目の前にマグを置いた。
「え、めずらしいね、ありがとう」
嬉しそうに笑って、なんの疑いもなく手を伸ばす。湯気のたつマグに息を吹きかけて冷まそうとしている様子を、自分のものに口をつけながら横目で見る。
「早く飲めよ」
いつまで冷ますつもりなのか、焦れったくなって声をかけると恥ずかしそうに笑った。
「猫舌なの、知ってるでしょ?」
俺とは違う、白くて細い指がマグに絡んで、その小さな手で包み込んでいる。自分の中身は既に半分をすぎた。
薄い唇が縁にくっつく。ゆっくり傾いて、細い喉が動いた。暖かい飲み物を飲んでふぅ、と白い息が空気に紛れて揺れる。うっすい画面の中ではよくも知らない人間達が興味のない話をしていた。
うつらうつらと隣で船を漕ぐのを見て、そっと包まれたままのマグを奪ってテーブルに置いた。はるちよ、とゆったりとした声が俺の名前を呼んで、それっきり何も言わなくなった。耳をすましてみれば小さな寝息が聞こえる。
乱暴にならないよう注意をして抱きかかえて、そっと寝室へと移動する。優しくベッドの上に乗せて、薄い胸が微かに上下しているのを暫く眺めた。
口角が上がるのを自覚した。自分だけが使うベッドサイドテーブルの引き出しから注射器と太めの紐を取り出して、彼女の名前を呼ぶ。当然ながら返事はない。
一度で成功するように見知らぬ人間で何回も試したから大丈夫だろう。たった一回のために、やけに上手くなったと思う。自信と、緊張。あとチラチラとこちらに顔を覗かせている、失敗したらという不安。
そっと二の腕辺りを紐で縛って、暫く。
もう一度だけ名前を呼んで、躊躇うことなく注射器を浮き出た血管に射し込んだ。中に入っていた液体は全て彼女の元へ。針を抜けば水滴のような丸い赤が現れる。自分の服で暫く押さえ赤を拭えば、そこは普段と何も変わりなかった。
紐を解くとわかりやすく跡になっている。そこを指で数回往復させて、頬を痛いぐらいに吊り上げる。
微かに動いていた胸は、ぴたりと止まっていた。
「よかったなァ」
彼女は、これで。
もう永遠に穢れるはなくなった。