あなたしか愛せそうにない
「彼氏と連絡がつかないんだよね」ズズズ、とほとんど空っぽになったカップの中身を吸い上げる。行儀が悪いことは知ってるけど口寂しいから仕方がない。
友人はまだ一度も手をつけていないカップの中身をストローでくるくると掻き混ぜながら、特別驚いた素振りも見せずにふーん、と興味なさげに呟いた。
「いつから?」
「二……、三ヶ月ぐらい」
「自然消滅じゃん」
「……やっぱり?」
うん、と素直に頷く友人。
正直、遊ばれてるような気はしてた。室内でも真っ黒なサングラスをかけるようなちょっと変わった人だったけど、そこら辺の女なら自分から行かずとも自然と引っかかってくるような顔の整い方してたし。髪だって日本人とは思えない白色で、とても綺麗。一度見えた瞳も青空のような色でずっと見てたら吸い込まれそうだった。
そんな人が、どこにでもいるような平凡な私と真面目に付き合うわけがないと。
……そういえば告白したのってどっちだったっけ? 出会いは簡単に思い出せるのに。
「新しい人探したら?」
「うーん」
友人の言うことは最もである。
いくら遊ばれてると思っていても、結構本気で好きだったんだけどなぁ。
「あと一ヶ月連絡無かったら諦めるよ」
▽
結局、一ヶ月どころかあれから更に二ヶ月もの間連絡が来ることは無かった。最早ここまで来れば潔く諦められる。
ただのOLに出会いの場なんてほとんど無いに等しい。出会い系サイトに登録して、何人かからメッセージをもらった。
その中で特別いいな、と思った一人と出かける約束を取り付けた。
「はじめまして」
待ち合わせ場所にいたのは爽やかな人。予め服装は伝えてあったから、待っていた私を見つけてくれた人。
「はじめまして。今日はよろしくお願いします」
「そんなにかしこまられると緊張しちゃうな」
「ならもう少し砕けて行きますね」
「そうしてもらえると僕も嬉しいです」
……僕、ね。
わかっていて彼を選んだのは私だけど、未練がましく思えて嫌になった。
――今日一日一緒に過ごしてみて、素直に楽しいと思った。男の人とすごしてこんなに楽しく感じるのなんていつぶりだろう。
最初は緊張やらなんやらで無理やり作り笑いを浮かべていたのも、気がついた時には自然と笑えていた。
……この人と一緒になれば、きっと私は幸せになれる。
何度か出かけるようになった。お互いの家にもお邪魔するようにもなった。……多分、傍から見たら恋人に見えなくもない、と、思う。
自然とお互いの距離も近くなって、充実した日々を過ごしている。見ている限り向こうも満更でもなさそう。
――だから、こうなるのも予想してた。
薄らと頬を赤らめて視線をさ迷わせる相手についに来たか、なんて充実感が溢れる。
「好きです。結婚を前提に僕と付き合ってください」
勢いよく下げられた頭は九十度あるように見えた。伸ばされた手は私が取るのを待っている。
しっかりしてて、常識もある。私のことを放置もしないし、安定した仕事に就いている。優しいし、一緒にいて楽しかった。
この手を取れば、きっと、幸せになれる。
この人のことは嫌いじゃない。……嫌いじゃ、ない。
手を伸ばして、――すぐに引っ込めた。
ああもう、ほんとに、何やってるんだろ。
馬鹿だと思う。だって、ずっと頭にいたのはもうずっと連絡のない彼のこと。
ごめんなさい。口を開こうとして、出来なかった。
「何やってんの」
目の前の彼が頭を上げて声の主を見た。恐ろしい程に低い声で割り込んできた人は、相変わらず身長がバカでかくて、夜なのに真っ黒なサングラスをかけていて、綺麗な白い髪を風になびかせて――恐ろしい程に、無表情だった。
「……誰ですか?」
「聞いてんのはこっち。で? 何やってんのさ」
「さとる……」
なんで、どうして、ここにいるの?
「やぁ久しぶり! 暫く連絡できなくて悪いね。で? 何やってんの?」
「貴方には関係ないと思いますが」
「関係ない? はは、マジで言ってんの?」
ねぇ、と低い声で名前を呼ばれて体が震えた。……怒ってる。それもかなり。今までこんなに怒らせたことは無かった。
でも、どうして私が怒られなきゃいけないのかわからない。
私のことを放置したのはそっちでしょ? 今更のこのこと目の前に現れて、何のつもりなの。
「……悟には、関係ないよ」
声が震えた。
「もう、別れたでしょ」
「……は?」
ぽかん、と驚いた顔に、やっと表情が変わったと場違いな感想を抱く。しかしそれもすぐにすんと消えてしまった。
「別れたつもりないけど?」
半年近くも連絡がなくて、どうして付き合ってると言えるんだろう。
最初はただ忙しいのかなって私から連絡を入れたりしてたけど、既読も付かなければ返事も来ない。ブロックされているとか、意図的に無視されてると考えるのが普通だろうに。
「……悪いけど君、帰ってくれない? コイツと話したいことあるんだよね」
「ちょっと! 私はない!」
ないって言ってるのに無理やり腕を掴まれて、抵抗らしい抵抗すら出来ない。そのまま力強く引っ張られて、その場から離れた。
「さとる、……悟! 止まってよ! ねえ!」
なんでそんなに怒ってるのかわからない。
無言のまま立ち止まったと思えば、思い切りどこかの壁に叩きつけられて背中が痛い。
ガン! すぐ隣を見れば悟の足が伸びていて、逃げられそうになかった。
「あのさあ、別れたって何?」
「……そのままの意味だけど」
「誰が、いつ、別れようなんて言った?」
「それは……だって……、」
確かに言われた記憶はないけど……。悟はどれだけ私のことを放置してたか気付いてるの?
もごもごと口を動かせて喋らない私に、悟は大きくため息をついた。
「お前がそのつもりでも僕は別れたつもりないよ」
「……なんで、」
「なんで? それはこっちのセリフ」
どうして私がこんなに怒られなきゃいけないの。
……かなしい、くるしい。
感情がぐちゃぐちゃになって輪郭がボヤけた。瞬きをすればぽろぽろと零れ落ちる。
泣いてるのを見た悟が驚いた気がした。
隣にあったはずの足はゆっくりと下ろされて、代わりに腕が伸びてくる。優しく涙を拭われて、そっと目を閉じた。
「ず、っと、ずっと、連絡、くれなかった」
「あー……」
「だ、から、しぜんしょーめつ、したって、……おも、て」
「……うん」
「すき、なのに」
「ごめん」
壁から背中が離れたかと思うと、そっと抱き締められる。腕を彼の背中に回してしがみつくように力を込めた。
「……ずっと連絡がないから、飽きたのかと思った」
「違うよ」
「じゃあなんで連絡くれなかったの。別に会えなくてもよかった」
「んー、仕事がさー、忙しくて。今やっと落ち着いたの」
「連絡出来ないぐらい?」
悟の仕事のことは詳しく知らない。教師をやっている事ぐらいしか聞いてない。でも教師ってそんな急に呼び出されたり、なかなか帰れなかったりするほど忙しい職業だっけ? と思うことは多々あったから、たぶん、それだけじゃないんだと思う。
教師じゃないと思わないのは、悟はそんなくだらない嘘をつかないと知ってるから。
ズ、と鼻をすする。
久しぶりに感じる悟の温もりは変わらなかった。
化粧が落ちるのも気にせずぐりぐりと頭を撫で付けると、背中に回っていた腕が場所を変えて髪を梳く。
……大きい手、落ち着く。
「うん、ごめんね」
「……もうやだ」
いくら謝ってもらっても、どうせまた同じように連絡が取れなくなるんでしょ?
会えないのは別に大丈夫。そりゃ……、出来れば顔を見たいとは思うけど。でも、忙しいのは理解してるつもりだし。
……でも、連絡が取れなくなるのは、繋がりが消えたみたいで嫌だ。
わがままなのかな。そうかも。
悟、と呼んだ声は彼の謝罪によって消えた。
「ごめん、それだけは言わないで」
「……やだ」
「お願い」
「だってしんどいもん」
「うん、ごめん、ごめんね」
出来ることなら、もう終わりにしたいよ。
好きな気持ちが消えたわけじゃない。じゃなきゃ私は彼の手を迷わず取っていただろうし、わざわざ悟の面影を探すような真似もしていない。
「もうしない……、は、約束出来ないけど」
「出来ないんじゃん」
「うん、ごめん。でもさ、もう簡単に手放してやれない」
「やだ」
「僕もやだ」
「……なにそれ」
なにそれ、なにそれ! 私より悟の方がわがままじゃん!
気付いて、なんだか面白くなって笑えてきた。
腕の中で震える私の名前を呼んだ。
なんか、もう、馬鹿らしくなってきちゃったな。
「次、連絡途絶えたら別れる」
「……どのぐらい?」
「一週間以上空くのは……やだ」
「うん、気を付ける。だから別れるなんて言わないでよ」
仕方ないなあって笑うと、悟も安心したように笑った。