薄桃色の花吹雪




濃紺の空が月もなく雲を漂わせる。闇の中を空寂として靴底を鳴らし、男は茂みの中へ無機質な物体を忍ばせる。それは一見では人目につくことも敵わない、だが一目視認出来れば決して忘れることが出来ぬ、黒黒とした正方形型のキューブ。物憂げな男の横顔は美しい娘のように、淵から雫を滴らせている、かのようにも捉えられた。

「あの…」

宵闇の中、スーツを着た女がその男に声をかけたが、男は視線を走らせるや否や薄っすらと微笑みを浮かべるだけで女の呼びかけに答える事はせず。背を向けて歩き出す。その音は、カツン……カツン……と優雅に歩いているように見えて、女の目からは何処か時計じかけのようで壊れた人形に思えた。

「……綺麗だけど。もう駄目ね。だってねじが壊れちゃってるもの。もう……戻れないわ」

タイトスカートを穿いた女が背を向け。男とは反対側の道を歩き始める。その口許は三日月に裂けながら……。





■□■






その日は普段通り学校から帰宅し手を洗い、パソコンに向かっていた。近頃あの天然で人を崩落させることを得意とする美少年、薬研君の手伝いをしているため。今日も彼は訪れるだろうと夕飯も多めに用意している。博士が鼻歌交じりにキッチンの前で料理をする。指先で机をノックしながら彼を待っていたけれど、彼は普段より遅く夜が深みをました時刻にその呼び鈴を告げた。

「一体何時だと思ってるの」

いつもの調子で彼に呼びかけると「すまない」と江戸川君より素直に言葉にする薬研君だが、その表情は寂然としていた。

「なにかあったの」

彼に問いかけるも否定されてしまう。懐から取り出したSDカードを差し出される。それを受け取ると彼は口角を無理矢理上げた。

「これでデータは埋まる。進めてくれねえか。俺っちの方は大体理論は完成したから追い込みに入らせてもらう」
「構わないけど…どうやって手に入れたの」

彼が欲しがっていたデータは簡単に手に入れられるほどのものではない。何せ視えない敵の詳細データだ。そんなもののデータが手に入れられるのは敵の拠点に侵入しデータをコピーする他ない。それかもしくは敵との接触となる訳だが……。薬研君をもう一度見上げる。彼はとてもじゃないが口を割りそうには見えない。この研究を手伝っているのは他ならぬ夜子のため。あの子の無理や無茶が少しでも抑えられるなら、その一心で手伝っていただけ。

「明日、お花見をしに神社へ行くんだけど。あなたも気分転換に来る?」
「花見か……いいな。余ったものは俺っちが引き取るから、楽しんでくるといいさ」

薬研君は学ランの首元に指を引っかけ、フックを外し寛げる。背を向けて彼は歩き出す。わたしが研究室として使っている部屋へ、通じる螺旋階段へと消えてしまう。その愁然とする彼の背にわたしは呼び止めることもせず静かに眺めていた。その背中が闇に溶けるまで。

「ったく…どうしてこうも抱え込む人が多いのかしらね」





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兼定のバイクから降り、ヘルメットを外す。エンジンを切り兼定もまたヘルメットを取り去り髪を整える。桜の季節ということで、桜の花を観賞するのを序でに神社へお参りを目的として訪れていた。兼定がお重の包みを片手に「おもてぇ」と悪態つく。

「ンでこんな飛脚みたいなことをオレがしないとなんねえんだ」
『私がしたくてしてるだけ。別に兼定は留守番でもよかったけど』
「オレがいなきゃ足はどうすんだよ。あの透かした男に頼むってのか。ふざけんな」
『歩いて行く予定だよ。何で私が安室さんに頼まないといけないのさ』
「まんざらでもねえ顔してる隙の多い女がいてな」
『誰かしらそんな尻軽女は』
「オレの目が濁ってなきゃオレの目の前に居るんだがな」
『やだ、女の子みたいに長い髪を編み込んでる男の娘なら私の目の前に居るんだけど』

両者の睨みが勃発した。だがそこにはいつものような明るさはない。私の目の前に花弁が舞い降りてくる。たった一枚の欠片。薄桃色に染まるそのハート型の桜を手にしようと伸ばすが、掴めるはずもなかった。ひらり、ひらりと優雅に舞っては地面へと静かに腰を落ち着かせる。横を通り過ぎる通行人の無残な靴底が平らに伸ばして欠片をひしゃげる。踏みにじられるその花弁に私は瞼を伏せた。

「待ち合わせ場所は何処だよ」
『境内の近く』
「さっさと渡して賽銭投げ込むぞ」

兼定の背について歩き出した。行き交う人々は空を見上げる。道の両端に植えられた桜の大樹が枝に多くの実りを募らせ出迎える。その歓迎はとても幻想的で、そしてとても懐かしかった。桜は刀剣男士とも深い繋がりのある花で。顕現した際はその美しい刀身と外観よりも先に、桜の花弁を舞い散らせ目を奪われていたものだ。

「そういやあっちでも花見をやってたな。酒と肴と芸と花を見上げて椀飯振舞だった」
『そうだね』

昼はお花見、夜は夜桜と共に杯をすすったものだ。あの頃は毎年春が訪れると皆が「主様。お花見の季節ですね」と代わる代わる口にするものだから、楽しみなんだな。と思ってみっちゃんと歌仙と共に料理をしたものだ。うちはお酒好きが多くて酒蔵作って神酒を生産してたな………。

『やっぱ酒飲みたくなるわ』
「わかる」

兼定と共に今は未成年であることが悔やまれた。梅酒が美味かった。勿論日本酒も美味しいが、歌仙が作るあの梅酒はたまらん。ほっと息をつきながら雑踏をかき分ける。兼定は背が高いから彼の後ろを歩いているのは楽だ。人が避けていく感じがモーゼっぽい。でも前が見えないから不便ではある。今日は普段より注視は少ない。桜は人の目を盗む美しさがあるようだ。

境内の近くで足を止めると見慣れた眼鏡のお兄さんが私には浮いて見えた。大変見つけやすいけど浮きすぎではないですかね。しかもスーツだ。あのスーツ見覚えがある。手を振るとお兄さんは私を見つけるなり周囲を見渡しながら傍までやってくる。

『お花見ですか?』
「いや、まあ。息抜きにな」

いつもすまない、と前置きを入れて風見さんは兼定からお重を受け取った。兼定は鋭利な眼差しで風見さんを上から下まで見ながら「誰だこの弱そうな野郎」と風見さんに聞こえるように発言したので、兼定の腰骨部分に蹴りが入った。思いきり入ったため兼定は地面に倒れ込み腰骨を手で押さえる。

『徹夜何日目なんです?ちゃんと家に帰ってお布団で寝ないと疲れが取れませんよ』
「あ、ああ…そうだな。一区切りついたらそうさせてもらうが……彼は大丈夫なのか」
『気にしないでください。この蛞蝓のことは』
「て、てめぇ……おもっくそ入れやがって……」
『でも徹夜を黙認する職業って一体……警備とか?でもスーツってことは……警察組織。或いは検事、弁護士とか』

探りを入れている訳じゃないのだが、興味本位で職業当てをすると風見さんの表情が一気に固くなるのでちょっと面白かったりする。とても他人に露見してはいけないような職業なのかもしれない。でも風見さんはそれを伝えることが出来なくて苦しそうだ。佳き人なんだよね、基本的に。だから信用できてしまうんだけど…難儀だな。風見さん。

「君たちは花見か」
『はい。序でに神社でお守りでも買おうかと』
「そうか」
『風見さんもお守り買った方がいいんじゃないですか?交通安全とか』
「何故敢えてそれを上げたのか気になるところだが」
『お守りが欲しかったら言ってくださいね。お守りは自分で買うのではなく相手に買ってもらい受け取る方が効果があるとされているんです。元々自分で購入するものではないので。誰かを想う気持ちで出来ていますから』

風見さんは眼鏡を曇らせ懐から桜柄の封筒を取り出し私に手渡してくる。それは差し入れの材料費が含まれていて最初は断っていたんだけど、風見さんがあまりにも熱心に渡してくるので折れた。受け取ると何だかぎっしり感が伝わる。ああ…なんか親戚の人から貰うお年玉みたい。

「好きなものを買うといい」
『前より金額が増えているんですね風見さん。自分のために使ってください』
「いや、最低限必需品は賄えているから無理な出費ではない。それにバイトをしているのだろう。見聞を拡げる事は悪い事ではないが、これを作るのだって無料ではないはず。負担になるようなら断ってもいい」
『風見さん。私の好意はうざったいですか』
「いや、そんなことは」
『では、受け取ってください。風見さんに食べて欲しくて作ったんですから、食材が泣いてしまいます』
「君はいい子だな」

本当に親戚のおじ様みたい。眼鏡の奥から煌めく汗が見えたよ。
地面から立ち上がった兼定は服に着いた土と桜の花びらを払いながら、風見さんの肩をトントンっと叩いた。何を偉そうにしてやがると思ってお尻の肉を摘まむ。すると、風見さんは腕時計を確認する。どうやら時間のようだ。

「すまない。そろそろ休憩が終わるようだ。これは有難く食べさせてもらう。いつもすまない。あ、いや…ありがとう」
『いいえ。職場の皆さんとお食べください。お仕事頑張ってくださいね』
「ああ」
『あ、卵焼きのレシピも中に入ってますから』
「あ、ああ……」

レシピを聞かれたので紙に書いて風呂敷の中に入っているのだが、風見さんは終始青ざめていたことを思い出す。おまけにお腹さすってた。今度の差し入れは太田胃散でも入れておいた方がいいのかな。それかおかゆとか…あ、中華粥でもデリバリーしようかな。

「よろけてなかったかあのおっさん」
『まだ若いからおっさん言わない』

更に兼定の美尻を摘まみひねり上げた。

「ったく…オレの美尻を何だと思ってんだ」
『美尻』
「よくわかってんじゃねえか…ってそうじゃねえ!女が掴むな!男の尻を」
『なんで?兼定のならいいでしょ』
「オレ以外にやったら許さねえからな」
『大丈夫。私はお前の尻がいっちゃん好きだから』
「(その台詞“尻”がなけりゃいいのにな。てか何で尻が入ってるんだ)」

兼定はぼんやりと宙を仰ぐがそんな彼の腕を掴み。お参りをしに列へと並んだ。




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