ひとりぼっちの世界で、今日も息をする

 けたたましいアラームの音で目を覚ます。ぼーっと天井を見つめて、ぼんやりした視界がクリアになるまでじっとする。最近やけに目覚めが悪くなってきた。このアラーム音だって実は八回目のもので、ここ数ヶ月、一発で起きれた試しがない。寝付きも悪く、ベッドに入っても数時間眠りに落ちないなんてざらで、睡眠の質が良くないことをわかっていながら、医者にかかるつもりも更々なかった。
 重たい体を起こして、ぺったんこになった布団を剥ぎ取る。冷たい空気が全身にまとわりついて身震いした。ペタペタと裸足でフローリングの床を歩く。途中、床に放置された衣類を足で蹴って道を作った。寝室からリビングに繋がる扉を開けても、カーテンを閉めている部屋は薄暗い。
 そこら中に散乱する衣類と、小さなゴミクズ。シンクの中は洗ってない食器が溜まりに溜まっている。冷蔵庫の中を覗けば、中は空っぽ。仕方なしに開封済みのスティックパンを一本取り出して咥える。もそもそも口を動かして咀嚼して、水分のなくなった口の中をリセットするために洗面所へ。
 鏡に映る自分の顔が窶れている。目の下のクマはもう取れなくなっていた。
 蛇口を捻って水を勢いよく出して、手のひらにたまるのを待つ。たまった水を口の中に含んでゆすいだ。吐き出した水が流れていくのを眺める。流れても流れても新しい水が後から追ってきて、終わりはなかった。短く生えた無精髭を剃って、寝癖を整える。自覚のある細い目がさっきよりもほんの少し大きく開いてるのを確認して、その場を後にした。
「おはよ、なまえ」
 ――本来であるならば、このタイミングでもう一度寝室の扉が開く。眠気が完全に覚めることなく起き上がったせいで覚束無い足取りのままリビングにやってきて、おはよぉ、と舌っ足らずに笑う人が現れる。
 寝室の扉は何も言わない。しん、と静まり返っている部屋の中、自分の声だけが響いた。
 なんて虚しい。なんて悲しい。なんて苦しい。
 ソファの背に掛けられたスーツは少しシワができているが、動けば気にならない程度だった。引っ掴んで、気にすることなくその場で着替え始める。照れて「向こうで着替えてってば!」と俺を怒る人間はどこにもいなくて、でも時折、耳を掠っていく。その度に期待して、でもやっぱりどこにも居なくて、裏切られて、もう二度と期待なんてしてやるもんかと意気込んでも意味は無い。
 散らかった部屋も、溜まった洗い物も、俺一人ならする気が起きない。別にそのままでいいじゃんって。必要になればするからって。食事だって体のために栄養のあるものを摂らなければいけないとわかっていても、ついめんどくさいと思って完成品に手を出す。
 突然鳴り響いたスマホの着信に体を震わせた。ああ、もうそんな時間か。相手を確認せずに応答すると、別に望んでない声が電子を超えてやってきた。
『起きとるか?』
「起きてるけど」
『そぉか、ならいいわ』
「毎日毎日飽きないよね、ほんと」
『飽きとんねんこっちは!』
「じゃあ掛けてこなくていいよ、別に大丈夫だし」
『明日から掛けたらんからな! ええねんな!?』
「いいってば、別に」
『……そぉか』
 特に挨拶もなく切られた電話。どうせそんなこと言って明日のこの時間にも電話が鳴る。今日は侑だったから、明日は多分治。二人とも忙しいのによくやるよね、ほんと。
 別に、電話がなくたって俺は一人で起きるし、食事だって、まあ、バランスを考えてはいないけどちゃんと食べてるし、身支度だってしてる。部屋は時間が経つにつれて散らかってはいるけれど、住める範囲ではあるし。
 可愛らしいストラップのついた鍵を手に取って、履き潰した靴を履く。振り返って薄暗いままの部屋に向かって、ぼそりと呟いた。
「なまえ、行ってきます」
 だって、今日も今日とて一日が始めるから。