また会う日まで
「あー、お腹いっぱい!!」
ぷはーっと、とても上品とは言えない仕草でジョッキをあおって席を立つ。
紺色のスカートがふわりと揺れた。
「あれ、もう呑まないの??」
立ち上がった彼女を追うように視線を上げたのは、優しい笑顔を浮かべた壮年の男。
何杯目かわからないジョッキを傾ける彼は、いつもと変わらない顔をしていた。
「うん、ちょっと休憩!!」
にこっと笑って、祝宴で盛り上がる中庭を後にした彼女の足取りもまた、いつもと変わらなかった。
~♪
中庭から聞こえてくる音楽に合わせてステップを踏む。
軽快で楽し気なこの曲は、おそらく山奥の村のものだろう。
今日はとても、とてもおめでたい日だから、世界中からここレイドックに人が集まっている。
「おっ、さすが元スーパースター!!」
踊りながら台所を歩いていると、食料庫の方から声をかけられた。
振り返ると、麦酒の樽を担いだ大男が笑っていた。
「元とか言わないでよ!!」
ぷーっと頬を膨らませて抗議すれば、悪い悪いと笑いながら謝る。
腕に抱えた酒樽は、きっとすぐに空になるだろう。
誰もが平和な世界に浮かれ、浴びるように酒を呑んでいた。
台所を後にして、薄暗い廊下を歩く。
中庭の音楽が少し遠くなった頃、ボソボソと人が話す声が聞こえてきた。
思わず、足音を忍ばせる。
「もうこれ以上呑んではいけませんよ」
廊下の隅でうずくまっている男に声をかけている少年。
酔いつぶれた兵士に薬を飲ませてやりながら、説教を垂れているようだ。
「大変だねぇ」
隣を通る際に声をかけると、少年が振り返る。
彼女の姿を確認すると、キッと眦を吊り上げた。
「あっ、バーバラさん!!あなたも呑みすぎに気を付けてくださいよ!!」
過去何度も彼の薬にお世話になっているせいか、特に酔った様子のない彼女にも厳しい言葉を投げかけてくる。
「はぁーい」
曖昧に返事をして、そそくさと階段へと逃げ出した。
「あら」
階段の踊り場で、金髪美女とすれ違った。
「もう呑まないの??」
ため息が出るような笑みを浮かべて首をかしげる。
きれいな金髪がさらりと揺れた。
「ちょっと休憩」
へらっと笑って、先ほどと同じ言葉を繰り返す。
アメジスト色の瞳を見ていられなくて、逃げるように階段を駆けあがった。
いつもとは違い口数が少ない彼女。
おや、と思い、ミレーユは階上へと消えていく小さな背中を見送った。
屋外の回廊は、夜も更けたというのにとても明るかった。
きれいな満月に、いまだ賑やかな中庭の祝宴。
世界中が、平和を喜んでいる。
ふいに、音楽が変わった。
ゆったりとした、どこかもの悲しい音色に、すぅっと夜の空気を吸い込む。
誰もいない回廊で、中庭から漏れ聞こえる音楽に合わせて踊る。
まるで今の気分をなだめるような音に、泣きそうになる。
中庭の人々は、誰も彼女に気付いていない。
音楽を奏でる宮廷音楽家や、目の前のお酒に夢中だ。
そんな中で一人、銀髪の少年だけが、彼女を見つめていた。
中庭を一望できる回廊のヘリにもたれ、なにやら頭を抱えている少年に出くわした。
ぶつぶつと、大きな声でなにかをつぶやいている。
その姿はとても怪しく声をかけるのをためらわれたが、残念なことに彼女には時間がない。
「レック、なにしてんの」
そっと肩を叩くと、びくぅっと飛び上がる。
「わっ、えっ、あっ!!あぁ、バーバラ」
あまりの驚き様に、バーバラはクスリと笑った。
「ごめんね、驚かせて。なにしてたの??」
自然に隣に並ぶと、中庭の様子が良く見えた。
大きな炎の向こうに、控えめな笑顔を浮かべる少女が見える。
あぁ、邪魔しちゃったかな……。
「どうした、もう呑まねぇの??」
取り繕うように、レックは質問する。
「みんな同じこと聞くなぁ、私ってそんなに呑むようにみえるの??」
茶化すように笑う。
目を合わすことができず、ぼんやりと眺めていた中庭に笑顔が優しいアモスの姿があった。
「いつもつぶれるまで呑んでんじゃん。量だけで見るとアモスに負けてねぇよ??」
うそぉ、やめてー!!と笑いながらも、視線は彼に向けられなかった。
中庭では大男ハッサンが、新たな酒樽をあけてジョッキに麦酒をついでいる。
一度も彼の顔を見ようとしないバーバラを、レックは不審に思っているかもしれない。
「ちょっとね、夜風にあたりたくて」
先ほどまで酔いつぶれた兵士を介抱していたチャモロが、中庭へと帰ってきた。
3人が集まって、なにやら楽しそうに話している。
「レック、探してたの」
いいなぁ、と、中庭を眺める。
ミレーユの姿は見えない。
「話したいことがあって」
ずっと、中庭を見つめたまま話す。
きっともう、笑顔も保てていない。
隣から、視線を感じる。
いつもと違う雰囲気に、息をつめているようだ。
色々な人の姿を見ておきたくて、中庭を隅から隅まで見回した。
「あのね」
話すのが怖い。
でも、もう時間だ。
覚悟を決めて、バーバラはレックに向き直った。
「どうして、俺だけ??」
私消えるの、と告げられたレックの顔は、表情を失っていた。
理解できない、といった様子の彼は、話し終わってたっぷり1分黙った後、やっとのことでつぶやいた。
「みんなに、言わなくていいの?」
その言葉に、ぐっと泣きそうになる。
涙をごまかすように、大きく首を振った。
「お別れが、辛くなるから」
ニコリと笑って顔を上げる。
しんみりとした雰囲気は、私には似合わない。
「でも、レックにだけは言っとかないと、って思って。ね、リーダー!!」
言って、ぽん、と肩を叩く。
少し震えるその手も、既に薄く透けていた。
見ないふりをして、一生懸命笑顔を作る。
「しんどい役お願いしてごめんね」
本当は、みんなに言いたかった。
どうしよう嫌だよって、泣いてすがりたかった。
でも、どうしたって実体を見つけられなかった自分は消えてしまう。
泣いてすがってしまえば、皆に悲しい思いだけを残してしまう。
せっかく、世界が平和になったのに。
「レックなら、みんなにきちんと説明してくれるって、信頼してるから」
その言葉に、唇を噛んでレックが顔を上げる。
しっかりと、バーバラの目を見つめていた。
あぁ、わかってくれた。
彼の瞳を見て、バーバラは安堵した。
これで、後のことは彼に任せられる。
みんなにお別れを言えないのは寂しいけれど、会ったらきっと泣いてしまうから。
「……あいつには……」
泣きそうになるのをなんとかこらえて笑っていたバーバラは、レックのその言葉にピクリと肩を震わせた。
つとめて考えないようにしていた銀髪が頭をよぎり、もう半分消えかけていた心臓がどきりと大きな音をたてる。
「言わねぇの??」
静かな声は、バーバラを責めているようにも聞こえる。
さっき言ったじゃない、悲しくなるからって。
そう言いたいのに、声が出ない。
頑張って貼り付けた笑顔が固まる。
最後の最後と、レックに告げる前にみんなに声をかけてきた。
とりとめのない会話だったけれども、どれも全て、ありったけの気持ちを込めていた。
だけれどもその中に、彼はいない。
意識的に、避けていた。
ふるふると、唇が震える。
「……うん……」
同じように、声も震えていた。
がくがくと震える足は、もう見えない。
「……あ、っちゃったら」
涙が混じる声を、なんとか振り絞る。
「消える、の、が、嫌になるじゃん……??」
言って、にっこりと笑う。
彼に会ってしまったら、せっかく決めた覚悟が崩れてしまいそうだから。
離れたくないって、思っちゃうから。
しっかりと、笑って見せる。
笑って別れると、決めたのだから。
「しんどいことお願いしてごめんね。頼りにしてるよ、リーダー」
カツン、と靴音が聞こえたのはその直後。
振り返ったのは、反射なのかそれとも彼とわかっていたからなのか。
避けながらも、会いたい、会えたらと期待していた銀髪。
そのアメジスト色の瞳をみて、既に消えて見えない心臓がはねる。
それは嬉しさからなのか切なさからなのか。
もう、わからなかった。
それはとても衝撃的なことだった。
でも、きちんと順を追って考えれば至極当然の結果だった。
そうか、消えたのか……。
そう、冷静に思えたのは、たぶん彼を見たからだ。
レックは彼女に声をかけてあげることさえできなかった。
なんで、とも、大丈夫だ、とも言えなかった。
突然だった。
そう思えるほどに、彼女は消える直前までいつもと変わらなかった。
消えかける彼女を前に浮かんだのは、今目の前で立ち尽くしている少年のこと。
いつも喧嘩していて、でもいつもそばにいた彼のこと。
なんで俺に??
彼には何も言わないでいいの??
そんな疑問も、バーバラが消える間際に駆け付けた彼をみて消えてしまった。
プライドの高い彼は、どんな時でも表情を変えることがなかった。
無表情か、怒るか、皮肉気に笑うか。
彼の顔は、それ以外の表情を作ることはないと思っていた。
そんな彼が、消える直前のバーバラを見て浮かべた表情は、彼女が消える、という事実と同じくらいに衝撃的だった。
そうか、彼女は最後にこれを見たくなかったのだ。
彼は呆然と立ち尽くしていた。
泣きそうな、顔をして。
Fin.
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