ウーノ
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神さまというものは、実在するんだろうかと考えることがよくあった。
答えは分かっていた。
神さまは実在なんてしない。けれど存在はしているものだと思った。
神さまというものは人の意識の中にいるもので、人によってそれぞれの姿かたちがある。自分のなかにいる神さまを信仰し、そうして拠り所にする。
その考えにいきついたのは、なまえが十一歳になった日のことだった。
なまえにとって、初めて自分の中に神という存在が生まれた瞬間だった。
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その日、イタリアという国の南部になまえはいた。
北部もまわって見てみたが、このネアポリスという街は北よりも随分治安が悪いらしい。一歩路地へ入れば、視線がどこかおぼろげな人がたくさん座り込んでいた。
北部でもこういった人たちを少なからず見たことはあった。年齢もまばらであるし、時には随分と若いほとんど子供のような人もいたのもあってか、意識が混濁しているとか瞳が虚だとかいうものの他に共通点が見出せず、こういった人たちが何なのか分からずじまいだった。
しかし、分からずとも特に害があるわけでもなかった。
目の前を通っても、なまえがいることを認識しているのかいないのか分からないほど、かれらはかれらの世界を生きているようだった。
どこかを見つめながら、時折唸るような声を小さく上げているだけの人。何かに夢中の人。喧嘩をしている人だっていたが、みんななまえにはさほど興味もないようで、いつも何事もなくかれらの前を通り過ぎていた。
だがこの日はいつもと違ったのだ。
なまえはたいてい、表通りよりも裏通りを好み、街を移動するときはほとんどそちらを歩いていた。
今日も同じように座り込んでいる人たちの横を通り過ぎようとしたとき、突然うしろから肩を掴まれ、あっという間に壁に押し付けられた。
目の前には少し錆がかっているナイフが突きつけられていた。
「おれの薬盗んだろ!? 返せ、返せえ!」
「っ!?」
まぶたが落ち窪み、頬もげっそりとしている男は、まるで自分が言っていることが本当だと言わんばかりの形相でなまえへ詰め寄った。
薬とはなんなのか、どうして盗られたと思うのか。分からないなまえの頭の中は【困惑】でいっぱいになった。思うように男を払い退けられないまま、目の前の錆びたナイフがどの瞬間で振り下ろされるかと冷や汗を流すことしかできなかった。
男は絶えず何かを呟いていて、ナイフを持つ手はぶるぶると音が聞こえそうなほど震えていた。
刃先がなまえの鼻先を掠めるほど近づいて、錆の匂いが鼻腔に広がったとき、目の前の男が消えた。
突然、突風が吹いたようになまえの前髪が激しくなびいて目をつむった。すぐにまたゆっくりと瞼を押し上げて風の行き先へ視線を向けると、消えた男が地面に倒れていた。
「シニョリーナ、怪我はないか」
「え、あ……スィ、グラッツェ」
少し上から降ってきた声に、咄嗟に返事をして振り向いた。
黒い髪のボブヘアと、小さな黒い模様がたくさん入った白地のスーツが印象的な男だった。
イタリア語は基本的な挨拶程度しか分からないが、見よう見まねで言った言葉はどうやら伝わってくれたようだ。「なら良いんだ」と男が安心したように言ったのを聞いて、なまえもホッと息を吐いた。
しかし、彼の口から次に出たのはお説教のようなものだった。
「きみ、見たところ観光客だろう。世間知らずなのかなんなのかは知らねえが、命が惜しけりゃこんな路地を一人でうろうろするんじゃあない。おれがたまたま通りかがったから良かったが、あのままだと刺されて死んでたかもしれねえんだぜ。観光は【まともな人間の】多いところへ行くんだな」
「……スィ」
「路地の出口はあっちだ。そこでのびてる男の後始末はおれがしておく」
流れるようにお説教をくらい、男に背中を押されたなまえは言われるがまま路地の出口へ向かった。
一度後ろを振り返れば、なまえを襲った男はナイフを取り上げられていた。その際、鈍い音が数回にわたって響いていた。なまえを襲った男が殴り飛ばされた音であるのは確かだったが、なまえはそれを聞かなかったことにした。
そんなことがあってから一週間ほど経ったとき、なまえはネアポリス駅を訪れていた。
目的は【探しもの】をすることと、もし【探しもの】が見つからなかった場合は列車に乗り、またイタリア北部へ行くためだった。
イタリアでの滞在日数が早くも半月ほど経っているなか、なまえはもともといた北部から南へ下りながらずっと探しているものがあったが、一向に見つかっていなかったし、見つかる気配すらなかった。
今度こそとやって来たネアポリス駅は割と大きな駅だった。ここなら【移動が行える場所】もあるかもしれないと思ったなまえは、細工したマントを頭から被り、駅の構内を彷徨いつつ、時折り壁なんかに手をつきながら列車の停まっているホームまできた。
いろんな壁や、柱にいたるまでを触ってみるのものの、なまえの考えている【探しもの】は見つからない。同時に【痕跡】も探してはみるものの、気配は現れなかった。
なまえはがっくりと肩を落とし、諦めてホームに停車している【フィレンツェ行きの列車】に乗り込もうと考えた。
そんなときだった。見覚えのある姿を見つけたのは。
一週間ほど前に、路地で刺されそうになまえを助けてくれた男が列車のかたわらでなにやらしゃがみ込んでいた。
なまえは一度、周りから死角になっている場所へ入り細工してあるマントを脱いだ。それから例の男の方へ少々足を早めて歩み寄って行くと、チラリと向けられた視線がかち合った。発車のベルが駅構内に響き渡った。
「あ、わたしも乗ります!」
視線が合ったものの、男はホームの水飲み場から何かを持ち上げ、発車ベルのなった列車に乗り込んだ。慌ててなまえも男の背中を追いかけるように乗り込んだのだが、一歩、列車の中へ足を踏み入れた瞬間、視界がぐるりと回った感覚に襲われた。
驚きの声を上げることすら間に合わないくらいに一瞬のことで、気づいたときにはどこか小さな部屋のような場所になまえはいた。
上から下へ、体を落とされたようだった。「いたた……」と打ちつけた肩をさすりながら衝撃の末に閉じていた目を開けると、目の前には面食らい固まっている数人の人たちがなまえを見ていた。
「……な、なんだあテメー! 敵か!?」
「ていうか! ここはなんなんだよ!?」
一番はじめに我に返ったようすだったのはヘアバンドを巻いている男で、なまえに向かって思い切り指を差した。しかしそれは、額に矢印のある帽子を被った男が声を上げたことですぐに逸らされたのだが、次の瞬間にはなまえの体に植物のツタが巻きついた。反射的に体をよじるが、両手と両足に器用に巻きついたツタは弛むことはなく、なまえはわけも分からないまま身うごきが取れなくなってしまった。
【この場所】が一体なんなのか、簡潔に考察を述べたのはなまえがこの中で唯一知っているボブヘアの男だった。
「どういう仕組みになっているのか分からんが、【あの鍵】が亀の甲羅にはさまると亀はなぜか能力を発現させて……その【鍵】が出入口となってこの空間を作りだし中に隠れられるらしい!」
なまえには彼の言っていることがさっぱりだったが、他のみんなは一様に納得しているようだった。
【鍵】だとか【スタンド】だとか【能力】だとか、それは一体なんなのだろう。どきどきと止むことを知らない心臓の音が頭に響くなかで考えていると、ボブヘアの男がなまえに近寄った。
「きみは、たしか少し前にネアポリスの路地で会ったと思うんだが——なぜ駅にいた? おれを追ってきたように見えた。なぜだ」
「……」
「……いいか。今この瞬間は喋るときなんだぜ。きみがおれたちの敵じゃあないと確信が待てなけりゃあその拘束を解くことはできないし、最悪きみを始末することになる」
「……う、イタリア語、喋る、分からない、多い……英語、または日本語、分かる?」
イタリア語は、聞き取りは完璧だったが、自分が喋るとなるとほとんど分からなかった。ということは、なまえは男の言うように始末という末路を辿ることになる。それは嫌だった。
この地へ来て半月ほどで覚えた単語を並べると、ボブヘアの男は眉をしかめ、それから後方へ控えていた特徴的な服の男を呼んだ。何がどうなっているのか、男の服は全身に満遍なく穴が開いていた。
「フーゴ、英語か日本語が分かるか?」
「……ええまあ、英語なら分かりますが……ブチャラティ、こいつはなんなんです?」
「それを聞き出してくれ。たぶん、イタリア語を話せないのは本当だろう。嘘をついているようには見えないし、以前会った時も発音がガキみてえだったからな。おれよりお前の方が英語の理解度が高い。頼む」
「分かりました」
少しのやりとりをして、穴だらけの服の——たぶん、フーゴという名前——男がなまえの前へ膝をついた。
半分日本人の血をひくなまえとも、生まれ育ったイギリスの人間とも違う雰囲気の顔がなまえを見て、流暢な英語を口にした。
「きみ、名前は」
「……なまえといいます。なまえ・みょうじ」
「アジア人か? 観光客? なぜ彼を追ってきた?」
フーゴは自身の一歩後ろに下がったボブヘアの男をチラリと見やり、またなまえを見て言った。
「あの人を追いかけるために来たんじゃありません。イタリアへは観光で来てたんです。それで、ちょうど北へ向かう列車に乗ろうとして、そしたら見覚えのある人……あの人がいたから、声をかけようと思ったんです。前に助けて貰ったから。それで、気付いたら、ここにいて……引っ張られて落っこちた、みたいな……ここはなんなんですか?」
「……おい、ぼくが質問してるんだ。ここがなんだろうと今はどうでもいい。きみは、ぼくたちを狙って追ってきたわけじゃあないんだな?」
「う……は、はいっ。ごめんなさいっ。えっと、あなたたちを狙って、だとか、そんなことなくて、わたしはただ、イタリアの観光は終わりにして、北からイタリアを出るから、北部へ向かう列車に乗ろうとしただけ……です」
威圧感みたいなものを含めた物言いで詰め寄るフーゴに、なまえはほとんど正直に答えた。正確に言えばなまえは観光客ではないのだが、そう言っていたほうがいいだろうと便乗しておいた。
それから【探しもの】については黙っておくことにした。言わなければ分からないし、言うのは憚られたからだった。
ただイタリアを出るために列車に乗る。それだけが目的で駅にいたのであって、ボブヘアの男を見つけたのはたまたまだったと。それ以外には何もないと弁明に近いかたちで言えば、フーゴは一応は納得したように後方を振り返った。ボブヘアの男や、ほかの人たちになまえのことを説明しているみたいだった。
しかし、ふと「荷物は無いのですか」とこぼした人がいた。金色の、前髪のカールが目を引く綺麗な男だった。そしてなぜか、とても親近感の湧く雰囲気があって、なまえは思わず彼をジッと見つめた。
しかし、彼が言った【荷物】という言葉を思い返して、一瞬の間を置いてからハッとした。
なまえはかれらに、自分は【観光にきて、北からイタリアを出るために北部行きの列車に乗った】と言った。
観光客なのだ。普通なら大きな荷物くらいあってもいいのではないか。しかし、なまえはほとんど手ぶらに近く、荷物という荷物は肩から下げた手のひら二つぶんほどの小さなバッグだけだった。
なまえにとっては、この小さなバッグだけでこと足りていた。荷物がとても少ないというわけではなく、お金や着替えといった必要なものからガラクタまで、全てを【このバッグに入れてしまえる】からだった。
イタリアに来る前も、来てからもなまえはいつもこの小さなバッグひとつで行動していた。これはなまえにとって【普通】であっても、かれらにとってはそうじゃない。
やってしまったと思った。
「確かに、ジョルノの言うとおりだ——おい、荷物はどうした? まさかそんな小さい鞄だけで観光に来て帰るだとか言うんじゃあないだろうな。ブチャラティの話だと少し前からイタリアにいたんだろ、お前。その分荷物だって多い筈なんじゃあないのか」
「え、あ、に、荷物……荷物は、えっと、さ、先に送ってて! 重いから、次の目的地に先に送ってあります!」
咄嗟に思いついた嘘を言うと、フーゴを含めその場にいた全員が呆れたような顔になった。
みんな一様に「たった今思いついたみたいな嘘を言うな」と顔に書いてあるようだった。
なまえは窮地に追い込まれたとき、咄嗟の嘘をつくのがとても苦手だった。
このまま、かれらの納得のいく答えを出せないでいると、自分はどうなるのだろうと不安になる。
きっとかれらは、なまえの言ったひとつの嘘がきっかけで、これまで話したこと全てが嘘かもしれないと思うだろう。なまえに対して【追ってきたか】と聞いたかれらは、察するに何かに追われていて、逃げている身なのだ。そうなれば、あらゆる事がらを疑い、用心深く、怪しいものにはとても敏感になっているのだろう。今のなまえはまさに、かれらの【疑い】の渦中に入り込んでしまったようだった。
ボブヘアの男が言っていた【始末】という恐ろしい言葉が頭に浮かんだ。
しかし、結果的にかれらはなまえを問い詰めるのをやめた。
この場にいる、なまえを除いた全部で七人の人間のうち唯一である女性が「どう見たってただのアジア人じゃあないの。やめておけば」と座り心地の良さそうなソファに腰かけ、こちらを一瞥もせずに言ったからだった。