「おっ、なまえさん。ウィッス」

 大学の帰り道、前方から見知った顔が片手を上げて歩いてきた。
 彼の名前は虹村億泰。なまえの住むアパートの近くに、父と二人で暮らしている高校生だった。

 なまえは、この虹村億泰が苦手だった。というか、陽気でキラキラした人や快活な人が苦手だった。勿論だが、不良のような見た目の人も苦手だった。
 だから億泰の事も、億泰といつも一緒にいるしっかりと形作られたリーゼントの高校生の事も苦手だった。
 名前も知らないその彼は、今日も億泰と一緒にいる。
 
 なまえは億泰から投げられた挨拶に、無愛想に会釈だけして視線を逸らす。しかし億泰はそんななまえの無愛想さも気にせず彼女へ近づいていった。
 目の前まで億泰が来たところで、なまえはようやく小さな声を出した。「こんにちは、億泰くん」とだけ言ってから彼の横をすり抜けようとする。しかし丁度なまえが進もうとしたところへ、億泰から少し遅れて来たリーゼントの彼が立ちはだかる。あわやぶつかりそうになってしまった。
 実際のところ"立ちはだかる"という感じではなく、ただ単に先に行ってしまった億泰をゆったり追いかけて来ただけだったのだが、なまえにしてみれば自分よりも、億泰よりも背の高い不良の見た目をした人間が自分の前に現れれば、立ちはだかったと思ってしまう。そう考えてしまうのがなまえだった。

「っ、すみ、すみません」

 衝突は免れたものの、なまえは咄嗟に謝った。
 目線は下を向いていて、億泰と、それからリーゼントの彼のものと二人分のスラックスズボンだけが見える。「いや、なんで謝るんスか」と、億泰のものとは違う声が頭上から降ってきて、なまえは思わず上を向いた。
 ブルーの目が見下ろしていた。

「えあ、えっと……すみません……さ、さよなら」
「え、ちょっ」

 なまえは咄嗟に踵を返し、そそくさとその場を離れた。
 苦手だと思う人が自分を見下ろしている。それもこんなに近くで。そう思うと途端に逃げ出したくなったからだった。
 背中に億泰のものだろう「なまえさん、さよならっス」という呑気な声を浴びながら、振り返りもせずに帰宅路を行く。早足で歩く中で考えたのは、億泰の事も苦手だが、リーゼントの彼の方が何倍も苦手かもしれないという、そんな事だった。

 億泰とばったり会った時、必ずと言って良いほどリーゼントの彼は一緒にいた。
 しかし今日ほど近くで彼を見た事はなく、瞳があんなに青い事も、声だって聞いたのは今日が初めてだった。
 瞳が綺麗だったとなまえは思った。億泰ともなまえ自身とも違う、日本人にしては珍しい深い海の様な色。
 だがなまえの感想はたったそれだけだった。
 本当のところはどうなのか知らないが、瞳が青いところから彼はハーフか何かなのではという程、顔立ちも整ってはいるものの、かっこいいからと胸の高鳴りを覚えたりする事もなかった。
 なまえはそういう、顔が整っている人達の事も苦手だった。

「なるべく……会わないように気をつけよ……」

 帰り道、道中ぽつんと出た呟きは目線と同じ方向にある地面へ吸い込まれていった。