波打ち際




「ねえ、幸村くん!こっちきて」
「今行くよ、待って」


目に入れても痛くない程に愛おしくてたまらない彼女が、水から逃げる様にスカートの裾を小さく上げて振り返り、幸村に笑顔を浮かべる。幸村は、車から降りたばかりだと言わんばかりに鍵をしっかりとしまって、波打ち際へと駆け付ける。逢山はスカートが若干と塩水に塗れるのを感じながら、幸村を見つめて待っていた。



「この時間じゃ誰も居ないね」
「深夜2時だからね。もう、君は困った彼女だよ」
「ふふ、わがまま聞いてくれてありがとう。だいすき」



幸村の片手を取って、頬にそっと擦り寄せる。まるで、愛猫の様な愛おしさを瞳いっぱいに映せば今までの気持ちなど地平線の向こうへと吹き飛んでしまった。されるがままと頬に触れた手をそのまま撫でてやると、ふっと顔が離れてしまった。名残惜しくも逢山を見つめると、こっちおいでと手招きで幸村を誘う。月明かりの疎らな虹彩が逢山の後ろ髪のみをスポットライト宜しく照らし出せば、優しい光の中で笑む姿形が儚げで、小さい女の子のようにも見える。



「危ないよ、ゆら」
「平気だよ。何かあったら…幸村くん、たすけてくれるでしょ?」
「当たり前だろ、もう」



悪い子だなあ、と動かそうとした口は音にもならず、咥内から温かい息を吐き出すだけの代物となった。逢山は燻る綺麗な淡い栗色の毛を耳にそっと掛ける。いつしかの時に幸村がプレゼントで押し付けた真珠の小さなピアスが彼女の薄い耳朶できらり、と光に当たってただの白がまるで虹色の様に一瞬の瞬きと目に映る。白のワンピースが相まって、女神のようにも思えた。儚く、僅か刹那の時の様な流れに感じて幸村はそっと逢山の華奢で平坦な手首を比較的柔な力で握る。


「ねえゆら、あんまり、俺から離れないでよ」
「離れないよ?そばに居るから」
「君がどこかに逃げてしまいそうで怖いよ」


正直に気持ちを吐露する。性格には無意識下で唇が開いて、また声帯がそれに応えるように音を発してしまった、ハッとした顔で幸村が目の前の逢山を見つめる。幸村にとつてはこの時間が何分間、何時間にも罹った気がして、足元を救われるとはというに気分を存分、胸いっぱい抱きとじめた。