幽けき君には夕焼けが似合う
(あ……朝緋サンだ)
技術開発局の研究室前。長い廊下の先に、局員と和やかに話をしている彼女を見つけた。人当たりの良い愛想笑いを浮かべながら、相手の目を真っ直ぐ見て話をしている彼女は、最近入ったばかりの新人局員には見えないくらい周囲に溶け込んでいた。
彼女は実験や研究に関わる事なく、僕たちの手が回らない片付けや掃除、備品管理などの雑務を率先してこなしてくれている。まさに縁の下の力持ちだ。彼女が来る前と比べたら、雑務が不要になった分、より研究に集中出来るようになったことは、局員たちならば皆分かっているだろう。
今日も変わらず、技局の中をあちこち駆け回り仕事をしてくれている彼女に、労いの言葉をかけてあげなくては。そんな事を自然と考えるようになった自分に驚きながらも、やはり、どこか『隊長らしく振る舞わなくては』と思う自分がいることに口元が歪な弧を描く。
そんな顔を誤魔化すように。局員との話を終えたらしい彼女がこの場を立ち去る前にと、声をかけるべく口を開いた時だった。
「あれ、浦原隊長?お疲れ様です」
「――お疲れっス、朝緋サン」
――声をかけようとしていたのは僕だったのに。先に振り返ったのは彼女の方だった。
気配に気がついたらしい彼女は、僕が声をかけるよりも早く、ぱっとこちらを振り向いて柔らかく微笑んでいて。陽射しに照らされた彼女の髪は光を反射してきらきらと輝き、低い位置で結われた髪紐が、振り向きと共にひらりと揺れる。
声も、微笑みも、仕草も。その様子はいつもとなんら変わらない。僕と同じ白衣を着ている彼女は、確かに同じ局員のはずなのに。
――どうしてだろう。何故だかこの時ばかりは、彼女の微笑みがやけに儚いものに見えてしまって。例えるなら、そう。まるで、最初からここには存在していなかったもののような、幻のような微笑み。
ただの勘違いだ。見間違えただけだろう、と。分かっているはずなのに、根拠の無い焦燥は自分の思いと反してじわじわと広がっていく。……しかし、それ故に。そんな焦りを抱かせるのが彼女であるのならば、その焦りを吹き飛ばしてしまうのもまた、彼女なのだ。
「朝緋サンは、」
「……はい?」
「……朝緋サンは、幻とか摩訶不思議なもの、信じてますか?」
こんなことを聞いたって、胸に巣食う違和感がなくなるとは思えなかった。これが無意味な行いだと分かっている。けれど、それでも――聞かずにはいられなかった。
「……それはあれですか。私に科学者の矜恃でも説こうとしてるんですか」
「はい?」
「え、いや……だって、科学者は非現実的な事は信じてないでしょう?でも私は信じてますもん。流れ星に願い事を唱えたら叶うとか、四葉のクローバーを見つけたら幸運が訪れるとか」
「………」
「幻想とか、摩訶不思議な事であっても。人が想像できることは、人が必ず実現できるんじゃないですかねぇ」
――彼女らしい、芯のあるまっすぐな眼をこちらに向け、朝緋サンは悪戯っぽく笑っていた。その姿にはもう、先程までの儚さはどこにもなくて。普段通りの強かさと慎ましさを持つ彼女がそこにいた。
たったそれだけの事で、胸のざわめきはすっと収まり静けさを取り戻す。やはり、さっきのは、ただの気のせいだったんだろう。
翡葉朝緋という少女は、たしかに僕の目の前にいて、笑ってくれているのだから。
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