あなたの一番で居たい
店長×人間(not恋人/空座決戦直後)
町のシンボルでもある空座本町駅。日頃から多くの人が行き交うこの場所は、冬が来ると更に賑やかになる。毎年日の入りが早まった頃に現れるそれは、一夜にして駅周辺を煌びやかに仕立て上げる。魔法使いの仕業だと言われれば、子供たちならきっと、そう信じるだろう。
青や白、オレンジ。――そして、赤と緑。たとえそれぞれが無機質なLEDライトだと理解していても、私たちにはそれを風物詩として親しむ文化がある。ロータリーの中心に聳え立つライトアップされたクリスマスツリーが、この寒空の下、空座町へ帰ってくる人々を出迎えていた。
十二月二十五日。ただの平日と呼ぶには忍びない今日、いつも通りに仕事を終えた私は空座本町駅から自宅に向かって歩いていた。若者たちがイルミネーションを楽しむために押し寄せている中、その波に逆らうように帰路に着く。どこからか流れてくるクリスマスソングも、すれ違う恋人たちの幸せそうな話し声も。目に映る煌びやかなLEDライトも、サンタの帽子を被った喫茶店の店員も。何もかもから耳を塞ぎ、目を逸らしたい衝動に駆られながら無心で歩みを進めた。
「朝緋サン。いつもすみません」
「……それじゃあ、また」
頭の中で蘇る“あの人”は、いつも謝ってばかりいた。それが何に対する謝罪なのか、私はいつもよく分からなかった。でもきっと、分かりたくなかっただけなんだ。謝罪の意味を理解してしまったら、前に進めなくなってしまうから。別れ際に彼の口から出る「また」という言葉が、再会を約束するものじゃないと気がついていたから。
――今日こそは。いや、きっとまたダメだ。そうして何度も期待しては、傷付かないよう諦める日々。それを繰り返してもう二ヶ月以上が過ぎただろうか。彼からの連絡は、一切ない。
適当で、どうでもいいことが八割のメッセージ。やりとりだって長くはない。お互い二、三度返信を送ったら終わる会話。……それでも、こんなに途切れたことは無かった。最後に来たメッセージは、約二ヶ月前の台風の日。大雨と暴風で電車が止まり、帰宅難民が大量発生した日だ。電車通勤をしている私を気にかけてくれる彼からの、「ちゃんと家まで帰れました?」という一言。出社はせず自宅で仕事をしていたことを伝えれば「停電するかもしれないから、データのバックアップはこまめにしといた方がいいですよ」と返事が来て、「はーい」と私が返したところで既読がついて止まっている。これが最後の会話だ。それ以降、彼からのメッセージも電話も、何も来ていない。
「いらっしゃいませ!ご注文お決まりでしたらお伺いします!」
「……えっと……このショートケーキ1つ下さい」
閉店三十分前のケーキ屋さん。世間様がこんなに浮き足立っている中、労働をこなしてきた自分へのご褒美としてショートケーキを買った。本当なら、隣の鳴木市にあるお気に入りのケーキ屋さんの限定クリスマスケーキを買うはずだったのに。急な残業で事前の整理券配布に間に合わなくて、ものすごく落ち込んだのをよく覚えている。また来年食べればいいじゃないっスか、なんて呑気に言う彼に「今年のクリスマスは今年しかないでしょ」なんて拗ねたように言い返した気がする。思えば、その会話をした時が最後に会った日だったかもしれない。……ねえ、浦原さん。もう、あの日から季節がひとつ変わっちゃったよ。
なんの飾り気もないショートケーキ。それなのに、箱にはサンタやツリーのイラストが印刷されていて、“メリークリスマス”とロゴまでついている。箱詰めしてくれたケーキを受け取り、店員さんのニコニコとした笑顔に愛想笑いを返して足早に店を出た。――分かっていたのに。一人分のケーキを買う私が惨めで仕方なくて、俯いて足元ばかり見ながら帰路を急いだ。
手を繋ぎ、体温を分け合い、心を通わせる恋人たち。二人で同じ方を向いて、同じ景色を見て。「綺麗だね」「でも寒いよ」「また来年も来ようね」と、そんな話し声が何度も何度も耳に入ってくる。きっとあの人だって、私が誘えば一緒にイルミネーションくらい見に行ってくれたかもしれない。だけど、彼がそんなものに興味を持たない人だと分かっていた。いつだって、世の中の出来事が自分には関係ないと――瞳の奥に孤独が揺らいでいるのに気が付いていたから。踏み込んではいけないと自分に言い聞かせ、都合のいい女を演じてきたのは私だ。
――だから。いつの間にか私たちは“ただの店長と客”とは呼べなくなっていたのに。決して恋と名のつく甘い関係ではない、宙ぶらりんな関係のまま。
(……もう、終わりにしよう)
スマホを取り出して、画面を点灯させる。時刻は二十時を過ぎた頃。連絡を知らせるような通知は、やっぱり何もない。それを確認するのにも、もう……慣れてしまった。
十二月二十五日。私にとって、この日が生涯忘れられない大失恋記念日になった。最悪だ。私はこれから先、クリスマスを迎える度に彼のことを思い出しては、苦い思いをしなくてはいけない。まったく、なんて罪深い男なんだろう――と。そう思えてしまったら楽なのに。……彼が大好きな私は、彼を悪者にしてまでこの気持ちを断ち切ることは出来そうにない。
――そう、好きだった。大好きだったんだ。私をからかって楽しそうにしている姿も、たまに見せる柔らかい笑みも。何を考えてるか分からなくても、彼の一挙一動にはすべて隠された意味があり、それのほとんどが優しさだと知っていた。たまに言うタチの悪い冗談には、何度怒ったか分からない。それでも私は、自分のことを一切語らないあの男が大好きだった。……好きになってはいけない相手に、私は恋をしてしまった。
プレゼントが並ぶショーウィンドウには、肩を丸めて歩く独りぼっちの私が映っている。連絡先を消そうとした指先は、かじかんでうまく動かなかった。冷えた鼻先をマフラーに埋めて、駅前の喧騒から遠ざかるように歩き出す。……涙なんて少しも出てきやしない。代わりに心残りを吐き出すような特大のため息をつけば、白く霞んだ吐息だけが瞬く間に夜闇へ溶けていった。
「……そんな大きなため息ついたら、幸せが逃げていきますよ」
――いつもなら。その声が聞こえた瞬間、安堵に包まれ幸せで満たされていくはずなのに。
「……なんで」
「お仕事お疲れ様です。寒かったで――」
「もう遅いよ」
俯いたままでも分かる。視界の端に映る素足と下駄。こんな真冬にそんな格好をする変人で、私に声をかけてくる男の心当たりなど、一人しかいない。
私が最も会いたくて焦がれていた、たった今“過去”にしたばかりの男が――今、私の目の前にいる。
「ていうか、あなたに寒さどうこう心配されたくない。その格好で何言ってんの。寒そうなのはそっちじゃん」
「アタシはいいんスよ。慣れてるんで」
「じゃあ私も慣れてるから平気です。……そこどいてよ、帰るんだから」
天邪鬼な私は、口では邪険にしていても……俯いた顔は上げられないまま。彼の顔なんてとても見れやしない。だからそのまま、一向に立ち退く気配のない男の横を黙って通り過ぎようと試みる。胸に痞えるものを堪えて一歩踏み出してしまえば、二歩目も三歩目も案外すんなり足は動いた。
――それなのに。私の精一杯の強がりは、いとも簡単に無に帰した。
「……っ、」
「……」
通り過ぎようとしたその瞬間。勢いよく腕を掴まれ、私の体はあっという間に彼の両腕に閉じ込められてしまった。背中と後頭部に回された手はとても力強くて、この人も男なんだなぁなんて妙な関心を抱く。私の肩にはずっしりと重い彼の頭が乗っていて、抱き合うと言うよりは、私の体が彼によってすっぽりと包まれているようだった。
「……はな、して」
「……」
「……離して」
「……」
「……無視しないでよ」
「すいません」
「……」
「……すいません」
そうして、彼はまた謝罪を口にする。……一体、何に対して謝っているの。抱き締めたまま離してくれないこと? それとも、今まで連絡しなかったこと? ――いいや、きっと違う。
「……どうして」
「……」
「許して貰えないって分かってるのに、謝るのはただの自己満足だよ」
「……すいません」
「ふぅん。否定しないってことは、私が許さない前提になってるんだ。……そっちの方が失礼なんですけど」
「……すいません」
「……もういいんだって。許すとか許さないとか……そもそも、そんな関係じゃないでしょ」
「……」
「……もう、遅いんだってば」
私がそう言えば、彼は腕を解いて距離を空けた。そして、消え入りそうな小さな声で私の名前を呼ぶ。――ああ、ダメだとわかっているのに。私は俯いていた顔を上げて、ついに彼の顔を見てしまった。
……久しぶりに見る、浦原さんの顔。たったそれだけでこんなに愛おしく思ってしまうのに、この想いにどうやって蓋をすればいいんだろう。
「目の下、隈ヒドいよ。寝てないの?」
「こんな真っ暗なのに分かるんスか?」
「久しぶりに見るから変化に敏感なんだよ」
「……アナタの方こそ。随分細くなってるじゃないっスか。このまま、思い切り抱きしめたら折れちゃうんじゃないかと思いましたよ」
「贔屓にしてた商店が最近開いてなくて。冷蔵庫がずっと空っぽなんだよね」
「……」
「……いつから営業再開するの?」
「もう、最近はちゃんと開けてますよ」
「そう。……なら、また今度いくね」
嘘だ。本当はもう、あの店に行くつもりなんてない。彼との会話だって、これを最後にするつもりなのに。――そう改めて自覚した途端、急にもの寂しさに襲われる。いたたまれなくなって、視線が下へ下へと落ちていった。……そこでふと、彼が片手に携えていたあるものが目に入る。
「……ねえ、それ。もしかしてクリスマスケーキ?」
「はい」
じっと彼の持つケーキの箱を見る。……間違いであってほしかった。でも、その箱に印刷されているロゴは間違いなく――私のお気に入りの、鳴木市のケーキ屋さんだ。それも、その箱は……私が買いたくて買えなかった、限定クリスマスケーキのやつ。
「……っ、馬鹿じゃないの、」
「……」
「そんなもので……っ、私の機嫌が直せると思ってるところが嫌い! ――大っ嫌い!」
「……っ」
二ヶ月以上も音沙汰がなく、店まで閉めて関わりを絶っていた男が。わざわざクリスマスを選んで会いに来ただけではなく、私が食べたかったケーキまで用意して来るなんて。それが――この二ヶ月間“私のことを忘れていたわけじゃない”と言っているみたいで。悔しくて悔しくて堪らなかった。もう、今更何をしたって遅いのに。私はもう、あなたを思い出にするって決めたのに。……どうしてそれを許してくれないの。
「……参ったな。そう言われる覚悟で会いに来たんスけど――」
「アナタにそんな顔をさせるつもりはなかった、」と。彼の暖かい手が、冷え切った私の頬を優しく包み込んだ。切なそうに目を細め、私の目尻に溜まった涙をそっと親指で拭う。その手つきがあまりにも優しくて、暖かくて――たったそれだけで、文句のひとつも言えなくなってしまう。……久しぶりに感じる彼の温度を前にして、私はあまりにも無力だった。
「……遅くなってすいません」
「……」
「……一人にして、ごめん」
灰緑の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。頬へ添えられた手はゆっくりと背中に回され、再び彼の両腕に閉じ込められる。
「逢いたかった」
「――っ、」
今度は本当に骨が折れてしまいそうなくらい、力強く抱き竦められる。身動きひとつ取れなくて、ぼたぼたと溢れる涙が彼の作務衣にどんどんシミを作っていく。
――肝心なことは何も話してくれないのに。連絡がなかった理由も、急に会いに来た理由も。愛の言葉も、何ひとつとして言ってはくれない。それなのに。
彼の瞳が、震える声が、抱きしめる腕が。全てが“あなたを離すつもりはない”と言っているみたいで。「嫌い」と言われる覚悟で会いに来たくせに、終わらせるつもりが一切ないところがずるくて、ずるくて。
……一番にはしてくれないくせに。終わりにはさせてくれない彼のずるさに、私はこの先も幾度となく絆されてしまうんだろう。でも、そうと分かっていて囚われることを選ぶ私も――きっと、ずるいのかもしれない。
喉まで出かかった二文字を飲み込んで。私はまた、聞き分けの良い女のフリをする。泣いていたのは私の方だったのに。腕を解かれ、見上げた彼の顔は酷く苦しそうだった。「なんて顔してんの、もう」と。たとえ泣いていても、私は彼に笑って欲しくて笑顔を作ることが出来てしまう。自然と指を絡められ繋がれた手に、理由を聞かずに隣を歩けてしまう――聞き分けのいい女。それが私で、そんな私を捕まえないくせに手放さないのが、この男。
……ねえ、サンタさん。私とこの人の間に、愛はあるんでしょうか。もし、愛がないのなら。あなたに届けてもらうことは出来るでしょうか。この世界のあちこちを飛び回り、たくさんの人たちを笑顔にしてきたあなたなら。私の恋も叶えられるでしょうか。
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