今日のお天気は良好だと朝天気予報で言っていた。この間お小遣いももらったばかりだし財布の中も潤っている。大好きなバンドは新曲を出したばかりだし、駅前には先月オープンしたおいしいと評判のケーキ屋さんがある。休みの日に一人でお買い物、というのは少し寂しい気もしたけれど友人との都合が合わなかったのだから仕方ない。今日は一人でのんびりゆっくり駅前散策するぞ、と駅前まで来たのだ。今日はちょうど駅前で家族向けのイベントが行われていて、いつもよりも親子連れの姿が多かった。走り回る子供も、元気に笑う子供も、それをほほえましそうに見つめるお父さんやお母さんの姿も、幸せそうでよかった。今日は駅前がにぎやかだなあ、いいことだなあ、なんて思いながらぼんやりと歩いていたところ、弱い衝撃。驚いて目線を下げると、そこには小さな男の子がいた。子供もいるところでぼんやりと歩いてはいけなかった、と反省しながら、慌てて目の前の男の子に話しかける。
「ご、ごめんね、大丈夫?私、ぼんやりして歩いてたから…きみ、けがはない?痛いところない?」
私よりずっと小さい男の子は何も言わず、私のほうをじっと見上げている。くるりとした大きな瞳と少しくせのあるふわふわとした髪の毛。可愛い子だ。見たところ、けがはしていないみたいだ。よかった、とほっとした次の瞬間、男の子の目がうるりとしだした。やっぱりどこかけがをさせてしまっただろうか、と男の子と目線を合わせようと慌ててしゃがみこんだその時、男の子が小さな声で「ママ…いなくなっちゃった」とつぶやいた。
「え?…ママ、いなくなっちゃったの?」
男の子の言葉を私がそっくりそのまま繰り返すと、男の子は小さな頭をこくり、とした。え、と思い立ち上がってあたりを見回すけれど、親子連れが多くて判断がつかない。けれど、少なくとも、必死になって子供を探している、という感じのお母さんは見当たらない。迷子…と心の中でつぶやく。もう一度しゃがみこんで男の子と目線を合わせる。泣きそうな瞳は不安そうに揺れている。そうか、うるりとしたこの瞳は、けがをしたことによるものじゃなくて、お母さんとはぐれたことによるものなのか、と一人納得する。「ええと、」と男の子に向って話しかけようとするけれど、言葉が出てこない。お母さんの名前はわかる?どこから来たの?今日はどこに行く予定だったの?なんて、聞いたほうがいいだろう内容は頭の中に浮かんでくるけれど、それらを聞いたところでこの男の子は答えられるのだろうか。そもそも迷子相手にそんなことを聞いてしまっていいのだろうか。普段から子供と接している人ならうまく聞き出せるのかもしれない。けれど私に、こんな小さな男の子と1対1で話すことなんて今までなかった私に、そこまでうまく聞き出すことができるだろうか。私の頭はフリーズ寸前だ。
「ええと…ええと、あ、そうだ、ねえ、お名前はなんていうの?」
まずは名前を聞かなければいけないだろう、とそう話しかけてみる。男の子はぱちりと瞬きをしたあと、静かに口を開いた。
「…つとむ。5さい」
「!つとむくん!そっか、つとむくんか!私はね、なまえっていうの。みょうじなまえ」
名前と、聞いてもいなかった年齢まで教えてくれた。そのことにうれしくなってつい語尾が跳ね上がってしまう。彼の名前が、私がマネージャーを務める男子バレー部の後輩の名前と一緒だという偶然にも驚きつつうれしくなる。男の子は初めて聞いた単語を理解するかのように、ゆっくりと、「なまえ…」と私の名前を呼んでくれた。舌足らずな調子で名を呼ばれ、かわいらしさに胸がきゅんとする。
「うん、そう。なまえです。よろしくね、つとむくん」
つとむくんに向って手を差し出せば、つとむくんは私のその手をぎゅっと握ってきた。小さな、あたたかな手にぎゅっとされて、また胸がきゅんとする。けれどつとむくんのその握り方は、握手というよりは、もう離さない、というようなそれに近かった。ぎゅっと私の手を握ったまま、つとむくんは私を見つめている。うるりと潤んだ、大きな目で。
「…ママ…」
「あ、ああ、そ、そうだよね。ママ、ママだよね…」
泣き出しそうな声に、こちらの胸が痛くなる。もう一度あたりを見回すけれど、やっぱりそれらしい人は見当たらない。つとむくんがぎゅうっと私の手を握り締めてくる。小さいこの手のどこにこんな力があるのだろう。離さない、離れないで、とでも言いたげなその手を握り返してあげることしかできない。フリーズしそうな頭をなんとか動かして、考える。迷子放送ってどこでやってくれるんだろう。どこの誰に頼めばいいんだろう。それとも私がつとむくんと一緒にお母さんを探してあげたほうが早いんだろうか。けれどどこにいるかも検討がつかない。つとむくんとぎゅっと手を握り合ったまましばらくそんなことを考えていると、「…みょうじ?」と私を呼ぶ低い声が聞こえた。
「…やはりみょうじか。こんなところでしゃがみこんで何を、」
「う、牛島くん…!」
人込みでも目立つ高身長と整った顔立ち。私がマネージャーを務める、白鳥沢高校男子バレーボール部主将の姿を見つけ、私は勢いよく立ち上がってしまった。「うわ、あ」とすぐ隣で驚いたような可愛い声が聞こえて、はっとする。手をつないだままだったつとむくんが、びっくりしたような顔で私を見つめていた。
「あ、ああ!ごめんね、つとむくん!いきおいよく立っちゃって、びっくりしたよね、ごめんね」
「ううん、だいじょうぶ。ママ、みつけた?」
さっきよりもしっかりとした口調。そして、うるんではいるけれどどこか期待に満ちた瞳に見つめられて胸が痛くなる。私の声と態度が、つとむくんに期待を持たせてしまったらしい。
「あ、ええと、ママじゃないけど…ママじゃないけど、頼りになるお兄さんを見つけたよ!」
そう言うとつとむくんがちょこんと首を傾げた。いつの間にか私たちのすぐそばまで来てくれていた牛島くんも、小さく首を傾げた。牛島くんはつとむくんをじっと見つめている。射貫くような目で見つめられたからか、つとむくんはびくっとしたあとに、きゅっと目を閉じてしまった。私の手を握る小さな手にもまた力が入った気がする。
「……弟か」
「ううん、迷子みたいで…。つとむくんっていうの」
「つとむ…五色?」
「えっ、いや、五色くんではないけど…同じ名前で…」
そんなことは牛島くんもわかっているだろうけれど、そう返してしまった。牛島くんは視線をつとむくんへ向ける。目を閉じたままのつとむくんをじっと見つめている。
「…母親は見つかっていないのか」
「う、うん。迷子の呼び出しをしてもらおうかなって思ってたんだけど、あの、どうしていいかわかんなくって…」
こうして話しているとなんだか自分がとてつもない能無しのようでなんだか情けなくなってくる。牛島くんはそんなことを思うような人ではないとわかってはいるけれど、それでも情けないという気持ちは抑えられない。牛島くんはそんな私の話を聞きながら、その場に静かにしゃがんだ。膝を地面につけて。背丈の高い牛島くんが、つとむくんと目線を合わせるようにして。「つとむ」と低い声が目を閉じたままの少年を呼べば、彼はゆっくりと目を開けた。うるうるとした目に、牛島くんを映したのだろう、私の手を握る手が少しだけ震えた。小さなつとむくんには、牛島くんはとても大きくて怖く見えているのかもしれない。怖くなんて、ちっともないよ。そう言ってあげたいけれど、牛島くん本人の前でそう言葉にするのはなんだか恥ずかしいから、代わりにつとむくんの手をぎゅっと握ってあげた。
「お母さんと、はぐれたのか」
牛島くんの唇から生まれた、お母さん、という優しい響きの単語。つとむくんに合わせてあげたのかもしれない。だって、普段の牛島くんなら父親とか母親と言いそうだから。牛島くんの問いかけに、つとむくんは小さくうなずく。牛島くんは「そうか」とだけ返して、それからつとむくんに向って手を差し伸べた。目の前に差し出された大きな手に、つとむくんはぱちりと大きな目を瞬かせる。牛島くんはそんな彼を見てまじめな顔で言う。
「来い。高い位置からなら、お母さんが見つかるかもしれない」
お母さんが見つかるかもしれない。その言葉に、つとむくんがぱっと顔を輝かせた。
「ほんとう?」
「見つかるかもしれない、だ。もし見つからなければ、俺が抱えてインフォメーションセンターに連れて行こう」
「いんほめいしょん、せんたー?」
「ああ。お母さんを呼び出してくれるところだ」
牛島くんの言葉をどこまで理解したかはわからないけれど、つとむくんは牛島くんの言葉を聞いて、ぎゅっと握っていた私の手からそっと離れる。離れたかと思えば、その小さな手は牛島くんの大きな手をつかんでいた。牛島くんはつとむくんが自分の手をつかんだことを確認してから立ち上がり、そのまま両腕でつとむくんを抱え上げた。私の視線もそれに合わせて上に向く。急に自分の目線が高くなったことに驚いたのか、つとむくんが「わ、あ!」と大きな声を上げた。
「すごい、すごい、パパにしてもらうよりたかい!」
「そうか」
「なまえおねえちゃんよりもおおきくなったみたい!すごい!」
つとむくんの目がキラキラと輝く。今日私が出会ってから初めて見た笑顔だ。さっきまで牛島くんに対してどこかおびえていたような雰囲気だったというのに。牛島くんは表情も変えない。それでも、さっきの「そうか」の言葉はいつもよりも少しだけ優し気に聞こえた。こういうところが、いいのだ。決して言葉は多くないし、そこに気遣いがあふれているというわけではないけど、こういう、言葉の調子とか、そういうところから見える優しさが、牛島くんのすごく素敵なところなのだと思う。そういうところがすごく、好ましく思える。牛島くんのほうを見ていると、彼も私に視線を向けてきた。急に目と目が合って心臓が大きく跳ね上がってしまう。そんな私に気づいていないだろう牛島くんは、不思議そうに首を少し傾げた。
「…みょうじもしてほしいのか」
「え?」
「じっと見ているだろう。…抱きかかえてほしいのか」
「!ま、まさか!違うよ!だいたい重いし、さすがにそれは…」
「?みょうじくらいならば抱え上げられると思うが」
きっと何も意識していないんだろう牛島くんの言葉。けれどもその言葉は私の鼓動をどんどんと早めていく。顔中が赤くなっていくような気がする。ぶんぶんと両手を振って違う違う、と連呼していると、頭上から「あっ!」という声。嬉しそうなその声に視線を上へと向けていけば、つとむくんが私のほうを見てにっこりと笑った。
「ママ!」
その単語が耳に届いたと同時に、「つとむ!」と彼を呼ぶ焦ったような女性の声。つとむくんのお母さんが私たちのところへ駆けてくるのに、それほど時間はかからなかった。
▼ ▼ ▼
「つとむくんのお母さん、見つかってよかった」
ばいばい、と私たちに手を振るつとむくんと、私たちに何度も何度も頭を下げている優しそうなお母さんの姿を見つめながらそう言うと、牛島くんは「そうだな」と返してくれた。
「牛島くんが来てくれなかったらきっともっと時間がかかってたね。ありがとう」
「大したことはしていない」
「牛島くんにとってはそうかもしれないけど、私はすごく助かったから」
私ひとりじゃ途方に暮れていたかもしれない。つとむくんももっと心細かったかもしれない。本当に牛島くんが来てくれてよかった。牛島くんは「そうか」と小さくつぶやいてから、ほんの少しだけ、いつもよりも柔らかな表情をしてくれた。つとむくんのお母さんが見つかったことで一度落ち着いたはずの鼓動がまた少し早くなる。ごまかすように、慌てて「う、牛島くんは何しに駅前に来たの?買い物?」と早口で話しかける。「ああ」と答えた牛島くんは、少しの沈黙の後、私のほうをじっと見つめてきた。鼓動の速さをごまかすように話しかけたというのに、こうしてじっと見つめられては、鼓動は早くなるばかりでごまかしようがない。顔もどんどん熱くなっていく。
「みょうじは何の用だったんだ」
「わ、私?私は、CDを買って、あとは、ケーキでも食べて、のんびりしようかと思ってたんだけど…」
ここに来た当初の予定を伝えると、牛島くんは黙り込んでしまった。まるでバレーの試合中の表情のように真剣で、また鼓動が早くなってしまう。いつまでもこうしていては私の心臓が持たないかもしれない。それに、いつまでも牛島くんの時間を拘束するわけにもいかない。そう思って牛島くんに、じゃあ私はこれで、と声をかけようとしたその時。
「では一緒に行くか」
「えっ?」
唐突な誘いの言葉に、驚きの声が漏れてしまった。
「…何か問題があるだろうか」
「問題は、ないけど…なんで…」
「俺もお前も用事は買い物だろう。ならば一緒にすればいいのではないかと思ったんだが…いけなかったか」
私とは少しだけ違う牛島くんの思考回路に、私の思考は追いつかない。けれど彼の誘いを断る理由なんてなくて、いや、むしろ断るなんてそんなもったいないことはできなくて、私はこくこくと首を縦に振る。それを見た牛島くんが、ふ、と目を細めて笑ってくれたものだから、私の鼓動は今日最大の高鳴りを見せた。牛島くんが、私の目の前にそっと右手を差し出してくれる。さっきつとむくんにしたのと、同じように。突然差し出されたその手の意味を図りかねていれば、牛島くんは当然だろう、とでも言いたそうに唇を開いた。
「迷子になっては困るだろう?」
それともやはり抱きかかえてほしいのか、と、本気なのか冗談なのかわからない言葉もその後に続ける牛島くんに、私のドキドキは収まりそうもない。少し震えてしまった手を彼の大きな手に重ねた。
title.
まほら
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